毎年5月3日には、花祭り法要があります。
大勢の山伏さんにおいで頂き、柴灯護摩法要を致します。
法螺貝と祈りの声は天に鳴り響き、
炎は空を焦がし、
あまたの穢れを清め、パワーを与えて頂けるように感じられます。
さて、150年ほど昔のお話
役行者1150回忌の折り、第43代聖護院宮雄仁親王が葛城入峰されました。その道中の詳しい記録「錦森秘かん(きんしんひかん)」が聖護院にあります。
その一四日目のところに、金剛山から石寺に下り、風ノ森から船路村の船宿寺で小休止、名柄から森脇の一言主寺で御柴護摩をし…(以下略)と出ています。
嘉永二年(1849年)春のこととあります。
そして、聖護院の親王さまが代替わりされる新参式の折りには、同じ道程でお参りして歩かれるともお聞きしました。
わざわざ遠回りして船宿寺に寄っていかれるのは、どういったわけでしょう。
行基さんが祠を建ててくださる前から
この地に行場があったのではないかと言う人もあります。
あるいは
役行者が開かれた修験道というのは、
古代からある山岳宗教と仏教を融合させたものだからということから
仏教が伝わる前は、古代の祭祀場だったのではとも…
ところで
ここは大昔、海だったんですというお話を次回に。
大勢の山伏さんにおいで頂き、柴灯護摩法要を致します。
法螺貝と祈りの声は天に鳴り響き、
炎は空を焦がし、
あまたの穢れを清め、パワーを与えて頂けるように感じられます。
さて、150年ほど昔のお話
役行者1150回忌の折り、第43代聖護院宮雄仁親王が葛城入峰されました。その道中の詳しい記録「錦森秘かん(きんしんひかん)」が聖護院にあります。
その一四日目のところに、金剛山から石寺に下り、風ノ森から船路村の船宿寺で小休止、名柄から森脇の一言主寺で御柴護摩をし…(以下略)と出ています。
嘉永二年(1849年)春のこととあります。
そして、聖護院の親王さまが代替わりされる新参式の折りには、同じ道程でお参りして歩かれるともお聞きしました。
わざわざ遠回りして船宿寺に寄っていかれるのは、どういったわけでしょう。
行基さんが祠を建ててくださる前から
この地に行場があったのではないかと言う人もあります。
あるいは
役行者が開かれた修験道というのは、
古代からある山岳宗教と仏教を融合させたものだからということから
仏教が伝わる前は、古代の祭祀場だったのではとも…
ところで
ここは大昔、海だったんですというお話を次回に。