英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

受験数学が出来るとはどういうことか(1)

2018年01月08日 00時49分52秒 | 日記
前回、難関試験で点が取れることの本質は才能ではなく身につけた曲芸、というお話をしました。では、その”曲芸が身に付いた状態”というのは、具体的にはどのような状態なのでしょうか?前回に続いて受験数学を例にその辺を考えてみたいと思います。これから受験勉強をしようという若い人達にも多少は参考になるのではないでしょうか(自分があまり得意でない分野で何を根拠に偉そうな事をいうのだ?と思われるかもしれませんが、長年英語を勉強してきて培った経験を元にした想像なので、大きくは外していないと思います)。

何故数学を持ち出すのか?それは、英語よりも分かりやすい例であるということと、もう1つ、実は私、長年抱いている数学コンプレックスを解消したく、数学検定の1級でも狙ってみようかな、なんて思っていて、数学の勉強を真面目にやり始めているのです。50歳までにTOEIC満点、英検1級、数学検定1級、アマチュア無線技師1級、をクリアして文理両道を果たしたいな、なんて(実はもう1つ、どうしても欲しい称号があるのですが、それは秘密)。はい、一生勉強ですよ。60過ぎても特殊技術を生かして金儲けしたいじゃないですか!

さて、受験数学に関して私は学生時代には極めることができなかった人間ですが、20年以上も英語を勉強して”技術を身に付けるとはどういうことか?”ということを色々考えてきた結果、この歳になって数学に関しても”多分こういうことなんだろうな”というのがやっと想像がつくようになりました。そして、学生時代の私がいかにその本質を分かっていなかったか、ということも。

結論から言うと、受験数学(数学検定も数オリも、レベルが違うだけで本質は同じでしょう)ができる人というのは、以下をクリアしている人だと思います。

(0)高い計算力を保持していること
(1)教科書の内容(公式を覚えるだけでなく、導き方まで)を完全に理解し覚えていること
(2)典型問題の解法を網羅的に経験し、身に付けていること(☆)
(3)数的感覚を駆使して突破口を見出せる分析力をもっていること
(4)大学・大学院レベルの数学的知識を元に、高所から問題を見渡せること

(4)はまあ、数学検定でも少しは必要にはなりますが、大学受験レベルで言えば予備校教師などのプロや数オリを目指すような超トップクラスの学生以外には関係ない話だと思いますので割愛してもいいでしょう。プロは難問の背景にある数学的知識まで知っていてそれを見据えているということですが、こんなのは普通の高校生には必要ない(東大理3でもかなりの上位合格を目指す生徒以外は必要ないんじゃないですかね。理3には縁が無いので知りませんが)。

私が大事だなと思う所に色をつけてみました。最初の青印は意外と気づいていない人が多いのですが、教科書に載っている公式の導出過程はよく目を通して、そして自分でも同じ事ができるようにしておく必要があるということです。こういう所には実は非常に大事な”数的感覚””センス”みたいなものが凝縮されていて、ここの土台がきちんとしている人は(3)の能力も自然と高くなるのです。小学校や中学校の頃からこのような事をやってきた子は自然と強靭な数的感覚が養われていると思いますが、高校生でも遅くはありません。やるべきだと思います。結局数学というのは、”どうしてそうなるの?”という事を、1点の論理のごまかし無しに追求していく学問ですから、本来の姿としても理屈抜きに公式を丸暗記、なんて態度はあり得ないのです。

ただし、”公式は覚えなくても試験中に導ければいい”ということを言う人がいますが、これについては私は違和感を覚えます。だって、ただでさえ時間制限が厳しい試験中に、覚えていれば済むものをわざわざ自分でひねり出すというのは大きな時間的損失だと思うからです。公式を自分で導く数的感覚は備えていないといけませんが、あくまで結果は暗記しておいて試験中には暗記した公式をそのまま瞬時に使えるようにしておくべきだと思います。”結果だけを暗記するな”と言っているのであって、公式は最終的には暗記して使うものだと思います。

