船宿寺花だより ~魂のともたち~

お寺の庭から感じる、時のうつろいをお伝えいたしましょう

51.消えた銀杏の葉

2005年11月30日 13時20分18秒 | 
確かに11月23日には、まだ緑がかった葉をつけていた銀杏。
一言主神社や五百家(いうか)の遙拝所も
黄色をひらひらさせて見事、少し散り始めているぐらい。
だけどうちはまだ見頃じゃなかった。

それが昨日の29日、うちも見頃になったかなと見れば、
なんと一枚も葉っぱが無い。うそっ!!
えっ信じられない!!

せっかく色づいた途端に
激しい風にさらわれていってしまいました。
普通は2週間ほど黄葉を楽しめるはずなんですが。
こんな年もあるのですね。

そう言えば桜も、御所の川沿いなどとてもきれいですが、
うちは、とっくの昔に突風が吹いてすっかりありません。
これも珍しい現象だなあと思っていたんです。

そのおかげで、木蓮がとてもシックな黄葉を味わせてくれています。

ちよっと急いで紅葉情報を入れました。

50.風の森峠から見える海原

2005年11月22日 15時50分19秒 | お寺にまつわるお話
昔といっても大昔、人類がこの地に現れる前。
大阪の海は王寺の付近から奈良盆地につながっていたのではないかと樋口清之氏が、地下の地質調査結果から言っておられます。

西田史朗氏による地質図を見てみますと、奈良盆地の低い部分はすべて完新世の砂及び泥になっていて、船路から風の森峠付近では入り江のようになっているのです。

その後、海が奈良湖となったということで、それは大和川の亀の背で地滑りが起き、大阪側と分断されたためとされています。
そして奈良盆地の隆起などにより、湖の水は徐々に減っていったようですが、飛鳥時代になってもまだその名残の池があったらしいとも。

また古代の住居跡も、石器時代から縄文、弥生時代と標高を低めて発見されています。その様子は、しだいに小さくなる湖を表しているかのようにも思えます。

ところで船宿寺と海についてですが、船宿寺の付近で「舟岡山」「舟岡」や「舟戸」「船の尾」「貝取りの原」という小字名がある点から、湖があった頃ひょっとして船着き場だったかも、と想像させます。
どちらにせよ、海は人が住むようになる何百万年も前になくなっているのですからこの地名と海とは無関係だろうと思います。

実は船の着く地名は吉野の山の中にもかなりあり、谷がV字型になっている所の地形についた名前とされてるんです。

夕方和歌山方面から国道24号線で帰ってきたとき、風の森峠を越えた瞬間
谷の先に光の海がキラキラ....
湖のあった頃、
古代人はこの峠で光る水面をこんな風に見つめていたかもしれません。

さて次回は、現代の私たちにとっての「船」「宿」「寺」とは
ということでお迎えする私たちの心をお伝えしたいと思います。

追記 尚この記事を書いたあと偶然にもHP「神奈備にようこそ」の
   掲示板[青草談話室]で、奈良湖についての論議に気づきました。
   神様のお導きかな? 考古学者や国文学者の論文などを図解付きで
   大変詳しく説明されています。私も大変勉強になりました。
こちらをどうぞご覧ください。神奈備にようこそ