白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(186)因島の女親分 麻生イト

2017-01-11 08:58:15 | 人物
因島の女親分 麻生イト



 勝新の「悪名」で3000人の子分を率いて 朝吉をステッキでメッタ打ちする因島の女親分として唯一本名で登場するのが麻生イトである 演じたのは浪花千栄子 監督の田中徳三はこの人物が実在の人だと知ったのは封切後であった 

平成18年イトの生誕130年記念とやらで作られたドキュメント「女傑一代」を見るとそのスゴサが良くわかる  明治九年(1876)尾道の商家麻生家の三女として生まれ 成人するとしばらく阪神方面で生活 明治の末年から大正期に造船業で繁栄していた因島で麻生組を起こして船舶解体業や口入屋 旅館業(麻生旅館)などを手掛け 一代で財を築いた 男社会の当時の風潮の中でNHK朝ドラ「朝が来た」の広岡浅子と並んで女性経営者の先駆者と評価された 麻生組の法被の背中にはイという字を丸く10個並べ その中央に大きく「鐡」という一文字が鮮やかだった

麻生旅館は当時島唯一の旅館であったため造船関係以外でも多くの文人 政治家が利用した 
その中の一人 俳人の河東碧梧桐は彼女の姿を次のように書いている
中央公論社刊「山を水を人を」(昭和8年刊)
 前頭から後頭部にかけて一文字に深い刀疵が・・・髪をジャン切りにして筒袖に兵児帯
五尺にも足りない小柄ながら少々四角張った顔のいかつい恰好にそぐう眼に威力が・・・

「すぐそこに見える生名島にわしは観音様を祀った 山の上はエエ眺め、この辺で一等やで・・・最初は生名は伊予の島 わしは尾道生まれで国が違う よその国の為にすることも思ったがイヤイヤ伊予も広島もない やっぱり天子様の日本の島じゃ思うての」

ぞんざいな関西べらんめえの話しぶりにも耳を傾げる魅力がある 女史には婿さんがなくて若い嫁さんがある というような口さがない世間の陰口はどうでもいい 因島の名物でなくて広島県イヤ関西随一の名物婆さん・・・そのジャン切り頭に栄光あれ


彼女の頭の傷の由来は大正6年1月16日付の中国新聞に詳しい
女侠客殺し(未遂)約束実行せぬと 加害者は電気職工
この事件の後イトは髪を切り男装をするようになる この職工の身元保証人となり出所してきた彼を雇い入れたという

また少女時代に尾道に住んでいた林芙美子も子供の頃にイトを見たことがあったようで短編「小さな花」でイトらしい人物を出して
髪を男のように短く刈りあげ 筒袖の粋な着物に角帯を締めて その帯に煙草入れ・・
と描いている

村上水軍の本城 長崎城跡地に城山倶楽部を作り日立造船工場の迎賓館として使った
現在 ナティ―ク城山

前述のように彼女は生涯独身であったので稼いだ金を地元に還元した
土生幼稚園の設立 教育資金制度 排水溝設置などのインフラ事業 
また隣の生名島・立石山に観音霊場や三秀園という庭園などの建設

まもなく日本は太平洋戦争に突入 因島の造船所には勤労動員で多数の学徒が配置された
旧制中学生だった前尾道市長亀田良一はその思い出を
「学徒動員され三秀園近くの日本水産の船員寮から通勤していた イトさんと顔見知りになり蜜柑や柿などをご馳走になった 当時は彼女のことは何も知らず いつも白装束なので宗教関係の方かなと思っていた 戦後悪名を見て始めてイトさんだと知った」

引退した晩年は三秀園に移りすみ 観音菩薩に帰依した
昭和31年7月20日
碧梧桐が言った「若い嫁」さん、美貌の女性宮園ミツノが最後を看取った 

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