ここで学生時代の私自身を振り返ってみると、(1)と(3)だけで受験数学にアタックしようとしていた点が失敗だったな、と今になって思うわけです。我々の世代のような一昔、二昔(そろそろ三昔か!?)前の受験生は大体そうなのではないでしょうか?今みたいにネット等を通して受験技術に関する情報が広く行き渡っているような時代ではなかったので、今となっては常識と言ってもいい”解法暗記”なんて言葉は誰も知らなかったのです(薄々気づいている人はいたでしょうけど)。今の学生さんから見ると”なんて無謀な!”という感じだと思います。

しかし、今の学生さんにとってはおそらく常識であろう(2)の解法暗記の話ですが、実はこれについて2つほど、私が最近気づいた点があります。そして、その2点は、”解法暗記”の必要性をちゃんと認識している学生さん達でも、きちんと認識できていないケースが多いのではないか?という気がするのです。

長くなるので続きは次回。

高い技術力を身に付けるには不自然な営みが必要

2018年01月03日 01時46分29秒 | 日記
正月休みで思いっきり夜更かししていますww

さて、変なタイトルをつけてしまいましたが、これを見てピンと来ますか?ピンと来ない人は、考え方を改めないと、受験や試験の分野で大きな成果を挙げることは難しいかもしれません。

いつも英語の話ばかりしていますが、今回の話は英語よりも数学的な分野の方がより分かりやすいので、今回は(受験の)数学を例にしてタイトルの内容を説明したいと思います。

受験数学には私もいい思い出が全くありません。まあ、いわゆる普通の高校が受ける普通の模試では総合偏差値が80近くあった人間なので、もちろんその程度のレベルで言えば数学は決して苦手ではありませんでした。ただ、そんな私も例に漏れず、難関大学の数学の問題なんかをやってみると、悲しいことに全然解けなかったのですね。結局、大学受験を向かえるまでそのような苦手意識は払拭できず、本番の試験でも他の教科で点を稼いで合格したような次第です。

今でこそ受験数学は暗記だとか、かなり真実に迫ることを言ってくれる方々も増え、優れた受験指導が我々の時代よりもより末端まで浸透しているでしょうし、したがって当の受験生達の間にも正しい認識が浸透しつつあるとは思いますが、当時の私にはそんな事は思いもよらず、ブレークスルーは得られなかったわけです。

あ、別に私の苦い思い出について愚痴りたいわけではなく、数学は暗記だというような考え方がなんとなく浸透しつつある昨今でも、そうはいっても数学のような物はやはり最終的には能力の問題が大きくて、東大などの難関大学の問題が解けるような奴は天才とは言わないまでも、ある種特別な人間だと、みんなそのように考えているのではないでしょうか。今回は、

それは違うと思うよ

ということが言いたいわけです。”思うよ”という控えめな言い方をしているのは、私自身まだ数学の達人になった経験がなく、想像でしかないという点に配慮してのことですが、多分これは当たっていると思います。

またまた私自身の経験に照らしていうと、中学生や高校生だった頃の私は、授業をちゃんと聞いて教科書に書いてあることを100%理解して、たまに無理の無い程度の難易度の練習問題を解いてみるという、

数学の能力開発における当たり前の、ごく自然な営み

をやってさえいればいいと考えていた、というか、子供の頭脳ではそれ以上のことは考えもしませんでした。もちろん、数学というものを教養や学問として捉える場合にはこれは正しい考え方であり、上に書いたような事は正しい営みです。

しかし、残念ながらそのような自然な営みだけでは受験競争を勝ち抜くための技術を磨くことはできない、というような事が、判断力のある大人になって、そして、TOEICなどの試験勉強を真剣にやるようになって、なんとなく分かってきたのです。もしあなたが受験数学で悩んでいる高校生ならよく分かると思いますが、”どうしてこんな式変形を思いついたの?”、”どうしてこんな考え方が短い制限時間の中で思いつけるの?”というような疑問のオンパレードでしょう?

