前回、難関試験で点が取れることの本質は才能ではなく身につけた曲芸、というお話をしました。では、その”曲芸が身に付いた状態”というのは、具体的にはどのような状態なのでしょうか?前回に続いて受験数学を例にその辺を考えてみたいと思います。これから受験勉強をしようという若い人達にも多少は参考になるのではないでしょうか(自分があまり得意でない分野で何を根拠に偉そうな事をいうのだ?と思われるかもしれませんが、長年英語を勉強してきて培った経験を元にした想像なので、大きくは外していないと思います)。
何故数学を持ち出すのか?それは、英語よりも分かりやすい例であるということと、もう1つ、実は私、長年抱いている数学コンプレックスを解消したく、数学検定の1級でも狙ってみようかな、なんて思っていて、数学の勉強を真面目にやり始めているのです。50歳までにTOEIC満点、英検1級、数学検定1級、アマチュア無線技師1級、をクリアして文理両道を果たしたいな、なんて(実はもう1つ、どうしても欲しい称号があるのですが、それは秘密)。はい、一生勉強ですよ。60過ぎても特殊技術を生かして金儲けしたいじゃないですか!
さて、受験数学に関して私は学生時代には極めることができなかった人間ですが、20年以上も英語を勉強して”技術を身に付けるとはどういうことか?”ということを色々考えてきた結果、この歳になって数学に関しても”多分こういうことなんだろうな”というのがやっと想像がつくようになりました。そして、学生時代の私がいかにその本質を分かっていなかったか、ということも。
結論から言うと、受験数学(数学検定も数オリも、レベルが違うだけで本質は同じでしょう)ができる人というのは、以下をクリアしている人だと思います。
(0)高い計算力を保持していること
(1)教科書の内容(公式を覚えるだけでなく、導き方まで)を完全に理解し覚えていること
(2)典型問題の解法を網羅的に経験し、身に付けていること(☆)
(3)数的感覚を駆使して突破口を見出せる分析力をもっていること
(4)大学・大学院レベルの数学的知識を元に、高所から問題を見渡せること
(4)はまあ、数学検定でも少しは必要にはなりますが、大学受験レベルで言えば予備校教師などのプロや数オリを目指すような超トップクラスの学生以外には関係ない話だと思いますので割愛してもいいでしょう。プロは難問の背景にある数学的知識まで知っていてそれを見据えているということですが、こんなのは普通の高校生には必要ない(東大理3でもかなりの上位合格を目指す生徒以外は必要ないんじゃないですかね。理3には縁が無いので知りませんが)。
私が大事だなと思う所に色をつけてみました。最初の青印は意外と気づいていない人が多いのですが、教科書に載っている公式の導出過程はよく目を通して、そして自分でも同じ事ができるようにしておく必要があるということです。こういう所には実は非常に大事な”数的感覚””センス”みたいなものが凝縮されていて、ここの土台がきちんとしている人は(3)の能力も自然と高くなるのです。小学校や中学校の頃からこのような事をやってきた子は自然と強靭な数的感覚が養われていると思いますが、高校生でも遅くはありません。やるべきだと思います。結局数学というのは、”どうしてそうなるの?”という事を、1点の論理のごまかし無しに追求していく学問ですから、本来の姿としても理屈抜きに公式を丸暗記、なんて態度はあり得ないのです。
ただし、”公式は覚えなくても試験中に導ければいい”ということを言う人がいますが、これについては私は違和感を覚えます。だって、ただでさえ時間制限が厳しい試験中に、覚えていれば済むものをわざわざ自分でひねり出すというのは大きな時間的損失だと思うからです。公式を自分で導く数的感覚は備えていないといけませんが、あくまで結果は暗記しておいて試験中には暗記した公式をそのまま瞬時に使えるようにしておくべきだと思います。”結果だけを暗記するな”と言っているのであって、公式は最終的には暗記して使うものだと思います。
ここで学生時代の私自身を振り返ってみると、(1)と(3)だけで受験数学にアタックしようとしていた点が失敗だったな、と今になって思うわけです。我々の世代のような一昔、二昔(そろそろ三昔か!?)前の受験生は大体そうなのではないでしょうか?今みたいにネット等を通して受験技術に関する情報が広く行き渡っているような時代ではなかったので、今となっては常識と言ってもいい”解法暗記”なんて言葉は誰も知らなかったのです(薄々気づいている人はいたでしょうけど)。今の学生さんから見ると”なんて無謀な!”という感じだと思います。
しかし、今の学生さんにとってはおそらく常識であろう(2)の解法暗記の話ですが、実はこれについて2つほど、私が最近気づいた点があります。そして、その2点は、”解法暗記”の必要性をちゃんと認識している学生さん達でも、きちんと認識できていないケースが多いのではないか?という気がするのです。
長くなるので続きは次回。
何故数学を持ち出すのか?それは、英語よりも分かりやすい例であるということと、もう1つ、実は私、長年抱いている数学コンプレックスを解消したく、数学検定の1級でも狙ってみようかな、なんて思っていて、数学の勉強を真面目にやり始めているのです。50歳までにTOEIC満点、英検1級、数学検定1級、アマチュア無線技師1級、をクリアして文理両道を果たしたいな、なんて(実はもう1つ、どうしても欲しい称号があるのですが、それは秘密)。はい、一生勉強ですよ。60過ぎても特殊技術を生かして金儲けしたいじゃないですか!
