ロシア旅行(聖ワシリー寺院)

2019-01-12 21:59:40 | 旅行 ・ 装飾吊り看板

 

  こんにちは

  新しい一年がスタートしました。 

  今回は、先月旅行したモスクワの聖ワシリー寺院の中を見学したお話をいたします。

 

  聖ワシリー寺院は赤の広場に建っており、クレムリンなどと一体になってモスクワで最も人気の

  ある世界遺産の観光スポット。

  クレムリンをはじめこの辺り一帯は、おとぎの国のテーマパークかと思うほど色鮮やかで個性的

  な建物が並んでおり、ロシアの芸術的センスに圧倒されます。

 

  ↓聖ワシリー寺院は、ロシア正教会の大聖堂。キリスト教の教会です。

  八つの玉ネギ頭の小聖堂と中央の背の高い主聖堂から成っていて、時のイワン雷帝がカザン市対戦

  の勝利を記念して建立。1560年に完成しました。カラフルな色を塗ったのは17世紀に入ってからです。  

  ちなみに右手前の丸い台は、公開処刑場だったそうです。                              

        

      

  同じキリスト教の教会でも西欧のカトリック教会は、高い尖塔やステンドグラスのある優美な

  ゴシック建築ですけど、ロシア正教会は皆、この可愛い玉ネギ頭の教会でした。

  本当は玉ネギではなくて、祭壇のロウソクの炎を表しているのだそうです。

 

  カトリック教会とロシア正教会の違いを簡単にまとめますと。

  11世紀頃に、キリスト教会が西方教会と東方教会に分裂しました。

  西方教会は主に西ヨーロッパに広がっており、ローマカトリック教会など。

  東方教会は主に東ヨーロッパに広がっており、ロシア正教会やギリシア正教会など。

 

  私たちにはあまり馴染みのない東方教会ですけど、イエス・キリストや聖母マリアを信奉し聖書

  を使っており、ミサなども行う点では両者とも同じです。

  ただ、宗教的な表現がカトリック教会などとはずいぶん違っていました。

  また、西方教会がヴァチカンのローマ教皇を頂点にして全体が権威的なヒエラルキーになってい

  るのに対し、東方教会のほうは、トップがいなくてゆるやかな結束ということです。

 

  ↓さて、聖ワシリー寺院の前にやってきました。ここは観光客用の通用口のようです。

  なんと屋根の上で雪かきをしている人が。ワシリー寺院の雪かきなんて、そうそう見れるもの

  じゃないんだし。雪が落ちてくる瞬間を狙って。     

         

 

  ↓入ってすぐに、どれかの玉ネギ頭の聖堂の中へ。

  狭い室内にイコン画が壁から天井にぎっしりと描かれています。左手前に、聖母子像のイコン画。

  驚いたことに、西欧の教会で必ず掲げられている十字架に架けられたイエス・キリスト像が、ここ

  ではいっさい見当たりませんでした。

        

  ↑上の写真の左側面の大きな家具のような壁は「イコノスタシス」と言って、至聖の内陣と信者が

  祈祷する場所を仕切った壁。イコンで覆い尽くすことになっているのだそうです。

  狭いので、ミサの礼拝の時などには真ん中のドアのような所を開くのでしょうか。

  

  ↓下の写真も上と同じ室内です。とにかく狭いのです。   

         

 

  玉ネギの丸屋根は九つありましたけど、九つの聖堂は迷路のような廊下で繋がっていて、今自分が

  どの丸屋根の聖堂にいるのか、さっぱり分かりませんでした。

  

  ↓廊下にもイコン画が展示してありました。

  イコンというのは、宗教的な絵を描いた画像のこと。主に東方の正教会で用いられる名称だそう

  です。右側に描かれている半裸の男性は、この寺院の名前の由来となったワシリーという人で、

  寺院の至る所に描かれていました。   

           

  ↑ワシリーは白痴で、どんな天候でも服を着ず家もなく貧困で、いつも裸足で歩き回っていました。

  ところが彼には天から授かった予知能力があり、モスクワ市の3分の1が燃えた大火事などを予言

  し、予言が当たっていったので、市民からたいへん慕われていました。

 

  ワシリー亡き後、時の権力者イワン雷帝自らが棺を運び、この寺院に埋葬。

  それ以来、この寺院は「ワシリー寺院」という愛称で呼ばれるようになったということです。

  この寺院の正式の名称は、和訳では「堀の生神女庇護大聖堂(ほりのしょうしんじょひごだいせい

  どう)」。正教会では、聖母マリアのことを生神女(しょうしんじょ・神を生みし女)と呼びます。

 

  ↓下は、その聖ワシリー像。天から予言の啓示を受けている場面でしょうか。

          

 

  ↓下の、聖母マリアの円の中にイエス・キリストがいるこの構図は、チェコの画家アルフォンス・

  ミュシャの大作群「スラブ叙事詩」の中にもありましたし、ほかでも見たことがあります。

  チェコもロシアもスラブ民族。ミュシャは東方教会の信仰で成長した人でした。      

          

                     

          

 

          

 

  ↓二階に上がりますと、てっぺんまで吹き抜けになっていて、さらに豪華なイコノスタシスが。

  天井の上は丸屋根が載っているのでしょう。                              

         

  

  ↓イコノスタシスの上のほうにある小さな円形のイコンには、新約聖書の重要な場面が描かれて 

  いました。左から「受胎告知」「イエス生誕」など。

  こういった絵は西方のカトリック教会と同じですけど、ここにも十字架の刑は見当たりません。 

        

  

  ↓下は、その「受胎告知」のイコン。大天使が右側のマリアに受胎を告知している有名な場面。

          

 

  ↓下は上方中央の「最後の晩餐」。イエスと12人の弟子たちですけど、裏切り者のユダが左に隠

  れています。興味深いことに、イエスの右隣にいる弟子は、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」と同

  じく女性です。見えにくいのですけど、胸の空いた服に胸の前で両手を交差させています。

  一時世界中で話題になりましたけど、やはり弟子の一人は女性だったというのが真実では?                            

          

         

  ↓上の聖堂を見学し終わる頃、四人の歌手が並んで、賛美歌らしき歌とロシア民謡をアカペラで聴

  かせてくれました。本格的な綺麗なコーラスですので聖歌隊のメンバーかも。

  歌い終わったら彼らのCD販売。10曲づつ入ったCDが3枚で1500ルーブル、3000円だそうです。                 

          

 

  ↓下は、ショップです。

          

 

  ↓二階から見た赤の広場の一部。ミーニンとポジャルスキー司令官の青銅像の先には公開処刑場の

  白い円台、その向こうに見える茶色の建物はグム百貨店。120年前からある百貨店です。

  このワシリー寺院と同様、赤の広場を目の前に、ロシア帝国からロシア革命、ソ連共産党、ロシア

  連邦へと、激動の全てを見てきた建物と言えます。

          

 

  ↓壁や天井にフレスコ画が描かれた綺麗な出口。階段を下りて寒い屋外に出ました。        

          

 

  以上、聖ワシリー寺院でした。 

 

                              

 

          

           


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