独・チュービンゲンの街と装飾吊り看板・1(詩人と小説家)

2019-02-09 22:12:37 | 旅行 ・ 装飾吊り看板

 

  こんにちは

  毎日寒いですね、皆さんお元気でお過ごしでしょうか。

  今日は、去年の国境地方の旅に戻ってドイツ南西部にある大学の街チュービンゲンにご案内します。

 

  この旅行は、前回のミッヒェルシュタットで一応の区切りをつけたつもりでいたのですけど、装飾の吊り看板が掛かっている町がまだ残っており、紹介できていないのが何とも心残りで・・。 

  ですので時々ですけど、さかのぼって吊り看板の町を拾い上げたいと思います。  

 

  さて、チュービンゲンは、ネッカー川上流域にある河畔の街、去年お話した黒い森地方にあります。 

  1477年、片田舎のこの土地にエバーハルト伯爵がチュービンゲン大学とシュティフト教会を創建して以来、文化的な街に大きく変身しました。現在は出版業も盛んです。

  

  チュービンゲンで最も人気の観光スポットは何といっても、ネッカー川の中洲にあるプラターネンアレーと呼ばれる1kmほどの散歩道。

  プラタナス(鈴懸)の並木が続き、豊かな緑とボートが往来する川、岸辺の色とりどりの家並み、

  すべてが調和してロマンティックな詩情を誘う、それは美しい風景なのだそうです。

  なのだそうです、と言いますのは、出かけたのが12月下旬でしたので緑は枯れ、ボートも人影も無く、水辺は寒く、観光には最悪の時期でした。

  ↓下の写真はその中洲(左側)とネッカー川です。              

         

 

  静寂の中に小鳥の囀りが聞こえる散歩道を伯爵の名前を付けたエバーハルト橋まで歩きました。 

  枯れ木ばかりとはいえ、鈴懸の実がなっていて散歩道から眺める歴史地区(旧市街)のカラフルな家並みは素晴らしく。

  途中まで来ますと、チュービンゲンの重要な建物が集まっている観光スポット↓がありました。

 

  ↓下の写真の中央の高い塔がエバーハルト伯爵によって創建されたシュティフト教会です。

  並んでいる三つの大きな建物は、やはり伯爵によって創立されたチュービンゲン大学の校舎や旧大学本部。

左端の建物は最初は学生寮だったのが大学病院になり、現在は哲学科の校舎だそうです。

                                   

  ↑そして川に突き出るように建っているとんがり屋根に黄色の壁の家は「ヘルダーリンの塔」。

  有名な詩人ヘルダーリン(1770~1843)が、亡くなるまでの36年間、幽閉されていた塔です。

 

  ↓下の写真のほうが見やすいでしょうか。ヘルダーリンは30代後半から精神病を患っていました。

  当時、大学病院になっていた左端のピンクの建物に入院していましたが治る見込みはないと言われ、彼の作品の信奉者だった家具職人が引き取り、この建物に住まわせたということです。         

                                        

  ↑前面のとんがり屋根の塔にヘルダーリンが住み、後ろに付いている建物に家具職人とその家族が住んで、亡くなるまで面倒をみていたそうです。現在、この家は「ヘルダーリンの博物館」になっています。

 

  ヘルダーリンはチュービンゲン大学で哲学を学び、ニーチェやハイデッガーなどの哲学者に大きな影響を与えました。元気な頃は、ゲーテやシラーとも交流があったそうです。

  この詩人が狂気に到った原因は分かりませんが、痛ましいことです。

    

  ↓さて、エバーハルト橋まで来ました。上に、黒い鈴懸の実が。

                 

 

  ↓橋の上からの眺め。川と中洲を挟んで右側が旧市街(観光地)で、写っていませんけど左側が新市街になっています。         

         

 

  ちなみにチュービンゲン大学のことですけど、ドイツで二番目に古い大学

です。(一番古いのはハイデルベルク大学。)

  ケプラーの法則で知られる天文学者のケプラーや、哲学者のヘーゲル、神学者のカール・バルト、そして先ほどの詩人のヘルダーリンなど多くの人材がこの学校で学びました。

  現在は日本語学科もあり、日本からもたくさんの学生が留学しているそうです。

 

  これから旧市街の中を通って装飾の吊り看板などを見ながら、ノーベル文学賞のヘルマン・ヘッセが若き日に働いていたというヘッケンハウア書店を見に行きましょう。

  ヘルマン・ヘッセは「車輪の下」などの名作を書いたドイツを代表する文学者。

 

  ↓この日はイヴ直前でしたけど、街の中はクリスマス・マーケットが一軒も見当たりません。

  これまで、どの町にも所狭しとクリスマスの屋台が並んでいただけに、驚きでした。

  3万人近い大学生は、ほとんどがクリスマス休暇で故郷に帰っているようで、街は静か。

  なにしろ、街の人口の3人に1人はチュービンゲン大学の学生と大学関係者というのですから。   

         

 

  前半に時間をかけすぎましたので、先を急ぎますね。

  道幅が狭くて入り組んだ、中世からの街の中を歩き回りました。  

  ↓繁華街にもクリスマスの飾りは無く。前方に、良さそうな装飾の吊り看板を見つけました。

         

  ↓看板のアップです。鳥の口ばしに下げているのは、橋を渡っている馬車と人。川はネッカー川?

          

                                                     

  ↓孔雀の下に吊ってあるのはドイツパンのプレッツエル。ベーカリーカフェの吊り看板でした。         

         

 

  ↓王冠を被った羊が十字軍?の旗を担いで。

          

 

  ↓歯医者さんの吊り看板?でしょうね(笑)。

          

 

  ↓旧市街は丘陵地にあり、とにかく坂道の多い街でした。

         

 

  ↓坂の下の右の建物は、先程川の中洲から見たシュティフト教会です。

  ヘッセのいた書店は、そのシュティフト教会のお向かいにありました。

         

 

  ↓真ん中の赤い建物がヘルマン・ヘッセ(1877~1962)が働いていたヘッケンハウア書店。

  18歳から22歳までの4年間、ここで見習い店員として働いていました。

  現在この建物は、二階から上がヘルマン・ヘッセの資料館と博物館になっています。                

         

  ヘッセはドイツの黒い森地方で生まれ、子供の頃は神童と呼ばれるほどの優秀な子だったそうですけど、神学校に入り、途中で挫折して退学。

  傷つきやすい性格だったという彼は、自殺未遂や精神病院などを経験して、この書店に来ます。

  神学校の生徒に本を届けるという気の毒な仕事もありながら、大好きな本に囲まれて働くうちに、次第に詩作や散文などの創作活動に意欲が持てるようになり、生きる道を見つけました。

  以後この街を出て、29歳の時に名作「車輪の下」を書いています。

  スイス人ですけど、ドイツ文学を代表する文学者。85歳で亡くなりました。

 

  ↓下は、お向かいのシュティフト教会。ネッカー川は教会の後ろ側の下のほうを流れています。

  ドイツのルターが宗教改革を起こした後、ルター派の重要な拠点を務めた教会だそうです。         

         

 

  次回あと一回、チュービンゲンを続けます。

     紀平選手、四大陸フィギュアー選手権優勝しました!

     おめでとうございます!

 

 

                 

 

         

 

              


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