さて、受験数学に関して私は学生時代には極めることができなかった人間ですが、20年以上も英語を勉強して”技術を身に付けるとはどういうことか?”ということを色々考えてきた結果、この歳になって数学に関しても”多分こういうことなんだろうな”というのがやっと想像がつくようになりました。そして、学生時代の私がいかにその本質を分かっていなかったか、ということも。
結論から言うと、受験数学(数学検定も数オリも、レベルが違うだけで本質は同じでしょう)ができる人というのは、以下をクリアしている人だと思います。
(0)高い計算力を保持していること
(1)教科書の内容(公式を覚えるだけでなく、導き方まで)を完全に理解し覚えていること
(2)典型問題の解法を網羅的に経験し、身に付けていること(☆)
(3)数的感覚を駆使して突破口を見出せる分析力をもっていること
(4)大学・大学院レベルの数学的知識を元に、高所から問題を見渡せること
(4)はまあ、数学検定でも少しは必要にはなりますが、大学受験レベルで言えば予備校教師などのプロや数オリを目指すような超トップクラスの学生以外には関係ない話だと思いますので割愛してもいいでしょう。プロは難問の背景にある数学的知識まで知っていてそれを見据えているということですが、こんなのは普通の高校生には必要ない(東大理3でもかなりの上位合格を目指す生徒以外は必要ないんじゃないですかね。理3には縁が無いので知りませんが)。
私が大事だなと思う所に色をつけてみました。最初の青印は意外と気づいていない人が多いのですが、教科書に載っている公式の導出過程はよく目を通して、そして自分でも同じ事ができるようにしておく必要があるということです。こういう所には実は非常に大事な”数的感覚””センス”みたいなものが凝縮されていて、ここの土台がきちんとしている人は(3)の能力も自然と高くなるのです。小学校や中学校の頃からこのような事をやってきた子は自然と強靭な数的感覚が養われていると思いますが、高校生でも遅くはありません。やるべきだと思います。結局数学というのは、”どうしてそうなるの?”という事を、1点の論理のごまかし無しに追求していく学問ですから、本来の姿としても理屈抜きに公式を丸暗記、なんて態度はあり得ないのです。
ただし、”公式は覚えなくても試験中に導ければいい”ということを言う人がいますが、これについては私は違和感を覚えます。だって、ただでさえ時間制限が厳しい試験中に、覚えていれば済むものをわざわざ自分でひねり出すというのは大きな時間的損失だと思うからです。公式を自分で導く数的感覚は備えていないといけませんが、あくまで結果は暗記しておいて試験中には暗記した公式をそのまま瞬時に使えるようにしておくべきだと思います。”結果だけを暗記するな”と言っているのであって、公式は最終的には暗記して使うものだと思います。
ここで学生時代の私自身を振り返ってみると、(1)と(3)だけで受験数学にアタックしようとしていた点が失敗だったな、と今になって思うわけです。我々の世代のような一昔、二昔(そろそろ三昔か!?)前の受験生は大体そうなのではないでしょうか?今みたいにネット等を通して受験技術に関する情報が広く行き渡っているような時代ではなかったので、今となっては常識と言ってもいい”解法暗記”なんて言葉は誰も知らなかったのです(薄々気づいている人はいたでしょうけど)。今の学生さんから見ると”なんて無謀な!”という感じだと思います。
しかし、今の学生さんにとってはおそらく常識であろう(2)の解法暗記の話ですが、実はこれについて2つほど、私が最近気づいた点があります。そして、その2点は、”解法暗記”の必要性をちゃんと認識している学生さん達でも、きちんと認識できていないケースが多いのではないか?という気がするのです。
長くなるので続きは次回。