●ロービジョンケアとは、残存視機能を最大限に活用し、できるだけ快適な生活が送れるように支援することです。
少し前、眼科医である仲泊聡先生のロービジョンケアについての講演会に足を運びました。視力低下し始めた当初は眼科に検査通院しましたが、治療法が無いと診断されてから縁遠くなりました。何もしてもらえないのに行く必要がないから当然です。(ただ、自分が当事者団体で活動し始めてから、あまりに自分の目について無知だったことに気付き、少しは知っておこうと眼科を訪れたことはありましたが。)
また、網膜再生医療のニュースを耳にしても、治ることを望んでいては今の自分を肯定し前に進むことができないので、興味が持てませんでした。
そんな中、私がよく聴いているポッドキャストに網膜再生医療の高橋昌代先生が出演され、今のところ、網膜関連の難病は治療しても健常と言われる視力にまでは回復せずロービジョンケアが重要になること、ITなどの最先端技術を駆使した近未来的な機器の可能性について話されており、同じ分野におられる先生がどのようなお話をされるのか聞いてみたいと思うに至ったのです。
先ず、講演の対象はロービジョンケア関係者(眼科医や視能訓練士)、福祉関係者、ロービジョン当事者でした。ロービジョンを経て全盲になった人達も介助者と来られている様子でした。
今年年末に完成する神戸アイセンターの眼科医の立場から網膜再生医療のお話があり、その後、眼科医によるロービジョンケアの必要性、また、眼科でのロービジョンケアには設備投資しなくても工夫次第で容易に始められるなどのお話がありました。そして、神戸アイセンターは、最先端の網膜再生技術を用いた治療から、生活、就職など包括的ケア、視覚障害専門施設へのつなぎ、併せて、物理的にも視覚障害者が明るく集える場所を造るべく構想が練られているとのお話でした。。
新センターの誕生意義にかける先生の熱意を感じる明るい講演のなかで、印象に残った二つの件がありました。一つは、ロービジョンになってしまった患者さんのことを「目が悪いだけなんです。こういうと当事者のみなさんやご家族からお叱りを受けるかも知れませんが、目が悪いだけで普通の人なんです。」というところ。いまひとつは、「究極的には視覚障害者というくくりがなくなることです。目が悪いだけで環境が整えば普通に仕事が出来て自立できるのですから、障害者手帳を持たなくても普通に暮らしていける世の中になって欲しいと思っています。」というものです。一つ目の「目が悪いだけ」という言葉は、奇しくも夫と出逢って間もなく言われたのと同じ言葉でした。それがとても腹立だしくて「何もわかってない・・・。」と言い返したのを覚えています。“目が悪いだけ”でどれほど不自由で理不尽な思いをしてきたかを訴えたかったからにほかなりません。ですから、この言葉は、視覚障害者に偏見を持っていた人が「自分たちとは違う人間だと思っていたけれど、“目が悪いだけ”で我々と同じ普通の人なんだ。」という気付きの言葉。つまり、普通だと思っていなかったからこその気付きです。しかしながら、そう気づいてもらったとしても、普通に見えないために生じるさまざまな壁が消えることはありません。なので、偏見なく捉えてもらえることは有り難いのですが、“目が悪いだけ”とあっさり言われてしまうことにはやはり違和感が残ってしまうのです。二つ目は私自身が社会に出ていくつかの場所で働いてみて、普通に見えている人達と働く大変さはなくならないという実感から、環境さえ整えば普通に働けるというのが夢物語にしか聞こえませんでした。もちろん、“究極的には”という前置きで先生の高い理想だということは解っていますが、現実を知るものとしては響きませんでした。わたしは常にとても恵まれた環境で仕事をさせてもらっていましたが、それでも普通に働けていたわけではありませんし、理不尽な思いもしました。また、“目が悪いだけ”で耐えがたい状況に追い込まれた人達を少なからず知っています。
