『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

佐野(さの)

2017-06-26 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
佐野(さの)

〔現代仮名遣い〕さの


紺染に使う紺灰の問屋商人で、室町時代から

紺灰座を支配してきた京都の豪商、「灰屋」

を通称とした。紹益の養父紹由か。連歌・書

道・蹴鞠などの芸道にいそしみ、ことに連歌

は里村紹巴につき、里村昌琢・松永貞徳や堂

上の人たちとも親しく交わり、富めるがまま

の風流の消光で知られる。

1569年4月二条御所新築前後の名物集めで、

    信長に「雁の絵」を拠出。


↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする