壱岐健一郎さんのスローなブログ「自然を体験する旅」でマレー熊の写真を見つけた。野生の熊の写真を見ると星野道夫さんの言葉を思い出す。
「ある朝、遠い山の斜面をグリズリーが歩いていた。原野でクマと出会う。それは何という体験なのだろう。そこに一頭のクマがいるだけで、広大な風景はある緊張感をもってしまう。」(アラスカ 風ような物語」 星野道夫著)
以前北海道を旅したとき、冷夏でクマが出没していたために知床五湖などが立ち入り禁止になっていた。別の場所では、山道をひとりで歩いているといきなり「クマ出没につき立ち入り禁止」の札がはられたロープがある。この霧のどこかにヒグマが歩いているのだと思うと、突然恐ろしくなって宿に逃げ帰ったのを思い出す。夕方になるとクマ避けの空砲が何発も山々に響き渡り、霧に溶けていった。
野生動物により命の危険を感じることは、都会にいるとあまり考えられない。それはとてもありがたいことだと思う・・・そう書いて星野さんの別の言葉を思い出す。
「人間は自然を飼い馴らし、征服しようと続けている。しかし私たちがほんの少しだけ残っているクマが自由にあるきまわっている原野を訪れると、まだ私たちは本能的に恐怖を感じることができる。それはなんと素晴らしい感覚なのだろう」。(星野道夫)
取材中にクマに襲われて不慮の死をとげられた星野さんの言葉だけに意味深い。
前にこのブログで「自然の循環の中にいる自分を感じる幸せ・・死ねば大樹の下に埋められたい」と書いたが、かって人は力のある肉食動物にとっての食物であったという より直接的なレベルでの循環の中にいたのだなあ。
星野さんは、自分を食べるかもしれないクマも含めた循環する自然を、最後の一瞬まで愛していたのだろうか。
「ある朝、遠い山の斜面をグリズリーが歩いていた。原野でクマと出会う。それは何という体験なのだろう。そこに一頭のクマがいるだけで、広大な風景はある緊張感をもってしまう。」(アラスカ 風ような物語」 星野道夫著)
以前北海道を旅したとき、冷夏でクマが出没していたために知床五湖などが立ち入り禁止になっていた。別の場所では、山道をひとりで歩いているといきなり「クマ出没につき立ち入り禁止」の札がはられたロープがある。この霧のどこかにヒグマが歩いているのだと思うと、突然恐ろしくなって宿に逃げ帰ったのを思い出す。夕方になるとクマ避けの空砲が何発も山々に響き渡り、霧に溶けていった。
野生動物により命の危険を感じることは、都会にいるとあまり考えられない。それはとてもありがたいことだと思う・・・そう書いて星野さんの別の言葉を思い出す。
「人間は自然を飼い馴らし、征服しようと続けている。しかし私たちがほんの少しだけ残っているクマが自由にあるきまわっている原野を訪れると、まだ私たちは本能的に恐怖を感じることができる。それはなんと素晴らしい感覚なのだろう」。(星野道夫)
取材中にクマに襲われて不慮の死をとげられた星野さんの言葉だけに意味深い。
前にこのブログで「自然の循環の中にいる自分を感じる幸せ・・死ねば大樹の下に埋められたい」と書いたが、かって人は力のある肉食動物にとっての食物であったという より直接的なレベルでの循環の中にいたのだなあ。
星野さんは、自分を食べるかもしれないクマも含めた循環する自然を、最後の一瞬まで愛していたのだろうか。
アラスカ 風のような物語小学館このアイテムの詳細を見る |
グリズリーなんかその比じゃないでしょうね。
あんなでっかい熊が蟻んこやイチゴや虫を食べて生きているんだから、自然の恵みってすごいと思います。
星野さんは好きで、写真展も何度かいきました。部屋にもポスターを飾っています。遠くにマッキンレー山を臨む川で、ムースの親子が水を飲んでいるもので、その空気感にひかれます。
トラバありがとうございました。
本当に、使われない道路やダムなどを作るお金で、
自然を復元してくれればいいと思うのですが。
池澤夏樹さん、私も好きです。
『スティル・ライフ』は何年か前に読みましたが、そちらのブログを見て
久しぶりに読み返したくなりました。
以前の感想は覚えていないのですが、
今度はどんな想いを残してくれるか
楽しみです。
また遊びにきてください。
そちらのブログも拝見してトラバさせていただきました。
しかし、アフリカをハードな旅をされている途中なのですね。
「死ぬときには、死ぬのだ。だから、俺は今を生きる。
けれども、だけれども、本当のところはどうだろう?
俺にはまだ、死、そして生に対する覚悟が足りない気がする。
明日、ボツワナへ向かう。」
むむむ、ハードな感じですね。
とにかく がんばってください。
そして、また遊びにきてください。
引用されるとちょっと恥ずかしい気もしますが、
紹介してもらってありがとうございます。
また、遊びに来ます。ではでは。