こんなヘソ曲がりなことばかり感じながら講演を聴いていましたが、「日本の眼科もやっとここまで来たか」とは思いました。さまざまな技術大国でありながら医療と福祉の連携力が乏しく、特に眼科医の視覚障害者に対する意識が希薄で知識もあまりに足りなかったのですから、こういう眼科の動きは確かに福音です。
冒頭で触れましたが、15年ほど前に個人の眼科医院をいくつか受診したことがありました。それは自分の目について知ると同時に、医師から出る言葉や反応を知る経験にもなりました。ある眼科では、「こんな視力で仕事してるんですか!?」と驚かれ、「どうやって文字を読むのですか?」など聞かれて17倍の単眼鏡を見せたり、コンピューターには拡大ソフトを入れて業務していることを伝えました。別の医院を訪ねたときには「あなただけが不幸じゃないんですよ。」と言われましたし、ある眼科医には「これは結婚の時に問題になりますよ。」とも言われました。一人だけ私にも見える太いマジックペンで眼球の絵を描いてきちんと説明してくださる女医さんがおられ、ほっとしたのを覚えています。いくつかの眼科を訪ねてわかったことは、わたしの方が弱視=ロービジョン情報を持っていたということ、視覚障害者が視力を使って働いていることをご存じないことでした。
たくさんの患者さんが日々受診されるのですから、マイノリティーのための専門知識がなくてもやむを得ないとは思います。ただ、視力低下し始めた人が不安を抱えて最初に訪れる場所には変わりないですし、せめてもの最低知識や福祉機関を紹介するなどはして欲しいと思いました。(20年ほど前、NYの個人眼科医院で受診したことがあります。そこでは診察の後に福祉機関や団体、音声図書の利用方法などを紹介してもらえました。)
最後になりましたが、この講演会をきっかけにわたしの住む地域でロービジョンケアの必要性を感じておられる眼科の先生とお会いすることができ、とても嬉しく思っています。快く引き合わせてくださったNさんにも感謝しています。
“目が悪いだけ”で、さまざまな制度や機器を知らずにひとりで悩んでいる人がいたら、ぜひ、微力ながら当事者として力になりたいものです。
少し前、眼科医である仲泊聡先生のロービジョンケアについての講演会に足を運びました。視力低下し始めた当初は眼科に検査通院しましたが、治療法が無いと診断されてから縁遠くなりました。何もしてもらえないのに行く必要がないから当然です。(ただ、自分が当事者団体で活動し始めてから、あまりに自分の目について無知だったことに気付き、少しは知っておこうと眼科を訪れたことはありましたが。)
また、網膜再生医療のニュースを耳にしても、治ることを望んでいては今の自分を肯定し前に進むことができないので、興味が持てませんでした。
そんな中、私がよく聴いているポッドキャストに網膜再生医療の高橋昌代先生が出演され、今のところ、網膜関連の難病は治療しても健常と言われる視力にまでは回復せずロービジョンケアが重要になること、ITなどの最先端技術を駆使した近未来的な機器の可能性について話されており、同じ分野におられる先生がどのようなお話をされるのか聞いてみたいと思うに至ったのです。
先ず、講演の対象はロービジョンケア関係者(眼科医や視能訓練士)、福祉関係者、ロービジョン当事者でした。ロービジョンを経て全盲になった人達も介助者と来られている様子でした。
今年年末に完成する神戸アイセンターの眼科医の立場から網膜再生医療のお話があり、その後、眼科医によるロービジョンケアの必要性、また、眼科でのロービジョンケアには設備投資しなくても工夫次第で容易に始められるなどのお話がありました。そして、神戸アイセンターは、最先端の網膜再生技術を用いた治療から、生活、就職など包括的ケア、視覚障害専門施設へのつなぎ、併せて、物理的にも視覚障害者が明るく集える場所を造るべく構想が練られているとのお話でした。。
