Fish On The Boat

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『プレーンソング』

2017-09-25 00:00:55 | 読書。
読書。
『プレーンソング』 保坂和志
を読んだ。

猫と競馬となんでもないような日常の話。
物語としては成り立たなそうでいて、
でも、きちんと読み物になっていました。

興味深いのは、とくに、
発言と発言のあいだ、
つまり会話をつなげる当人同士で「無意識に察する」ところ、
言いかえれば本来なら表立ったところでは「無」にあたる隠れた部分を、
因数分解して明らかにして表記するとでもいうような書き方でしょうかね。
おだやかにぼんやりとした内容だけれども、
そういうところはしっかりきちんとして、おざなりじゃないです。

これより先、ちょっと内容に触れますので、
ネタバレ注意です。

中盤から最後にかけて、
ゴンタというキャラクターが登場して自分の考えを吐露し、
ビデオカメラでの撮影の仕方が特徴的な事が、
主人公たちによって語られるのだけれど、
そのゴンタの考え方や行動の根っこのところは、
この小説自体を作成するに当たっての
著者の考え方に通じているような感じがしました。
まるで入れ子みたいな。

ぼくとしては、
三谷さんがバリから帰って来たあたりの語りから
著者の筆力のアクセルが強くなっていったように感じられました。
そのシーケンスがなにか唐突のようで、
それでもそこにアクセントがあり、
それがアクセルが強められる合図にでもなっているような感じ。

そのあとすぐのところで、
唐突に見えるバリやカバラの語りが、
三谷さんなりの競馬の考え方に通じるものとして回収されるのだけれども
そこでついた勢いがアキラの行動に方向性が出てくることと
ゴンタの登場とにエネルギーを与えていると思いました。
三谷さん無しに、ずうっとノーマルに日常を綴られていくと
「破」のような掻きまわしというか、飛躍というかがなくてつまらなくなる。

『プレーンソング』は序破急なのかなあ。
長い序につづいて短い破があり、仕舞に海が舞台になって、という。

『プレーンソング』が何も起こらない小説だからって、
書くのに技術を使わないだとか構成を考えないだとか、
何もしてないわけじゃないですよね。
文体のみで引っ張っていっているのではない、とぼくは思います。
なにも考えずにだらだら書いていたら、
ずうっとつまらなくなっているはずだもの。

そう思いながら、巻末の解説を読んでみたら、
文章作成の仕方が細かく腑に落ちる感じで、
そのすごい技が説明されていたし、
やっぱり、文章の練り込みに構成的な頭の使い方をしているのがわかり、
ぼくの感想も当たらずとも遠からずだよなあ、と
自分に甘い感じで納得したのでした。

もう30年くらい前の小説ですが、
おもしろかったですよ。
きっとその後の文学世界に一石投じて波紋を生んだような
作品であると思います。


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