もしあなたがそのような疑問や悩みをお持ちなら、ここでよく考えてほしいのです。そんな能力・技術が、上に書いたような、”無理のない自然な営み”の中で養われると思いますか?思えませんよね?

私は常々、今の受験数学のような問題を学生に課す大学って、結局何がしたいんだろう?と疑問に思っています。おそらく、その学生が普段からどれくらい真面目に数学に取り組んできて、どれくらい濃密な数学的思考を繰り広げてきたか、その経験値や真面目さを測定するような理想的な試験を課したいのだけれど、かといって、短い制限時間の中で発想力や自然な意味での数学力を測定でき、かつ選抜試験としても機能するような理想的な試験問題を作成するのは難しい、だから結局ああいう問題になってしまっている、そういうことだと想像します。

”ああいう問題”と書きましたが、どういう問題かと具体的に言うと、

巧妙な式変形、巧妙な論理展開を瞬時に引き出せる、ある種の曲芸的能力

そういう能力がないと制限時間内で合格点を確保できない、そういう問題ですよね。

そう、あんな試験問題で安定した得点が叩きだせる能力というのは、もうある種の”曲芸”なんですよ(数学者でも合格点が取れないことがあるなんて話もあるし)。

そう、世の中の難関試験といわれるような物で高い点数を叩き出す能力というのは、この”曲芸”という言葉が一番似つかわしいのではないかと私は思うのです。その分野のことを真面目にコツコツと自然なやり方でやってきた、というだけでは必ずしも磨かれるとは限らない能力、つまり曲芸、が難関試験攻略には必要なんです。

もしそれが真実なのだとしたら、つまり曲芸を身に付けることが必要なのだとしたら、当然ですが当たり前の事、自然な勉強、自然な営みをやっていたのでは到底だめで、野生のサルが絶対にやらないような仕草をサル回しのサルに教え込むのと同じような

極めて不自然な訓練

をしないといけないのです。受験数学で言うなら、本質の理解はもちろん必要ですが、それだけでは全然ダメで、網羅系の参考書や問題集を使って、定番となる式変形のパターン、思考パターン、をいつでも瞬時に引き出すことができるように”曲芸的な訓練”をしないといけないのだと思います。非常に良くできる人というのは、そういうことをみっちりこなして曲芸を身につけた、言うなれば

サル回しのサル

のようなものなのです。失礼な言い方ですが、本質だと思います。

難関試験を突破したいのなら、サル回しのサルになることを目指せばいいのです。TOEICで満点を取るにも、前回の記事のような英語力とは関係ない能力が絶対に必要なわけで、これもサル回しのサルを目指すようなものです。

最後に念押し。

難関試験におけるスーパーマンは天才ではなくて曲芸師

なのです。自然でまともな営みの中では身に付かない曲芸を身につけているので、高い能力を持っているように見えてしまうだけなんですね。もちろん、自然でまともな普通の勉強すらしないDQNよりは1000倍マシですが。ちなみに、欧米ではこの自然でまともな勉強を大学に入ってからもずっと続けていくので、日本の学生の学力は結局最後には逆転されてしまうし、社会人になってからも向こうのエリート達の方がずっとずっと大きな成果・イノベーションが出せるのです。曲芸は所詮、曲芸でしかないんですね。

なお、私がここで”暗記”という言葉を使っていないことに注意して下さい。現在の日本の歪んだ試験制度を形容する際によく”暗記主義”という言葉が使われますが、私はこの言葉の使い方はあまり本質を突いていないと思っています。自然でまともな勉強だろうと、曲芸を身に付けるための訓練だろうと、勉強の本質はどちらも暗記なので、暗記という言葉では両者の違いを表現することはできません。問題は”何を暗記するか”で、その学問分野の本質的な重要事項を暗記するというスタイルと、曲芸を発揮するための瑣末なノウハウを暗記する、という点に違いがあるのです。

得点力を上げるために必要なことを見誤るな

2018年01月02日 17時06分20秒 | 日記
あけましておめでとうございます。今年もどれだけの頻度で更新できるか分かりませんが、普段の英語学習の中で気づいた事は極力書くようにしようと思いますので、宜しくお願いします。途中で放り出してしまっている話題も幾つかありますが、ちゃんと処理するつもりですので、今しばらくお待ち下さい。

ここ一週間ばかりは、「TOEICテスト990点新・全方位リーディング」という問題集を解いていてそろそろ終わろうという段階です。990点取得に向けた最後のハードルが”Part7で確実に満点が取れるようになること”なので、Part7用の問題集を沢山解いている今日このごろなのですが、こういう問題集をやっていて、自分が間違える所をじっと眺めていると、もう1つのパターンしかないんです。それは何かというと、

類推が求められる問題でしくじる

ということです。もう、こればっかり。”~について、どれが一番想像されるか”とか、そういう奴。

こういうのはもう英語力の問題じゃなくて、内容の読み取り方、解釈の仕方、そして、常識に基づく判断力、の問題なんですね。ただ、その”常識的判断”が、なかなか一筋縄ではいかないんです。例えばP.308の問題なんかでは、チャットで喋っている人達はどんな会社に勤めているでしょう?なんて問題があって、問題文自体は文房具の効率的な輸送方法について話し合っている内容なので、

・A shipping company
・A stationery supplier

の2つで非常に迷うことになります。で、文章の最後の方をよく読んでみると、客からの「注文」という言葉が出てくるので、(品物についての)客からの注文を直接受けていることを考慮すると運送会社ではなく文房具品のサプライヤーと判断するのが妥当、となるわけです(なお、問題集の解説はこのような説明になっていません。私はそれにどうしても納得がいかず、何度も読み直して、私なりの解決を得た次第です)。

この問題は”常識”に加えて、問題文の隅々にまでヒントになるような事が書かれていないか気を配る”細かい部分への注意力”も問われているわけですが、こんなのはもう、明らかに英語力の試験ではありません。ネイティブスピーカーだって、”輸送会社”の選択肢を選んでしまう人はたくさんいると思います。

で、私が言いたいことは、こういう問題自体の良し悪しではなく(あまり良い問題とは思いませんけどね)、もし皆さんがTOEICで高得点、特に950点以上や満点をめざしているような人の場合に、

こういう能力を磨く訓練を意識してやってるか?

ということなんです。そういう事を言っている人、はっきり言って皆無ですよね。

TOEICの高得点向けの参考書や問題集というと、やたらめったら難しい語彙、細かい語彙の知識ばかりを大量に詰め込んだものとか、160語/分のスピードで読めとか、そんなことばかり言っているものが多いですが、950点や満点のような得点領域を狙う上で大きく立ちはだかるハードルはそんなもんじゃなくて、上で書いたような

英語力以外の問題

が実は非常に大きいのです。でも、誰もそんな事は言ってくれないから、多くの英語学習者も気づかずに、難単語の暗記とか、そんなズレたことばかりやっている。

これは大学受験なんかでもそうですが、高得点を取るために本当に磨かないといけない能力は何なのか、そこを見誤ると、とんでもなく方向のズレた無駄な努力をしてしまうことになると思います。しっかりと過去問を見て、解いて、そして、

何故間違えたのか。何の能力が足りてないのか

をしっかり分析することが重要です。世の中の”通説”を妄信していると酷い目に合いますよ。

ちなみに、受験数学では”式の適切な変形能力”、物理や化学では”完璧な基礎力”。結局のところ問われているのはそれだと、私は思います。そして、TOEICを究めるに当たって最後の最後に要求されるのが、”文章の中から根拠を拾う能力と、常識的な判断力”なのです。難しい単語をどれくらい知ってるかとか、1分あたり何語読めるかとか、そんなことではありません。