marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(290回目)神のことばゆえ迫害を受けているすべての人に対する回状Ⅱ(M・ルター)

2017-03-15 21:36:19 | プロテスタント
 宗教というと何とはなくうさん臭さを感じるのは、人としての正常な感覚なのかもしれない。だからこそ、言えばよいか、ことばの宗教と言われるキリスト教は、地上における目に見える教祖のようなものは置かない。それからまた、ともすれば宗教には派生するであろ観念的な薄気味悪いものもキリスト教では、排斥する。そのような訳の分からぬ情緒的に人に影響を与えるものをマックス・ウェバーは呪術からの解放と言ったのではなかったか。いずれにしろ、キリスト教は実際的なのである。前回の中での「霊と肉」について、霊についても復活についても、我々の五感には感知できないが実際のことなのである。まずは何より、”復活やイエスのわざ”が弟子の中で一番長命だったヨハネの手紙に述べられているがごとくに理由づけで福音どうのこうのと言葉で物語れるより以前に”事実(真実)だった”ことなのである。
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 ・・・わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手で触ったもの、すなわちいのちの言(ことば)について・・・                                        (ヨハネの第一の手紙 第1章1節)
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 この言葉を踏まえて、昨日のルターの続きを読んでみます。信仰の列車に乗ってしまった人からは、当然のように読める文章であるが、今一度、東日本大震災6年を迎えての、行方不明の方が2500名もおられること、そして、イエスがイスラエルの教師ニコデモに「よくよく言っておく」と言われた地上で起こっていることなどを思い合わせ、今僕らは命があり生きているのであるから、この世界に霊の存在もあるのだと思い合わせながら読んでみたいと思います。ルターさんは、個人とイエスの間に組織たちとして立ち塞がる当時の宗教組織(現代で言えばうさんくさいしがらみと考えていいだろう)に対する抵抗の文面は垣間見られますが、これは現代でも解消はされていないと僕は考えます。
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 キリストを死人の中から甦らせ、ご自身の右に座らせて、すべてのもの、したがって当然、罪と死と悪魔と陰触読みの主としたもう方は強くかつ真実な方であることを、私たちは知っています。いわんやまして、教皇の豚鼻など、その三重のざわめきともども意に介したまわないでしょう。この盾を彼らは私たちから奪うことはできません。かれらが私たちからこのキリストを、彼らの思うとおりに手軽く奪い去り、父なる神のご存じないれらが私たちからこのキリストを彼らの思うおおりに手軽く奪い去り、父なる神のご存じのない者をキリストのかわりに据えようと思ってもこの盾がわたしたちの側にあり続けるかぎり、私たちは平然として彼らを軽視し、事を注目していようと思います。
 ですから、このキリストは私たちのためにこの一芝居やこのあとももっとひどいのがやってこようと、それを再びきちんと整えてくださるばかりであなく、その知恵と慈愛のあふれるばかりの豊かさに従って、かえって役に立つようにしてくださると、私は思います。とくに、もしあなた方が祈り信頼とをもってこれを助けるならばなおさらです。  ・・・続きます。 
                     (世界の思想家5 「ルター」徳善義和編 平凡社 S51.12.15初版 p154) 
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