国立公文書館サイトのデジタルアーカイブで文化2年(1805)作成の江戸近郊御場絵図を見ることができる。
荒川から中山道の蕨、浦和宿あたりまでを見る。
荒川には上流(右)から羽根倉、秋瀬、道満と表示されている。これらは渡し場だと思う。
明治の迅速測図で荒川から中山道あたりまでを見る。
上から、羽根倉渡を拡大する。秋ヶ瀬渡シを拡大する。
表示(文字)はないが道満の渡しを拡大する。道満の渡しについては2014年12月14日ブログで触れた。
江戸近郊御場絵図に岸村と浦和宿の間から鳩ヶ谷宿方面に向かう道(赤矢印で示す)がある。
2015年07月05日ブログで触れたが、そのあたりから鳩ヶ谷宿に向かう道で迅速測図に「至鳩谷駅道」と表示された道がある。
江戸近郊御場絵図の鳩ヶ谷宿方面に向かう道はその道かも知れない。
しかし、中山道から大宮方面に向かって右折する角度がかなり違う。
調神社の南から右折するこの道(赤)だと角度は合う。
その道を迅速測図で鳩ヶ谷町まで辿る。
その道(緑)は鳩ヶ谷に向かい根岸村、文蔵村を右にして、小谷場村、芝村を左にして進み、前川村を右にして芝川に架かる橋を渡って右折、根岸村を左にする。
江戸近郊御場絵図の文化2年(1805)から迅速測図の明治13年(1880年)までには75年の隔たりがあるが、道路状況はほとんど変化していなかったのではないかと思う。
荒川から中山道の蕨、浦和宿あたりまでを見る。
荒川には上流(右)から羽根倉、秋瀬、道満と表示されている。これらは渡し場だと思う。
明治の迅速測図で荒川から中山道あたりまでを見る。
上から、羽根倉渡を拡大する。秋ヶ瀬渡シを拡大する。
表示(文字)はないが道満の渡しを拡大する。道満の渡しについては2014年12月14日ブログで触れた。
江戸近郊御場絵図に岸村と浦和宿の間から鳩ヶ谷宿方面に向かう道(赤矢印で示す)がある。
2015年07月05日ブログで触れたが、そのあたりから鳩ヶ谷宿に向かう道で迅速測図に「至鳩谷駅道」と表示された道がある。
江戸近郊御場絵図の鳩ヶ谷宿方面に向かう道はその道かも知れない。
しかし、中山道から大宮方面に向かって右折する角度がかなり違う。
調神社の南から右折するこの道(赤)だと角度は合う。
その道を迅速測図で鳩ヶ谷町まで辿る。
その道(緑)は鳩ヶ谷に向かい根岸村、文蔵村を右にして、小谷場村、芝村を左にして進み、前川村を右にして芝川に架かる橋を渡って右折、根岸村を左にする。
江戸近郊御場絵図の文化2年(1805)から迅速測図の明治13年(1880年)までには75年の隔たりがあるが、道路状況はほとんど変化していなかったのではないかと思う。
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