ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

大分県中津市の河口近くの中津城天守閣から眼下の中津川を見ました

2015年04月24日 | 旅行
 大分県中津市の中津川河口近くに建つ中津城に行ってみました。江戸時代には、主に奥平氏が居城として使い、この地域を治めていた拠点です。

 この中津城は、NHK(日本放送協会)が2014年に放映した大河ドラマ「軍師官兵衛」で有名になったのだそうです。その主人公になった黒田官兵衛(黒田如水)が基礎を築き、、さらに細田家の細川忠興が築城して完成させた城だそうです。いろいろな歴史上の人物が関与している歴史ある城です。
 
 中津川の河口近くに建つ中津城は周囲に高い建物がありません。このため、中津市の市街地からも中津城を望めます。





 堀が城を囲み、昔は川・海の水を引き込んでいたそうです。現在の本丸南の堀と石垣は、中津市が修復、復元しています。この修復、復元の際には、黒田・細川時代の石垣改修の跡を見ることができたそうです。

 外観5重内部5階の天守閣の最上階から見える中津川の河口側です。河口は周防灘(豊前海)に面しています。



 天守閣の最上階から見える中津川の上流側です。周囲に高い建築物がないことが分かります。



 さて、この天守閣は、昭和39年(1964年)に、本丸上段の北東隅櫓跡に観光開発を目的に建てられたものです。天守閣は鉄筋コンクリート構造で、外観は山口県萩市にあった萩城の天守閣がモデルになっているそうです。



 実は、天守閣が元々、存在したかどうかは不明だそうです。江戸時代の絵図には天守閣は描かれていないそうです。

 天守閣の中に、明治時代の廃藩置県時に、廃城になった時の写真があり、これには天守閣はありません。
 


 この観光を目的に建てられた天守閣ですが、市街地側から天守閣を見ると、市街地を守っているとの感じがします。なかなか複雑な感想です。

 天守閣の横には、奥平神社が建っています。

(追記)
明治3年(1870年)に、 中津市出身の郷土の名士になっている、当時の中津藩士の福沢諭吉の進言によって、中津城は御殿を残し、その他の建造物を破却するという措置がとられました。