ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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原子力をどう教えるか(放射線に関する副読本を巡って)

2011年11月04日 | 「学び」を考える

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 人間は歴史的な存在である。私たちは、これまでに生きた人々が作り出した環境の中で生かされ、その環境を自ら生きることで変化した世界を次の世代に引き継いでゆく。3月11日に起こった福島第一原発の事故は、そんな広がりの中で私たちの生き方を問うことを迫ってくる。まぎれもなく私が生きてきた同時代に人類が手にした原子力は、またたくうちに社会と地球を大きく変えてしまった。放射性物質によって汚染されつづけている地球と、それに怯えて管理と隠蔽を強めていく社会を、これからどうやって修復していけばいいのか。中尾ハジメさんの『原子力の腹の中で』を語った中村百合子さんのブログを読んで、あらためて私たちが背負っている荷の重さとともに、それを克服する道は残されているという希望を感じている。中村さんのブログは、いつものおしゃべりにつきあっているうちに読む者の世界を広げ、大切なことに気づかせてくれる、その語り口に魅力がある 

 環境との相互作用をとおして個人と社会の成熟を求めていくために重要な役割を果たすのは教育である。子どもたちには、現実と向き合って生きる力をつけてほしい。そのために、3月11日の災害から学ぶことは多いはずだ。防災教育としてはもちろん、被災された人々への共感を強め、自分たちにできることを考えるきっかけにもなるだろう。とりわけ原発事故による放射能汚染は、私たちの日々の暮らしとかかわっていて先延ばしにはできない問題である。そう考えて、3.11以降の学校教育に注目してきた。各教科の授業や総合的な学習の時間でどのように取り上げられているのだろう? 環境教育やメディア教育、NIEや情報教育、学校図書館にかかわってきた人たちは、どのように取り組んでおられるのだろう? ブログや勉強会でも問いかけてみた。 
 ・災害と学校図書館
 ・3.11東日本大震災に学ぶ授業

 ・学校図書館自主講座(4 月10 日)
  「今、世の中で起こっていることから何を学ぶか」(パワーポイント)
  「今、世の中で起こっていることから何を学ぶか」(配布資料) 
 だが、震災から8カ月が経とうとしている現在も、いくつかの取り組みや実践は散見されるものの、当初思ったほどの実践の広がりはみられない。とくに原子力や放射能汚染については、教師に専門的知識が不足していることやメディアや政府から提供される情報が不確かだといった壁がある。だからといって、いや、だからこそ、子どもたちを放っておくわけにはいかないのだ。10月30日の朝日新聞に掲載された『原子力と教育―「不確かさ」を学ぶこと』と題する社説は、そんな私の思いを代弁してくれているようだ。いま学校教育に求められているのは、「放射線のリスクに向き合い、原子力のあり方を考えることは、これからの世代にこそ切実な課題である」という認識のもとに「正解が定まらないこと、不確かなことを学ばせる」ことである。
 
朝日の社説にもあるように、文部科学省は放射線に関して、小中高校生向けにそれぞれ副読本を作成した。その作成目的が文部科学省のサイトに次のように記されている。

東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故により、放射線や放射性物質、放射能(以下「放射線等」)に対する関心が高まっております。
 
このような状況においては、国民一人一人が放射線等についての理解を深めることが社会生活上重要であり、小学校・中学校・高等学校の段階から、子どもたちの発達に応じ、放射線等について学び、自ら考え、判断する力を育成することが大切であると考えます。
(http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/10/1309089.htm)


 まったく同感である。だが、実際に副読本をダウンロードして読んでみると、私の期待はたちまち裏切られた。今回の事故とは切り離された形で、放射能に関する一般的な事柄を述べてあるにすぎないのだ。そのような教材を無批判に与えることは、現実に起こっていることから子どもたちの目をそらし、放射能の問題を自分たちの生活に直結するリアルな問題としてとらえることを妨げることになりかねない。副読本が、その作成意図や「生きる力」を培うという学習指導要領の理念とかけ離れた「問題点のすり替え」ともいえる内容になってしまったのは、なぜか? そのいきさつの一端を東京新聞の短い記事に垣間みることができる。

 

・・・編集に当たった専門家や教員による委員会で「事故の説明も入れてはどうか」という意見もあったが「まず児童生徒が放射線に関する基本的な知識を身に付けるべきだ」という見解が大勢を占め、一般的な放射線の説明にとどめたという(東京新聞)(20111014日)。


 学校教育を管轄する一方で原発を推進する立場にある文科省の意向を反映したということなのだろうか? 現場の教師も、この問題に主体的に取り組むことを躊躇しているようだ。読売新聞の記事は、そんな教育現場の意識を如実に伝えている。

 ・内容一新の放射線副読本、活用は手探り Yomiuri Online(2011年10月14日) 

 記事を読んで、いくつかの疑問がわきあがってくる。「放射線のメカニズム」に絞って自分たちの身の回りで現実に起こっていることから目をそらすような内容の副読本が、どうして学校現場に歓迎されるのだろう? 自ら内容を検討し、それを妥当とする根拠を示すことなく「文部科学省が作成したものなので、安心して授業で使える」と言った校長先生は、思考力と判断力を育てる(これも、また新学習指導要領の理念の一つである)教育の責任者として適格といえるのだろうか? さらに、この校長先生はどうして「中立的な」立場の資料だけを集めようとしたのだろう? 教育にとって必要なことは、問題を直視するための事実を教えて、その解釈や見解が分かれる場合は、さまざまな立場の考え方を「公平に」検討したうえで自分なりの意見をもたせることである。新しい学習指導要領は、「多様な情報を活用し、異なる視点から考え協同的に学ぶ」ことを求めているのだ(学習指導要領解説)。
 
副読本を使うか使わないか、どのように扱うかは、学校や教委の判断に任されている。だが。いまや原子力を教えることを避けることはできないだろう。だとすれば、まず教師自身が学ばなくてはならない。専門的な知識だけでなく、子どもの問題意識をどのように掘り起し、どこに焦点をあてて、どのように教えるかを検討し、できれば自ら教材を作成し、授業研究を積み重ねていくことが必要だ。出来合いの教材を使い、誰かの実践をなぞって型どおりの授業を行うだけでは、教師の教育力は向上しない。学校のなかに教師の自主的な勉強会ができて、そこに図書館担当者もかかわることができれば理想的だ。そして、その試みがそれぞれの学校の枠を超えて共有され、いっそう磨かれることを期待したい。
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