鯉幟の援軍

2013-06-04 00:00:00 | 素浪人小野寺力
その男は、薪を割っていた。
恵まれた体躯。
額ににじむ汗。
血管の浮き出た太い腕。
唸りをあげる鉈。
乾いた音を立て、薪は真っ二つになった。

男は、力を持て余している。泰平の世を儚むことすらある。
武芸に励み、師範代の免状まで頂戴し、故郷の城に仕官が叶ったというのに…。


男が騒ぎを聞きつけたのは、その時である。城の門前より、聞き覚えのある胴間声が響いていた。
「しまどのおっ!嶋殿はおらぬかぁ!!」
全身を響かせるような蛮声の主は、あの真田幸村を思わせる鮮やかな真紅の具足で身を包み、顔は立派なもみあげをたくわえていた。
「嶋殿ぉっ!」

「わしの名が呼ばれている…?」
男は汗を拭うのも忘れ、門へ走った。耳に指を突っこみ胴間声に耐えていた門番を横に押しのけ、小窓を覗いてみると、なつかしい顔が目に飛び込んできた。
「お主は…廣瀬ではないか!」
「おお、おったおった!久しぶりじゃのう!ちと、話があってのう」
「そういうことなら番の者を通せ…」
「まどろっこしくてのう。声を張り上げた方が楽じゃ。実際、お前も来てくれた」
「…して何用…なんじゃなんじゃ、大名行列か!?」

嶋は門を開けるなり仰天した。小窓からは廣瀬の姿しか見えていなかったが、後ろに数百の侍が控えていた。
「はっはっは!戦をしに来たわけではない。供の者もおるが、わしらが旅すると、なぜか赤い着流しの者たちがついてきてのう。まあ、悪い気はせん」
侍たちは一様に赤い具足を身にまとい、その背には旗の代わりに鯉幟が揺らめいていた。
「城のみなが騒ぎ始めておるぞ…」
「まあよいではないか。それでの、わしは国元からの使いで参ったのじゃ。聞いたぞ。なんでも、そこもとの姫君の機嫌が麗しゅうないとな。その不機嫌の種が、わしらの目の上のたんこぶと同じと聞いて、黙っておれんでの。連中の正体、お主もよう知っておろう。かつてわしらと同じ釜の飯を食った同輩を、次々と拐かした旅芸人の『猛虎一座』よ」
「あやつらか…!」
「やつら、我が国元で立派に育て上げた侍を次々とさらい、芸人お真似事をさせているともっぱらの噂じゃ。わしらも黙ってはおれなくての。今日は姫様に元気になっていただけるものをお持ちした。心おきなく収められよ。者ども、荷を解け!」
ぞろぞろと馬が行列をなし、ずしりと重いその荷が馬の背から下ろされ、門の前に山と積み上げられた。
「これは、もしや…」
「勘がいいのう!」


「あっ!もみじまんじゅうの匂い!」
わく姫は突如として布団を払いのけ、立ち上がった。
「姫、またうわごとを…」
「銀!門を見てまいれ!これはもみじまんじゅうに違いない!しかもたいそうな量じゃ!はよう、わらわの部屋に運べ!じいにつまみ食いさせてはならぬぞ!茶の用意も!はよう!はように!!」
早口でまくし立てると、わく姫の表情にみずみずしい血色が漲り始めているのが見えた。


まんじゅうが城内へ運ばれる間、嶋左近重宣と廣瀬茶蟻(ちゃあり)純之尉は旧交を暖めていた。
「嶋殿ほどの使い手が、薪割りをのう…」
「お役目があるだけありがたい。火起こしもうまいぞ」
「ははあ、さては姫君の風呂を覗いておるな?」
廣瀬がにやにやと笑い、嶋をのぞき込む。
「いや…わしは姫様の風呂番はしておらん」

「へえっくしょん!」
「なんですか銀、はしたない。誰ぞ噂しておるのかもしれんぞよ。ああ、それにしても、もみじまんじゅうはおいしい」
「うまいのう」
「じい!分けた覚えはありませぬ!」
「かたいことは申すな、もぐもぐ…おや、これは?」
もみじまんじゅうを詰め込んだ木箱の底に、ひっそりと文が添えられているのを久信公が見つけた。
「これは…藩主の姫君からですな」
栗山が手紙を受け取り、読み上げた。

「宮島の神より賜る菓子にございます。ご賞味くださいませ。
わらわも国元では大食いで横に出るものがおりません。
いつかわく姫と、ひと勝負しとうございます。 かん」

「…だそうでございます」
「かん姫か、どのようなお方であろうのう…もぐもぐ…」
わく姫は、両手にもみじまんじゅうをつまみながら窓を見やり、遠国に思いを馳せた。
城の外には心地よい皐月の風が舞い、何匹もの鯉幟が泳ぎ回っていた。


同じ刻。小野寺は江戸を離れ、尾張の山寺へ向かっていた。
(つづく)