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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

与野駅近くの大原稲荷社と大ケヤキ

2015年04月12日 | 日記
2015年03月26日ブログ大原稲荷社を訪れた際、境内で案内板見た
大原稲荷社について “ 江戸期には、浦和新田(現上木崎2丁目、中山道西高通交差点付近)にありかつて参道入口に大欅があった稲荷社である。明治初期現在地に移転した ” との記述がある。

明治13年の迅速測図で上木崎村あたりを見る。
そのあたりを現在の地図で見る。
迅速測図に赤で示したところは現在地図に赤で示したところと概ね同じではないかと思う。

迅速測図に稻荷(赤枠)とあるところが大原稲荷社だと思う。案内板には「明治初期現在地に移転した」とあった。
案内板によれば、江戸期には中山道と西高通の交差点付近にあり、参道入口に大欅があった、という。
中山道と西高通の交差点というのはここ(赤丸)だと思う。
迅速測図のこのあたり(赤丸)だと思う。

江戸時代(1800年頃)の中山道分間延絵図で上木崎村あたりを見る。右が江戸、左が京都である。
案内板にあった「浦和新田、別所新田、落合新田」が表示されている。
中山道と赤山道の三差路交差点を拡大する。最初の3文字(赤丸)は赤山道と読める。
北隣りの神社は稻荷と書いてあるのではないかと思う。
私はこの神社が移転する前の大原稲荷社だと思う。
新編武蔵風土記稿の上木崎村には稻荷社二ヶ所とあるが、その一つがここだと思う。

参道入口の大欅というのは、5年前に伐採された「大ケヤキ」のことだと思う。
5年前の新聞記事によれば、推定樹齢300年だから中山道分間延絵図の時代でも樹齢90年ということになる。
私が撮影した平成元年大ケヤキ

浦和の古い写真を集めた本の中に「中山道の大ケヤキ」というタイトルの写真があった。
解説文によれば昭和35年の写真で、当時は市指定天然記念物だった。昭和42年道路建設とある道路は埼玉県道上木崎与野停車場線(西高通り)のことだと思う。

昭和39年の空中写真を見る。県道上木崎与野停車場線の工事は進んでいるが、大ケヤキのところの工事はまだ残されている。
昭和44年の空中写真を見る。大ケヤキは県道上木崎与野停車場線の真ん中に残された。
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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (今年もスワローズ)
2015-04-18 15:35:16
あの欅・・・

もったいなかったですね。

伐採には同級生の植木屋が、係ったみたいです。
返信する
大ケヤキ (咲いた万歩)
2015-04-18 19:05:56
伐採されて風景が味気なくなりました。
晩年はワイヤーで支えている状態でしたから、やむを得なかったのかも知れません。
返信する

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