先日、五日間という短い期間でしたが災害ボランティアとして東日本大震災で被災した宮城県・七ヶ浜町へ行ってきました。
名古屋からバスに揺られること11時間半。
宮城県内に入った時にはもうすっかり夜。
昨年、宮城に遊びに行って『今度は七夕祭りの時期においで』と親戚のおじさんに言われたのを思い出して。
あれから一年もたっていないのに、まさかこういう理由で再び宮城を訪れるとは夢にも思わなかったな・・
七ヶ浜町は仙台市の北東に位置するその名の通り七つの浜に囲まれた町です。
元々は海苔づくりや漁業が盛んで海水浴やサーフィンに来る人も多いそう。
美しかったであろう浜。
二ヶ月経った今でももだこの状態。
海にも流された物や沈んでしまったもので散乱状態。
漁業で生計を立てていた人も多くいたのに殆どの船が流され漁に出られない日々が続いているそうです。
仮設住宅で出会ったあばあちゃんは自宅に船が3隻突っ込んで全壊した、と話していました。
私は七ヶ浜・宮城県職員や他のボランティアさんたちと一緒に津波で流され瓦礫の中から集められたアルバムや写真の洗浄を行いました。
泥まみれになったアルバムから一枚一枚写真を取り出し、ブラシをかけながら水洗いして薬品に漬け干すという作業。
作業場になったグラウンドには大きなテントがいくつかあり見つかった地域ごとに写真や位牌・遺影が集めれれていました。
泥は流せても一度海水に浸かってしまった写真ははがれてしまっているものも多くありました。
それでも、一所懸命洗浄させてもらいました。
だって、全ての写真がどこか見覚えがあるどこの家にもあるであろう記念写真ばかりだったので
結婚式の写真や子どもが生まれたときの写真。
入学式。卒業式。成人式。
家を新築した時の写真。
大切な思い出の写真が一人でも多くの持ち主の元に戻りますように・・
たった4、5時間の作業でしたが誠意を込めてやらしてもらいました。
地元のTVで写真を保管しているテントの様子が流れたときに、ウチのひいおばあちゃんの写真が映ったの!!!とアルバムを探しにきているご家族がいました。
私も微力ながら探すのをお手伝いし・・・
30分ほど探し回った結果、その写真を見つけることが出来て
その時のご家族の嬉しそうな笑顔を私は忘れることが出来そうにありません。
ひいおばあちゃんがひ孫三人に囲まれてとびきりの笑顔で写っている写真。
どうやらそのおばあちゃんは数年前に亡くなっているようです。
当たり前なのですが亡くなった人の写真は、もう撮ることが出来ないんだな。
と、その時気づきました。
あたり前、にしてしまっていること。
日常だと、思ってしまっていること。
家族とか友達とか。
周りにいてくれる人々のこと。
大切にしていきたいとあらためて思いました
私が生まれる前に亡くなって、祖母や母の話でしかしらない私の祖父は宮城生まれ。
無口で寡黙だけれどお酒が好きな東北人だったと聞いています。
お土産に笹かまぼこを買ってきたので仏壇に供えつつ、おじいちゃんに報告してきたいとおもいます
私一人の力は本当にちっちゃい。
だからこそ精一杯、自分に出来ることをやろうと思っています。
おじいちゃん、孫はおじいちゃんの故郷で頑張ってきましたよ
名古屋からバスに揺られること11時間半。
宮城県内に入った時にはもうすっかり夜。
昨年、宮城に遊びに行って『今度は七夕祭りの時期においで』と親戚のおじさんに言われたのを思い出して。
あれから一年もたっていないのに、まさかこういう理由で再び宮城を訪れるとは夢にも思わなかったな・・
七ヶ浜町は仙台市の北東に位置するその名の通り七つの浜に囲まれた町です。
元々は海苔づくりや漁業が盛んで海水浴やサーフィンに来る人も多いそう。
美しかったであろう浜。
二ヶ月経った今でももだこの状態。
海にも流された物や沈んでしまったもので散乱状態。
漁業で生計を立てていた人も多くいたのに殆どの船が流され漁に出られない日々が続いているそうです。
仮設住宅で出会ったあばあちゃんは自宅に船が3隻突っ込んで全壊した、と話していました。
私は七ヶ浜・宮城県職員や他のボランティアさんたちと一緒に津波で流され瓦礫の中から集められたアルバムや写真の洗浄を行いました。
泥まみれになったアルバムから一枚一枚写真を取り出し、ブラシをかけながら水洗いして薬品に漬け干すという作業。
作業場になったグラウンドには大きなテントがいくつかあり見つかった地域ごとに写真や位牌・遺影が集めれれていました。
泥は流せても一度海水に浸かってしまった写真ははがれてしまっているものも多くありました。
それでも、一所懸命洗浄させてもらいました。
だって、全ての写真がどこか見覚えがあるどこの家にもあるであろう記念写真ばかりだったので
結婚式の写真や子どもが生まれたときの写真。
入学式。卒業式。成人式。
家を新築した時の写真。
大切な思い出の写真が一人でも多くの持ち主の元に戻りますように・・
たった4、5時間の作業でしたが誠意を込めてやらしてもらいました。
地元のTVで写真を保管しているテントの様子が流れたときに、ウチのひいおばあちゃんの写真が映ったの!!!とアルバムを探しにきているご家族がいました。
私も微力ながら探すのをお手伝いし・・・
30分ほど探し回った結果、その写真を見つけることが出来て
その時のご家族の嬉しそうな笑顔を私は忘れることが出来そうにありません。
ひいおばあちゃんがひ孫三人に囲まれてとびきりの笑顔で写っている写真。
どうやらそのおばあちゃんは数年前に亡くなっているようです。
当たり前なのですが亡くなった人の写真は、もう撮ることが出来ないんだな。
と、その時気づきました。
あたり前、にしてしまっていること。
日常だと、思ってしまっていること。
家族とか友達とか。
周りにいてくれる人々のこと。
大切にしていきたいとあらためて思いました
私が生まれる前に亡くなって、祖母や母の話でしかしらない私の祖父は宮城生まれ。
無口で寡黙だけれどお酒が好きな東北人だったと聞いています。
お土産に笹かまぼこを買ってきたので仏壇に供えつつ、おじいちゃんに報告してきたいとおもいます
私一人の力は本当にちっちゃい。
だからこそ精一杯、自分に出来ることをやろうと思っています。
おじいちゃん、孫はおじいちゃんの故郷で頑張ってきましたよ
思い出のいっぱい詰まった写真。。
二度と撮れない写真もいっぱいある。
持ち主を待っている写真とご家族の対面に立ち会えたMAIは幸せ者だと思うよ。
ボランティア活動してて、住民の方の心からのありがとうや笑顔が一番うれしいし、役に立ったんだって実感するね。
私たちにできることは、やっぱり周りに感謝して日々生きることだと思いました。