marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(74回目)

2016-07-30 21:08:30 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
ヨハネ伝第10章はイエスが明確に自分の事を自己定義した内容が書かれている。僕が福音書では好きな話の第9章(生まれつき盲目であった青年が癒された話)からの続きとなっている(10:21み悪霊は盲人の目を開けることが出来ようかとあるからね)。それでこの10章はそのままその場に居合わせていたユダヤ人、パリサイ人に対して述べたものであったことが分かるのですね。イエスは当然、自分の最後十字架に掛かられるであろうことも父の命として知っていたから自己定義というか自己啓示というか、しっかり自分の役目をこの前半で話したという訳なのだが、聞く方のユダヤ人は、さっぱり分からない、理解できない・・・。
◆ここで、1節から18節まで(前半)と22節からは場面(後半)が変わりますね。1節から18節までは、イエス御自身は「自身の父からの使命の門」であり、また、「羊(信者)を導く羊飼い」であると言う。
さて、この第10章があまり説教で語られないのは、イエス個人の自己啓示でありその事だけが書かれているから? いや、実はその理由の深いところが読み切れていなからではないかといつも僕は思ってしまうだ。それは、イエス御自身は見えない今、その「門」や「羊飼い」に変わる人が今までだれであったのか、そして今も誰であるかということなんだね。どういう考えでイエスの言葉を了解していたかということだ。
◆イエスの弟子であり、彼に替わる者であると自認するならば、15節「わたしは羊のために命をすてるのである」ということを信じてその役目を仰せつけられていると自己表明されているその道の方がどれほど存在しているのかしらという事ですね。今、このときに、そして歴史の中においてもですが・・・。それを真に、つまりイエスの言葉へ根付かせることをどのような手段で目標を目指そうなどトライされている方がいかほどいるのかということ。イエスの言葉は2000年以上前の言葉でキリスト教の歴史も長いものがあるが、その途上で、イエス御自身は見えないからそれに変わる聖霊が注がれるのは良いとしても、一つ何らかの組織ができると内容がともかく、その組織の維持をする役目を単にこなすだけで、良き働きをしているのだと勘違いされる方がおられるからな。で、つまり、尊い仕事?ではあるが、「でも、しか○○」になってしまっている方があったとすれば、伝道は求められないと成ること必須。カトリックの歴史でも自分は神だと表明する法王が現れたくらいだからね。もう一度、心して前半を読んで見よう。
◆そこで、我等の怖れは(誰でもであろうけれど)光を装える部分、「従順」として教会組織を肯定すること、それから「生き物として人が持っている良心」、最後に悪魔はここ狙って来るように思われるのだ。心しよう。(16:2)参照。・・・Ω

世界のベストセラーを読む(73回目)

2016-07-29 20:42:00 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
プロテスタントの開祖ルターさんが福音書を読むのであればまずヨハネ伝ということで文句なく世界のベストセラー聖書を読んできました。あまりに世界的な宗教になりカビは生えないとしても埃はかぶりすぎるくらいがちがちにへばりついて、何がなにやら、おまけに時代がくだるにつれて厚化粧まで、ピンからキリまでの話題もあり、しかし、それ故、最もその主旨から遠くなりすぎたイエスの言葉は、実は100円で古本屋から購入した”この聖書は売り物ではありません”と表紙めくったところに印刷してましたが知らずに購入していた国際ギデオン協会からの贈り物聖書から多くを学んで来た訳です。何を言いたいのかと言えば、イエスの言葉は実は今も身近なところに素直な自分の言葉で読めるところにありますよということです。では、
◆第10章は、殆どの教会で説教には取り上げられないのではないだろうか?それは、6節:「イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話になっているのが何のことだか分からなかった。」とあるから?。その道のスペシャリストにも分からなかったのだから我々も・・・と言うわけにはいかない、それはイエスのいきさつを我々は2000年後の今、知っているからね。今は、ゴチックで表題を入れているから内容が先分かりになる聖書もあるけれど、それないのは読み飛ばすと教会の群れにきちんとしないで入り込む輩がいるというふうに不良信徒のことかと読みやすいが、そうではなくパリサイ人(8節:私より前に来た人は)というのは、神のことを説くが雇い人であって(13節)羊のことは気に掛けていないのだ、と言って、正しい良い羊飼いは、羊の為に命まで捨てるつまり十字架に掛かると言うこと、そして自分イエスは、永遠の命の門であり、そこへ導く羊飼いであること、羊は迷わず私に従うのだということを言っているのである。
◆ここで、「入る」と「出る」を読むとどういうことかが2000年後の今では分かるのではないかと思う。1節:羊の囲いに入る。これは此の地上でのイエス信じる群れという囲いに入ること。入るのは羊飼いイエスである(2節)。その門はイエス自身でもある(7節)。そして選ばれた羊は、その群れにある天国への門から羊飼いイエスによって導き出される。(3節)私の羊は、私イエスを知っている。(14節)それは、父が自分イエスを知っているのと同様だ。自分が命を捨てるのは、それを再び得る為、であり、私にはその力があり、又、受ける力もある。これは父から授かった定めである。・・・Ω