新センターの誕生意義にかける先生の熱意を感じる明るい講演のなかで、印象に残った二つの件がありました。一つは、ロービジョンになってしまった患者さんのことを「目が悪いだけなんです。こういうと当事者のみなさんやご家族からお叱りを受けるかも知れませんが、目が悪いだけで普通の人なんです。」というところ。いまひとつは、「究極的には視覚障害者というくくりがなくなることです。目が悪いだけで環境が整えば普通に仕事が出来て自立できるのですから、障害者手帳を持たなくても普通に暮らしていける世の中になって欲しいと思っています。」というものです。一つ目の「目が悪いだけ」という言葉は、奇しくも夫と出逢って間もなく言われたのと同じ言葉でした。それがとても腹立だしくて「何もわかってない・・・。」と言い返したのを覚えています。“目が悪いだけ”でどれほど不自由で理不尽な思いをしてきたかを訴えたかったからにほかなりません。ですから、この言葉は、視覚障害者に偏見を持っていた人が「自分たちとは違う人間だと思っていたけれど、“目が悪いだけ”で我々と同じ普通の人なんだ。」という気付きの言葉。つまり、普通だと思っていなかったからこその気付きです。しかしながら、そう気づいてもらったとしても、普通に見えないために生じるさまざまな壁が消えることはありません。なので、偏見なく捉えてもらえることは有り難いのですが、“目が悪いだけ”とあっさり言われてしまうことにはやはり違和感が残ってしまうのです。二つ目は私自身が社会に出ていくつかの場所で働いてみて、普通に見えている人達と働く大変さはなくならないという実感から、環境さえ整えば普通に働けるというのが夢物語にしか聞こえませんでした。もちろん、“究極的には”という前置きで先生の高い理想だということは解っていますが、現実を知るものとしては響きませんでした。わたしは常にとても恵まれた環境で仕事をさせてもらっていましたが、それでも普通に働けていたわけではありませんし、理不尽な思いもしました。また、“目が悪いだけ”で耐えがたい状況に追い込まれた人達を少なからず知っています。
こんなヘソ曲がりなことばかり感じながら講演を聴いていましたが、「日本の眼科もやっとここまで来たか」とは思いました。さまざまな技術大国でありながら医療と福祉の連携力が乏しく、特に眼科医の視覚障害者に対する意識が希薄で知識もあまりに足りなかったのですから、こういう眼科の動きは確かに福音です。
冒頭で触れましたが、15年ほど前に個人の眼科医院をいくつか受診したことがありました。それは自分の目について知ると同時に、医師から出る言葉や反応を知る経験にもなりました。ある眼科では、「こんな視力で仕事してるんですか!?」と驚かれ、「どうやって文字を読むのですか?」など聞かれて17倍の単眼鏡を見せたり、コンピューターには拡大ソフトを入れて業務していることを伝えました。別の医院を訪ねたときには「あなただけが不幸じゃないんですよ。」と言われましたし、ある眼科医には「これは結婚の時に問題になりますよ。」とも言われました。一人だけ私にも見える太いマジックペンで眼球の絵を描いてきちんと説明してくださる女医さんがおられ、ほっとしたのを覚えています。いくつかの眼科を訪ねてわかったことは、わたしの方が弱視=ロービジョン情報を持っていたということ、視覚障害者が視力を使って働いていることをご存じないことでした。
たくさんの患者さんが日々受診されるのですから、マイノリティーのための専門知識がなくてもやむを得ないとは思います。ただ、視力低下し始めた人が不安を抱えて最初に訪れる場所には変わりないですし、せめてもの最低知識や福祉機関を紹介するなどはして欲しいと思いました。(20年ほど前、NYの個人眼科医院で受診したことがあります。そこでは診察の後に福祉機関や団体、音声図書の利用方法などを紹介してもらえました。)
最後になりましたが、この講演会をきっかけにわたしの住む地域でロービジョンケアの必要性を感じておられる眼科の先生とお会いすることができ、とても嬉しく思っています。快く引き合わせてくださったNさんにも感謝しています。
“目が悪いだけ”で、さまざまな制度や機器を知らずにひとりで悩んでいる人がいたら、ぜひ、微力ながら当事者として力になりたいものです。