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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

県道79号朝霞蕨線を昔の地図でみる

2014年12月14日 | 日記
2014年12月08日ブログで私は北戸田駅からスタートし、途中埼玉県道79号朝霞蕨線を西に歩いた。
そして美女木小(北)信号の先で右の脇道(黄矢印)に入った
地図で見るとここ(赤)である。

明治の迅速測図で美女木村あたりを見る。
迅速測図のこの道(赤)は現在のこの道(赤)と概ね重なっているように見える。
2014年12月08日ブログで私はこの道(太赤)で東光寺までに歩いたが、迅速測図のこの道(太赤)を継承していると思う。

さて、迅速測図のこの道(赤)であるが、「自蕨宿至志木宿道」と表示されており、蕨宿と志木宿を結ぶ街道であったことがわかる。
迅速測図の蕨側を見る。中山道を緑で示した。
現在地図に継承していると思われる道を示す。

迅速測図のこの道(赤)を志木方面に辿ると荒川に突き当たる。荒川に架かる橋はない。
現在の地図でその道を辿ろうとしたが同じような道がない。
妙厳寺現在地図赤丸のところだから、迅速測図の道を真似てフリーハンドで描いてみる

私は以前、彩湖・道満グリーンパークに行った時、道満河岸釣場の前でこういう案内板を見たが、ここ(青丸)には昔「道満の渡し」があったのだと思う。
案内板には “ 舟の渡しは、大正九年に始まった河川改修によって、新川へ移されたため廃止され・・ ” と書いてある。

国際日本文化研究センターサイト日文研所蔵地図の大正8年東京西北部地図で見ると渡船の地図記号(青丸)がある。

また、先の案内板には “ 渡し口に道路が造られて、昭和年代になっても、しばらくは「県道・蕨-志木線」となっていました ” と書いてある。
日文研所蔵地図の昭和7年大東京全圖改正新町名入地図で見ると「道満の渡し」はなくなっている。
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