小学校三年生で、むずかしい曲を弾いています。
上から下まで、ハイポジション、フラジオレット、トリル、三音の重音・・・
どれも目くるめく忙しい技法のオンパレード。本当に、よくがんばってくれています。
子の直感。さすがだなと感心することといえば、“弾きにくい指番号を、自分の指使いを見つけてそれで弾く”ところです。
ファーストポジションではなくてほかのポジションで弾いた方が美しいフレーズ、より世界を表現できるフレーズがあります。
でもそれは新しい方法で、馴染まないやり方。
私は「書いてある指番号でやってごらん?」と3回くらいに渡って言ってみたのですが、最終的に彼女は彼女の弾き方を貫くことにしました。
他も試し、選ぶ、ということが大事です。
優先順位を自分の中でつけられた“それがいい”のです。
もちろん、有り得ない指番号、音楽的につじつまがおかしくなってしまう方法で弾いていたらそれは「やり方を知らない」ということになりますから、注意が必要です。
しかし、「先生の言うとおりにする」ということがおけいこの目的ではないはず。
もし、かたくなに弾き方を変えないお子さんがいても、頭を抱える必要はありません。
「そう弾きたい」理由が子供それぞれにあります(その“わけ”を知れれば、大人の私たちも納得できますね。)
かたくなに弾き方を変えない自由も、ありです。
そこを伸ばしていけば、そこが「自分自身」の軸になる部分になるかもしれない。
もちろん、全部理想的な弾き方で弾けたらパーフェクト。
でも、「どう弾くべきか」にばかり焦点を合せてしまうと「ここができてなかった」「間違えた」など足りない部分を探してしまいそうです。
「何を弾きたいのか」を直感で分かっている人は、選択が早い。
快か不快で選ぶということを彼女は実践しています。
「何を弾きたいのか」を考えよう
弾けるは弾ける。なんでも弾ける。
でも「どう弾きたいの?」という問いが頭から抜けてしまっていると、その人にとって弾くことって、急に色あせてしまう。
子供だったら、「練習という単純作業をこなすこと」になってきて、そうすると本人は楽しくできない。
大人だったら、「譜読みすぐできちゃうし、でもそっから先どうしていいのかわからないなあ」と、いう感じでしょうか。
どんな曲なの?あなたは何を弾き表したいの??
そこを少しクリアーにすると、急に「そっか!そうだったんだ」と、初心に帰ったような気持ちが沸いてきたり、自分の演奏に“価値”が感じられたり。
そんなことが、クリエイティビティにつながるのではないでしょうか。
それに一役買ってくれるものは、ストーリー作りです。
歴史や物語がついているおいしいチョコレートと、ただおいしいですよと販売されているチョコレート、同じ味だったら、印象に残りやすく、深みを感じやすいのはストーリーつきの物。
歴史の人物、建造物などが愛されるのも、そこに想像を膨らませて、夢を見たり感じたりすることができるからです。
そしてそれらの体験は、その人の人格の一片として一役買うことすらあります。
そろった音の粒、正確なリズム、音色、それらは配役のようなもの。彼らがいなくてはお芝居ができません。
が、配役が揃っても、脚本がなければ作品は生まれません。
ストーリーがあって始めて音楽になるのです。それは、簡単な8小節の曲でも、エチュードでも、音楽と呼べるものでしたら共通しています。
身近にあるもの。今自分がハマっているもの、なんでもいいので、ぜひ想像を膨らませてください。
音楽は私たちに語りかけています。
さて、ザイツのコンツェルト。3年生の女の子がイメージできやすいストーリー。
一楽章は、こんなお話をしてみました:
ある国に王子様がいたの。ある日家来が「王子様!お姫様から手紙が来たであります!」と言って手紙を持ってきたの。
それはラブレターだったの!(「ラブレターってなに?」と訊かれました^^;)そして、中を開けて読んでみると、
「王子様と今度デートをしたいけれど、悪い王様と結婚しなくてはいけないから行けません」と書いてあったの。
悪い王様は、黒いお城に住んでる悪いヤツで、黒い馬に乗っている。
