marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

異邦人ー2ー〔この国の人々〕

2017-10-06 07:00:00 | 日記
 深夜だったがぼくは姉に電話を掛けた。彼女が所帯を持ってから音信不通状態であったが、そろそろと思い時折メールを開始していた。車の運転はいつもぼくであったが今年のお盆に両親が墓参りに行かなかったと連絡していたので、そろそろかなと思っていたらしい。県外にいる姉は、今日(日にちは次の日となっていた)一番で向かうからと連絡があった。
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 葬儀屋が2名、移動寝台を引きずって部屋に入ってきた。既に親父は2名の看護婦に体を拭いてもらい、白い袋のようなものに包まれていた。体を拭いたアルコールの臭いがした。担当医が死亡診断書を書いて持ってきた。また、ひとこと言いたくなったが、ありがとうございますとぼくはその封筒を受け取った。
 少し広い個室に移されたのはこの時のためのように作られていたのかと思わされる広さだった。寝台を中に入れ葬儀屋と看護婦はシーツをつかんで重そうに移送寝台に親父の遺体を乗せるとベルトで固定した。深夜、病院は廊下も薄暗くすべて静かだった。廊下には一般人が通らない裏手に回る通路があった。そこをとおると移動寝台専用の広いエスカレーターがあった。移動寝台は遺体が載ると葬儀屋にゆだねられた。医師と看護婦二名は一階までついてきて、葬儀社のワンボックスカーに乗せられると、車に向かい深々とお辞儀をした。ぼくは、医師と看護婦にお礼を言い、葬儀社の車の後を着いて行った。
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 葬儀社の一室に着くと一室に案内され、そこは十畳ほどの和室で、奥に遺体を置く空間、衝立、手前に祭壇、机があり、両サイドにランプのろうそく、花、そして果物、金・・・曰く、ノーマルな仏式の祭壇があった。新たな布団に、運ばれた遺体が頭を右に寝せられた。このような深夜だから動くのは深夜持ち回りの管理者なのだろう。その部屋のテーブルで名刺をくれて、てきぱきと火葬、葬儀までの段取りを話してくれた。仏式は何宗ですかと訊かれた。宗派によって段取りが異なるからであろう。お寺さんと連絡を取られて打ち合わせをしてください。この地方では火葬をされてから葬儀を行うのが殆どですと言ったので、そうですねと同意した。
 遺体を一度、病院から自宅に戻し、そこであれこれやることもあるのだろうけれど、僕ら(姉と僕)は、まったくそれらが煩わしく(このように書くと親族は怒るだろうが、第一に故人となった親父自体が煩わしく思うだろう、俺は一時眠るだけだからと・・・)大げさになるので家族葬だけでと当初から考えていたので、遺体は一晩、葬儀社に預かっていただくことにした。広い和室で、親族一同関係者など集まって、故人をしのびつつ飲み食いなどもあるのだろう。現に広い葬儀社内には何室か広い部屋、和室やテーブルの洋室もあるようだったし、現に次の日、人が多数集まってそんな催しをしているふうであった。故人と最後の夜を共に寝ないでいる準備もあるようだったが、僕はまったくそのような考えはなかった。
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 早朝、会社に電話し父親が亡くなったことと、しばらく休ませて欲しいと連絡をした。姉は、朝十時までは葬儀社に着くとの連絡があったので、僕は葬儀屋の管理者から言われた諸々の書き物を持って、その時間に合わせて葬儀社に向かった。・・・ 続く 

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