ロシア・サンクトペテルブルク・その2(エカテリーナ宮殿)

2019-03-11 21:58:50 | 旅行 ・ 装飾吊り看板

 

  こんにちは

  更新が遅くなって申し訳ありません。

  今回は、ロシアのサンクトペテルブルク郊外にあるエカテリーナ宮殿をご案内します。

  ↓前回は、宮殿に到着したところで終わりました。

        

 

  エカテリーナ宮殿は、当時首都だったサンクトペテルブルクの中心部から25kmほどの郊外にある

  ツァルスコエ・セロー(皇帝の村)の中に夏の離宮として建てられた宮殿です。 

  皇帝一家はいつの代にも、湖や噴水庭園や建物の美しいツァルスコエ・セローの地が気に入って、

  夏でも秋でも出かけて行っては、エカテリーナ宮殿に長く滞在していたということです。

  何かあればすぐに首都の宮殿に戻れる近さですし来客も呼びやすい距離ですので、気楽にゆっくり

  することができたのでしょう。

 

  ↓全長325mの長い宮殿。写真左側の青色、白色、青色の外壁の部分が宮殿の真ん中になります。

  芝生の緑や植物の葉の色で円や弧を描いた綺麗な庭園も、今は雪に埋もれて何も見えません。  

        

 

  ↓宮殿に入りますとすぐに正面階段があり、ここを中心に北側の棟と南側の棟に分かれていました。

  主要な部屋はすべてこの階段を上がった二階に並んでいます。

         

  正面階段に近いほうから来客を迎える広間やパーティーの間、客間があり、奥に行くに従って

  皇帝一家の居間や書斎、子供部屋、寝室などのプライベイト・スペースになってゆきました。

 

  ↓白いレリーフで統一された階段の壁の装飾。

         

  ↓時計が埋め込まれている装飾(下のほう)もありました。

         

          

         

 

  ↓下は、南側の棟にある大広間です。この宮殿の中でも最もメインになる重要な部屋。

  長さ47m幅17m、256坪あります。パーティーや集会などさまざまな行事に加えて、皇帝謁見も

  ここで行われていました。床は大胆なデザインの寄木細工になっており、目を引きます。                

                        

  ↑1791年に日本人の漂流者大黒屋光太夫が、かの女帝エカテリーナ2世に謁見し帰国を願い出て

  許可されたというエピソードもこの大広間でのことでした。         

         

  ↑大広間の天井は、これは「だまし絵」なのでしょう、あたかもこの広間の上にまた宮殿が乗って

  いるように錯覚する、立体的に描かれた天井画になっていました。

  ↓下はその天井画の一部ですけど、一見して平面には見えません。

         

 

         

  ↓下もその大広間の一角です。金の装飾は木彫の上から金箔を貼ったものだそうで、婦人像や幼い

  少年像、薔薇や植物が絡み合った文様などが配置されていました。     

                 

  ↑このゴージャスな雰囲気に、パリ郊外にあるヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」を思い出してしまい

  ました。 

  そのはず、6代皇帝のエリザヴェータ(女帝)がヴェルサイユ宮殿に招待され、その美しさと豪華

  さに刺激を受けて帰って来るなり、エカテリーナ宮殿を全館ロココ調の豪華壮麗な宮殿に建て替え

  るようにと命令を下したそうですので、当然、評判の高い「鏡の間」を参考にしたと思われます。

 

  当時ヨーロッパの王侯貴族の間ではロココ調が大流行しており、エリザベータはそれをパリで目の

  当たりにして、ロシアは欧州の仲間入りをしたとはいえ、まだまだ遅れていることを痛感したので

  しょう。この人は、初代皇帝ピョートル大帝の娘です。

  

  1756年、このエリザヴェータの代に、現在のエカテリーナ宮殿の325mの全容が完成しています。

  その後ドイツからお嫁入りしてきた、かの有名な女帝エカテリーナ2世が自分の趣味に合う室内装飾

  に改装してあちこち手を加えたということです。 

  いわばエカテリーナ宮殿は、女帝たちが代を重ねて創りあげていった女性好みの夢の宮殿でした。

  

  すべてはヴェルサイユ宮殿から始まったことですけど、その美意識の格調の高さではヴェルサイユ

  宮殿には及ばないと思えました。やはりパリは凄い。 

  そして後年フランスもロシアも革命が起り、皇族貴族は処刑されてしまい、宮殿だけが残りました。

 

  ↓下は、先ほどの大広間の隣りにある「帯勲者の間」です。

  勲章を持っている人たちだけが招待される部屋。小規模なレセプションなども催されました。     

         

  ↓部屋の隅には下のような豪華な装飾タイルのペチカ(暖炉)が備えらえていました。

  このタイルはオランダ製のデルフト焼だそうで、壁に埋め込むロシア式ペチカです。

  冬は極寒ですので、各部屋に設置されていました。火が入ると全体が紫色に染まるそうです。 

         

  ↓素晴らしいロココ調の金の装飾や椅子。             

         

 

  ↓下は、正面階段を上がった廊下に置かれていた大理石の「眠っているアモル(キューピット)」。

  階段を挟んだ対面の廊下にも、対になった「目覚めるアモル」が置かれています。

  この宮殿でも人気者のキューピット像です。           

         

 

  いったん正面階段の場所に戻って、次に北側の棟を回ります。

  ↓下は「白い祝賀用の食堂」と呼ばれる来客用の接待の間。ロマンティックでエレガントなテーブル

  クロス。祝賀用に出された食事はとりわけ豪華なものだったということです。 

         

 

         

  ↓この飾りの壺は、ヨーロッパ磁器の最高峰と言われるドイツのマイセン窯のものです。        

         

  ↓給仕人の制服。室内のあちこちに立っていました。

  飾り食器棚などのプライベイトな家具が置かれているところを見ますと、公式ではなく、比較的

  親しい間柄の来客を接待した部屋ではないでしょうか。

         

  ↓この部屋の天井には絵画が嵌め込まれていました。

         

 

  次回もエカテリーナ宮殿を続けます。是非またお出かけください~

 

 

                            

        

        

        

 


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