世界のベストセラーを読む(72回目)

2016-07-28 19:18:04 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 
冒頭にこれを書かないと読んで、なんだ宗教オタクかと思われても困るので一応書いておきます。プロテスタントの開祖、M・ルターさんのお勧めにより、読むのであれば福音書はヨハネ伝と言われ、兎に角、読み進めてきました。脱線ばかりですが、特に今回は、第10章に入る前にニュースで悲惨な事件のことが流れ、容疑者の言い分をニュースで聞いている限りはドストエフスキーの「罪と罰」の主人公ラスコリーニコフだな、いやもっとひどいなと思ったのであった。
◆で、イエスが「悪魔はもともと人殺しである」という言葉から、「このような事件があるのにどうして私のいう言葉が分からないのか」ということをイエスが思うのではと書いた。容疑者は最高学府も出ていて、そう、親だって小さなころは、かわいがって育ててきたであろうに、そして被害者の方もそれぞれの人生があっただろうにと思うととても残念。悪魔が憑依して人の命を奪うことが本当にあることを目の当たりにした思いである。悔しいのである。
◆そして、カン・サンジュン先生の「悪の力」には、「悪人は本当に実在するのだ」ということを60歳過ぎて知ったとあった。そうだ、イエスの言葉を自分の言葉で読む。万人祭司。我等は、腐るほどある解説書、高額な神学書、長い伝統ある歴史のなかの権化、さまざまあるが我等は、ただ一つ、イエスのことばに立つ、それで何も怖くはないのである。すべての人が、そしてこれは、本当に急務であると考える。
◆さて、そのカン先生が言われたその悪人とやらは、今夏どこぞのキリスト教の教区の修養会で講師を勤められるそうな。政治に絡みも学園の経営もやり、おまけにイエスの群れを牧している者がいかに自分に気づかず、人の人生を曲げ、そしてその中心から最も外れていそうなのにお役目周りとして、皆が勧誘し悪人呼ばわりされた者の話を聴き、修養するというのである。笑止ではないか。カン先生に本で自分のことを書かれたが故に、必死にあちこち回り火消しを行っているようなのである。地に落ちたり・・・日本○○○○教団。どうです、光を装う悪魔はいることが分かるでしょう。
◆(テモテへの第二の手紙第4章3、4節)「人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。」
第10章の前でだいぶ足踏みをしてしまった。しかし、あまり教会の説教でも取り上げられないここ第10章は上に立つ者は本当に心しなければならない事をイエスは語っているのであると僕は思うのである。・・・Ω

世界のベストセラーを読む(71回目)

