今日は神戸にてワークショップで、その後食事に行った際に見たものがこれ。
初めてポートタワーの近くに行きましたが、意外とデカイですねー。
本日行なっていたワークショップはこちら
あの世に行くので、ついでに会いたい人が居たら会いに行って下さいね〜
という事でやってみましたら、今まで会えなかった身内の方と会うことができた方もいらっしゃいまして。
いろんな方法であの世を知覚する方法がありますので、人それぞれに合った会いかたが合ったりするようです。
あとは願望実現のとことか、高天原的なとことか、ついでにアトランティスの歴史まで。
神戸ならではの内容になったところです。
なぜかイタリアな雰囲気の方が多かったのですが、ここ二日間パスタ食ってたのはそのせいか?
と思ったり思わなかったり。
あの世探索はちょっと背中が重くなるので、それが難点ですけど。
その後オーナーさん達と食事に行って、特等席で神戸の港風景を見ながら食事をしたりして。
その時の風景の移り変わりをご一緒に
まぁ、テレビでしか見たことない世界がそこにあるって感じですよ。
田舎者にとってはこういう風景なかなか見ないですからね〜。
そこはパスタもあるバイキング方式のお店でしたが、なぜかパスタを食べようと思ってたのにパエリア食ってたりして。
あの世探索でパスタ縛りが外れたのか?
なんて思ってたりしました。
しかし、夜の神戸は異国な感じがしていいですね。
明日は熊本へ朝から帰ります。
それと余談ですが、8月のワークショップの土曜日の日程が神戸の花火大会と重なっていますねー♪( ´▽`)夜会が終わる頃に丁度花火が始まるみたいですが、交通規制があるみたいなので お知らせしておきます(^^)
今回は、感情と行動についてです。
ノーガード状態の場合、他人から見たら無機質に感じることがあるようです。でもそれは嫌な感じを受けるというのではなく、文字通り「無」な感じを受けるんだと思います。無は全てでもありますので、嫌悪感を与えてはいないようです。私は、昔から思っていたことがあるのですが、それは東大生や京大生などの中に多い、いわゆる天才と呼ばれる人たちの共通の雰囲気です(みんながみんなそうではないと思いますが)。その方たちは「無機質」な感じで「非常に合理的」で「感情の起伏が少なく」「主観的でなく客観的」で「必要なことだけやっていて」ある意味通常人から見ると「面白みがなく」、でも「他者の意見をよく受け入れ」、「不思議な温かさを持っている」というものです。
そこで思ったのですが、彼らは生まれながら、素の状態が、ノーガード状態で生きているのではないか、ということです。それは、言い方を変えれば、宇宙的に見て他の宇宙との情報を伝達するためのケーブルとして非常に優秀なのではないか、ということです。
感情の起伏が少ない彼らは、キャプテン的に見れば、現場作業員に乗せられることなく、常に自分の本質と繋がり続けているため、情報量が多く、だからこそ直感も働き「頭がよく」情報処理能力も高いのではないのでしょうか?
もしそうであるとすれば、『人工知能的生物のほうが効率よく情報を伝達するため、宇宙的観点から見た場合、今の人類よりも優秀である』というキャプテンの話と一致しますよね。
一方、感情が乱降下し、精神が不安定で周りの人間の感情を揺さぶり自分にエネルギーを集める迷惑な人は、「非常に主観的で」「涙もろく」「常に思考してて」「思い込みが激しく」「過去にこだわり過ぎる傾向があり」「他人に依存的で」「行動力について消極的で」「他者を攻撃し受け入れない」という性質を持ってることが多い気がします。このような人は自ら本質につながれないため、現場作業員のあおりなどで感情を揺さぶり宇宙のためのエネルギーを得ているのわけですよね。
「感情」とは、現段階の人間には、必要不可欠で大事なものだと思われているかもしれませんが、実は本来的には無くてよいもののではないかと感じるのです。というのも、ノーガード状態、瞑想状態であるときは、笑ったりして喜んでいる状態よりも、安定しているというか満たされている感覚なのです。喜んだり嬉しかったり欲が叶ったりして上がれば、必ず下がるわけです。怒ってイラ立って、その後に、平常に戻ったり嬉しくなったりしても、ノーガード状態でいるほうが遥かに満たされているというか充実しているというか至福というか、そういういい感じなのです。
「感情がない」というと、変に悪いイメージで受け取る人もいるかと思いますが、そうではなくて、むしろ逆で、ありのままを受け入れている状態であります。
この話を圭さん以外が理解してくれるか分かりませんが、頑張って書いています。
喜んだり、怒ったり、とは比較、分離、どちらかが正しい、といった観念があるために生じる感情だと感じます。
でも、特定の見解に立たず「観る」状態である場合、比較も意識の分裂も左右も正しさもなく、言ってみれば「両方を全部を含む状態」なのです。この状態がノーガード状態であり、それゆえ、『感情がない状態かもしれないが、満たされ充実し至福な感じ』なのです。これは頭で理解する類の話ではなく、感覚で体感で腑に落ちて感じなければ意味のない話で、言葉で伝えるのはかなり困難なのですが。
そこで、以上を前提に、以下質問です。
①感情が豊かなほうが良いとか、情が厚い、など一般的にはこういった性格の人が「良い人だ」という風潮があると思います。
しかし、宇宙的観点から見ると、「感情」とは、宇宙の存続のためのエネルギー確保のために、本質につながれない者のために必要とされるものであって、ノーガードで本質と繋がって、あるがままを受け入れられている状態であれば、一般人が言うところの感情というものは「むしろ不要なもの」なのではないですか?