優しくて美しいお姫様、この間はハンカチを僕に貸してくれた・・・と王子様はお姫様を思い出して気分に浸り、
「お姫様をあの悪い王様から助け出さなきゃ!」と、王子様は白馬に乗ってお姫様を助けに行く・・・
というストーリー。楽譜でいうと7段目までの部分。
全部でたらめの創作なのですが・・・(汗
さいわい彼女はこの話をとても気に入ってくれました。
「絵は好き?」「大好き!」
「じゃあ、王様たち登場人物の絵を描いておいでよ」
レッスンが終わったら、ソファに座って、楽譜を貼っているスケッチブックの新しいページにどんどん絵を描き始めました。
三楽章はこんなストーリがつきました:
スズメがいっぱい、電線にちゅんちゅん、ちゅんちゅんって集まって来て飛んだりはねたりしてるの。
そこへ悪いネコがやってきて、スズメを狙っている。
頭のいいスズメたちは、小石を口にくわえて猫にぽとっと落として、それがポンポンポン!とネコに当って、ネコがひっくり返っちゃう。
そこへ勇ましい筋肉隆々のスーパースズメがやってきて、「元気だったかい?」頭が上がらないスズメたちはヘコヘコしながら「元気だったよ~~ヘラヘラ」
そして一匹、二匹、三匹と空中飛行を披露する。
Q.「一番綺麗に飛んだのはだあれ?」A.「・・・三匹め」
Q.「じゃあ、たかーく飛んだのは?A.「二匹め」
「中くらいが一匹目だね」
あと、でぶっちょの甘いもの好きのスズメも出てきました。Dolceでpの部分でした。
・・・・
登場人物のキャラをまず設定して、そこから起こる感情や、出来事を考えていく。生活の中から、自分の知っている/体験したことのある感情など。
まるで映画監督になったつもりになって、自分だったらこんなセットを作るな~とか、どんな俳優さんに演じさせようか、とか・・・
「設定」が音楽という物語を膨らませ、立体的に、表現豊かにする目的が見つかります。
そして、とても私が気に入っていることなのですが、この設定をする作業は普遍的であるということ。
音楽を奏でたいと思った人なら誰でも、これができるのです。生きていれば、経験をしているなら。それが音楽の素晴らしさであり、人間が作り出した芸術が人を癒したり元気付けたりする部分なのです。
うまいヘタ、大人子供、おとこやおんな、何も関係なく、“想像の自分のストーリーを感じるままに作る”そこが一番音楽の要になり、その世界観を表現するための技法であり練習となります。
さて彼女自身、心が今、少しざわついています。
新しい成長の段階に入り、今までちっともこだわっていなかったことが、気になりだしたりしている。
彼女自身がゆらゆらと揺れているのです。
習ったとおりに模倣する。その“正確に弾くこと”に集中できた時代と彼女は別れを告げつつあります。
そして、次の扉である“自分はこうしたいの!”に向かって今、エンジンを吹かしながら突進していっています。どのくらいエンジンを吹かしたらいいのか?どこへ向かっているのか?まだ分からないので、エンストしたり、左の角にぶつかったり。
でもこれから“私!”が見出されていって、それが“正確さ”と統合されたら
“方法を使ってやりたい音楽をやる”ことにつながってゆけます。
とても楽しみです!
そして難しさを乗り越えられるのも、やはり想像力。ストーリー。難しいことや忍耐は人を時として疲れさせますが、そこに自分の好きな世界観が創造されていたら・・・見方は変わり、別の形でリトライできます。
目線を変えるためにも、ストーリーは役に立ち、自分が何を成し遂げたいと思っているのかを分かりやすく提示してくれます。
う~~~ん、これは物語好きの私の方法??いやでも、心理学者の故・河合隼雄さんも物語がいかに人間心理に意味深き良き働きをしているかを常々説いていらっしゃった。
著作もたくさんありますよね。て!読んでませんが!
いつもありがとうございます
横浜・ガーデン山バイオリン教室 -大崎 まりあ
レッスン・体験レッスンのお問い合わせ
maria_ohsaki☆yahoo.co.jp(☆を@に変えてください)
ご連絡を下さる際には、こちらのページを参考に、アンケートにお答えくださいませ
090-5439-9565
(教師・大崎まで)