2016-07-28 05:35:51 | 日記
◇世界のベストセラー聖書を読む◇
カン先生には失礼だが、イエスの言葉を読む者は、悩む力シリーズは自分の心の解決を得るためには読まないだろうな。何故なら、もっと深いところでイエスに出会うからね(決して護教的に言っている訳ではない)。それで先生に別れ際、渡した手紙の内容とは、それに関連してのことなのだが、今回お会できたことへの感謝と共に「悩む力」ある一文に苦情をかいたのである。
◇(p106)「ですから、究極的には、「信じる」ということは、「何かを信じる」ということではなく、「自分を信じる」ということになると思います。言うなれば、「一人一宗教」「自分が教祖」なのです。・・・とある。
◇無論、書かれたものは売れて読まれなければまず第一にいけないから、一般向けに書かねばというところなのだろうし、いきなり宗教に頼れでも駄目だろう(僕はこれ嫌な話、でもこれは言葉の使い方に非常に神経を使う問題)。先生は、一番受けのいい収まりどころの言葉をやはり選んだのだということで、僕は、この日記にも書いてきたが、自分というそのものを捕らえる事自体がそもそも難しいでしょう。自分を自分の言葉で捕らえることができれば悩みは軽減するだろうし、自分を信じるのではなく、自分を越えたものを信じなければ決して解決にはならないのではありませんか というようなことを偉そうに書いたのだ。僕は、そのときご子息が25歳で自死されていたのを知らなかったので、今から思うと大変失礼な内容になっていたかも知れない。
◇その後、2年もたたず先生は、某ミッション系の大学の学長に迎えられたのを辞任されたのです。(p12)「しかし、60代半ばにしてはじめて、私は、悪が人の中に巣食い、それがまるで病原菌のように人の心を蝕んでいく悪の連鎖を目の当たりにすることになりました。その時の経験を通じて、「悪人というものは、実際に存在するのだ」という確信がはじめて私の中に芽生えたのです。・・・その驚きたるや・・・・」(p185:後書「本書を書こうと思い立ったのは、首都圏のあるミッション系の大学の学長を辞めざるをえなくなったことが大きなきっかけでした。とくに、辞任を決意する最後の二ヶ月間には、表裏のある人間の言動を見るにつけ、私の中に悪というテーマが浮上してくるようになったのです。それは、大袈裟に言えば、どこか漠然とした形ではありましたが、私の中に生き続けていた人間への素朴な信頼を打ち砕く体験だったと言っていいでしょう。」・・・(次回、続く)

世界のベストセラーを読む(70回目)

2016-07-28 04:58:31 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 
本日も脱線。”悪の力”2013年6月に政治学者の姜尚中(カンサンジュン)先生の講演と話をする機会があった。昨日の悲惨な事件について、カン先生の”悪の力”思い出したので書き留めておきたい。集英社新書から出ていますから購入されてお読み下さい(立ち読みしても1時間ほどで読めるかと思いますが一応礼儀として先生の今後の内面の格闘課題ようなことも書かれていましたので、おそらく内面の基礎にはこの部分が今後生涯残って著作に励まれることは疑いないと思われますので、・・・)
                           
◆実は、先生とお話ができるとのことだったので急遽集英社新書から9冊を読んだ。あの2009年上半期第一位(トーハン/日販調べ)の「悩む力」も含め、それから「マックス・ウェーバーと近代」(岩波現代文庫)も。第一印象は実に誠実な方であった。当初、予定には無かった先生の書籍販売にもサイン会を設定し、購入者に声を掛けられ握手などされて丁寧であった。事前の整理券は1時間ほどで無くなり、狭い会場に300人以上の来会者・・・溢れた。
◆掲載した写真”悪の力”が出版されたのは2015年9月22日第一印であるから、先生とこの機会をもったのはそれ以前、某ミッション系の大学を退職される前の事である。この本を著すきっかけはその時の経緯にあり。詳しくは消されたかどうか・・・当時ネットでも調べられました。
◇東北からは、いろいろな著名な人ご排出されてますねと。ハーバード・ノーマンにより海外にも知られた安藤昌益には特に関心を持たれたようだった。いずれかの日に短時間であったがお話した時の内容を書きたい。
ところで今回の日記に書き留めて起きたいと思ったのは、別れ際、先生に手紙を渡したのだ。その内容について・・・。(次回へ)