marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(43回目)

2016-07-01 19:45:21 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 
さて、ルターさんの教えによりヨハネ伝を読んでいる。まずは自分の言葉でね・・・時折、すごい解説書らしきものが入るが気になさらずに。それで、第3章に入ったのだが、これがまた、イエス曰く、地上のことで自分が見たことをあかしして話しているのだ、よくよく言っておくなどと言われているものだから、スゴイ地上の霊的な秘め事の実際が書かれているのだろうけど、叱られたイスラエルの教師ニコデモではないが、僕らには確認しようがないらしく分からない。・・・ここで「らしく」と書いたのは、地上の霊のことも分かる人がいるかも知れないと思ってですけれど・・・。
◆そこで、不浄な僕ではあるが考えてみたぞ! 言われていることは3節から8節までのことなのではあるが。神のもとから使わされたひとり子イエスが、霊について語った内容。
それまでは、肉体の欲求だけで生まれていきて死んでいった人々に対して、そのままではなく天上の準備が出来て時間がせまったのでイエス自らが信ずる者の霊として永遠に生きることを示す為にこの地上に来た。しかし、我々は神のもとから遠くへだったために自然の欲求のまま生きて朽ちていく肉の塊に過ぎなくなった。(霊はそれでも収まるところを捜し求めるから輪廻転生となる)。地上で肉がいきるのも神から霊を与えられているからなのだが、それは不完全にすぎない。霊は人に入り、また出て行く。その動きは分からぬが、霊に生まれるのものもそのようなのだ。わたし(イエス)はその見ていることを話しているのだ。不浄となった肉に霊を吹き込まれ生きているわれわれはそのままでは、死んでもその霊は天上界に帰れない、永遠には生きることができないのだ。イエスの贈る霊に生きよ。そのために水と霊により新生せよ。イエスを信ぜよ、そうすれば聖霊を送る。不完全な我々はその資格すらないものであるが、その代償にイエスが十字架に掛けられるのだ、だからわたし(イエス)を信ぜよ。わたしは天上界から使わされたものなのだから・・・。イエスは我々の不浄な肉のために、十字架で犠牲となられたのである。彼を信ずる者は罪に定められることがないと。
◆(14節)唐突に出てくるモーセと蛇の話は、旧約民数記の第21章9節に出てくる話なのだ。遠い遠い昔の話が、ユダヤ民族の神の歴史としての先理解があるわけだ。その蛇に咬まれてもそれを仰ぎ見た人は生きたとある。
◆そこで結論、超有名な聖句(16節)是非、覚えられたし。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子(みこ)を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得る為である。」・・・Ω

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