②感情でのやり取りが無くても本質につながっていられれば、感情による場合よりも、よりよい循環が生じるのではないかと感じているのですがどうでしょうか?ただ、双方が本質的な感じでないといけないとは思いますが。
③雪の結晶を見るとそれに惹かれます。自然を見ても惹かれます。それはそのままで美しいわけです。そういうものの人工的でない美しさは、宇宙的な秩序の現れのようなものではないかと思うのです。そして、その宇宙的秩序を感じるからこそ人は雪の結晶や自然に惹かれるのではないかと思うのです。
宇宙的な秩序というものは、無の状態、つまりノーガード状態であって初めて生まれるのではないですか?
そして、その秩序が、困っている人を見た『瞬間に』手助けの行動をしたり、気づいた「瞬間」にその場面で必要な行動に向けさせるのではないでしょうか?このような行動が本質につながった行動なのであり、これが、仕事で現われたりすると、圭さんやルリカさんの言う、本質につながった仕事、自分に正直な生き方、ということになるのではないでしょうか?
決して、「非暴力であるべき」だとか「〇〇が正しいから△△すべき」といった観念化されたものから導かれる行動ではなくてです。
妙な質問ばかりですが、圭さん、キャプテン、よろしくお願いします。
あの世ワークなのに、パスタ風だったり、宇宙風だったり
予期せぬ展開に、心ワシヅカミされまくっておりました。
シェアして頂きまして、ありがとうございます(みんな好きだ~)。
そういえば、私もあの世で会いたい人に会えたんだわ~とぬるっと振り返ってます。
でも、一緒に海を泳いだり飛んだり、ガイドなんだわ~とぬるっと安心したり。
共通認識が苦手な私が、共通認識しにくいと言われるあの世でできたので
そこに集まった必然性にきゃっきゃっはしゃいでしまいましたね。
パスタ風縛りが外れて、私(たち)もうれしいです(笑)。
マヨヒガで2個取ってしまったり(笑)試されたり選んだり・・・予期せぬ展開に、
あの世の∞(を手渡された)の重さを感じました。
∞は軽いはずなのにーと思う自分もいたりしました。
帰りのバスの中で、私の願望はやっぱり諦めないことだ~と思って
併走する車を、ちらっとみると8888でした(∞な流れ(笑))。
なんでも口にすることとは、自己犠牲や義務や信じてもらえない恐れもなく、
ただ、受け止めて流しての自然な循環であるのかもしれません。
私が、もっと見えない世界とともに、より自然でいられるように
予期せぬ展開を楽しんだ1日でした。
まるの日さま、みなさま、本当にありがとうございました。
新作本も8月8日で∞ですね***。
よろしければ質問させてください。
昨日、夜寝ていると、腕を叩いて起こされました。
ですが、周りにはそれをできる人は誰もいません。
そんなこともあるか、くらいでまた寝たんですが、
また同じように起こされました。
そのとき、空中をメロイックサインが浮遊しているのを見ました。
すこしネットで調べると色々意味があるようでしたが、どういう意味合いだったのでしょう?
また話ががらっと変わるのですが、
昔から聞きたかったことをもう一つ質問させたください。
他人の悪い念の影響をうまく受け流すオススメの方法とかございましたら、
もしよければ教えてください。
神戸でのワーク、お疲れさまでした。
神戸の夜景、また、良いものですね。
気を付けてお帰りくださいね。
でも頭が悪すぎてモヤモヤしたままのこと。
それを今回ハッキリクッキリした文章で読むことができて。興奮&感動←感情的笑。
なので我慢できずにコメントしてしまいました(ごめんなさい)
自分では言葉にできなかった感覚を活字として読むだけで、こんなにも癒されるものなのですね。
まるの日さんのお答えはまだですが、すでにニルバーナな感じです。
はんとうにありがとうございました。
あ、まるの日さんのお答えも楽しみですよ!(笑)
確かに地鶏さんの説明に納得ですが、もっと柔軟性のある状態な気がしています。逆にもっと感情豊かになるイメージがありました。(感情の起伏が激しいという意味ではないですよ。)
私の思い込みや勘違いがあるかもしれないです。
まるの日さん、もしよろしければノーガードについてあらためて教えていただけないでしょうか。
気が向いたとき、何かのついででかまわないのでブログ内でお話ししてくださると嬉しいです。
本質に繋がる、という言葉も、人それぞれ違う意味でとらえているのかな…と思いました。
地鶏さん、もしお気を悪くされたらすみません。
橋の真ん中を歩く(中道)とかいろいろありますが、
まるの日さんのフォーカス世界の座標?
球体の中のc1を囲むトラワレ領域がすべて
自分だとゆうのが感情なだけで
それを包む大きな世界は∞だなと・・・(笑)。
そうゆう内容のあの世ワークでしたので
図みたら、なんかすっきりすると思われます。
感情は、いろいろつながるために必要だなぁと思います。
苦しみからの35は、やっぱりしんどいな~と思いますが
ライトサイドでいることも、信じることをさまざまに学ぶので迷います。
あーでもないこーでもないとしてるだけで、誰かの役にたってる人もいると
まるの日さんはおっしゃっているので、
人を分ける時点でベツモンになるかなと。
帰りの電車でも寝落ちしそうなくらいで帰宅後も可なり身体が重く水も飲めない感じで、身体が早く寝てくれ!と言わんばかりの状態でした。
確かに今までと違う場所に行ったのかなぁと言う感じでした。
マヨヒガから35に持って来たオルガンは如何に!ですが、キーボードでも買ってみようかと思ったりしております(笑)
いつも楽しいワークショップをありがとうございます*
私も一喜一憂せずに日々を過ごせたらどれだけいいかと思います。昔少しもらって蚕を飼ったことがあるのですが、その黙々と桑の葉を喰む姿にすごく癒されました。本質に繋がっている生き方を見せてくれていたからだろうって思います。