☆NONBIRI LIFE,MAI LIFE☆

ゆるやかに、のんびりと・・時にアクティブに日々の暮らしの中にヨガを取り入れてます。

宮城より2 May 2011

2011-05-31 23:31:55 | Weblog


七ヶ浜町では仮設住宅の建設も着々と進んでいて。

そんな仮設住宅にある集会場ではそこに住む人たちの憩いの場となるようお茶飲みスペースがあって、そこのお手伝いもさせてもらいました。

お茶やコーヒーを出しながら、東北弁に悪戦苦闘しつつおじいちゃんやおばあちゃんといろいろなお話をしてきましたよ

他愛もない天気の話や町自慢や自分の生い立ち、進んで自分から3月11日の様子を詳しく話す方もみえて。


チリ津波を教訓に家を高く建てていたこと。

予想をはるかに超えた津波だったということ。

窓の外から車や船を押し流してくる波を見たということ。

デイサービスの帰り道で少しでも時間がずれたら波にのまれていたかもしれないということ。

地区の殆どの家が流され自治体として機能しないということ。

避難所を転々として近所の人びとや友人がどこでどうしているのかわからないということ。

炊き出しの食事が洋食ばかりで口に合わず8キロも痩せたということ。

避難所や仮設住宅で何もやることがないということ。

車が流されてどこにも行けない人が大勢いるということ。





それでも暗い話しばかりではなく、もしかしたら無理になのかもしれないけれど賑やかに笑顔もこぼれつつ楽しくお話しさせてもらいました。





『物なんかね、ぜーんぶ流されちゃったの。なーんにも無くなっちゃったの

って一人のおばあちゃんがつぶやくと、

『そうそう、物も無い・お金も無い

そう他のおばさんが返して、また他のおばさんが、

『お金は最初から無かったけどね

って言って、みんなで大笑い



『でも、命はあったから

『そうそう、命はあったから

ってみんなでうなずきあっていて。


私はただその言葉の重みに涙が出そうになりつつ、笑顔を浮かべながらうなずいていました。




お茶のみスペースも終了に近づいてきた頃、一人のおばあさんが「少しここで待たせてもらってもいいですか」と入ってきて。

どうぞどうぞ、とお茶を出しながら私がどこかにお出かけですか?と聞いたら「これからお通夜に行くんです。」と返事が返ってきて。

津波にのまれた中学生と高校生の子のお通夜にこれから行くのだと。






その日の夜、寝袋の中で震災から二ヶ月以上たってからお葬式なのか。

と一人考えてしまって。

棺が足りなかったのか、火葬場が一杯だったのか、それとも行方不明のままでやっと身元が確認されたのか・・・

推測しかできないけれどそのどれも、やりきなない
私は普段子どもと係わっているので亡くなった子たちの同級生のことを考えると本当にやりきれなくて。

何でどこかにお出かけですか。なんて聞いてしまったんだろう、って自分を責めて。


思い返してみて気づきました。


そのおばあさんは確かに黒い服を着ていたけれど、礼服を着ていたわけじゃなかった。

真珠のネックレスをしていたわけじゃなかった。



そんなものは全部流されちゃったんだ。


そう思って少し泣いた。


おそらく幾度となく黒い服に身を包まなきゃいけなかった人たちを思って、私はその時だけ泣きました。




それでも、その日の宮城の空はとても、きれいでした。






自然の力は大きすぎて、時に私たちにはどうすることも出来ない。


それでも、東北の空はとてもきれいでした。

宮城より1 May 2011

2011-05-31 14:39:15 | Weblog
先日、五日間という短い期間でしたが災害ボランティアとして東日本大震災で被災した宮城県・七ヶ浜町へ行ってきました。



名古屋からバスに揺られること11時間半。

宮城県内に入った時にはもうすっかり夜。

昨年、宮城に遊びに行って『今度は七夕祭りの時期においで』と親戚のおじさんに言われたのを思い出して。
あれから一年もたっていないのに、まさかこういう理由で再び宮城を訪れるとは夢にも思わなかったな・・





七ヶ浜町は仙台市の北東に位置するその名の通り七つの浜に囲まれた町です。

元々は海苔づくりや漁業が盛んで海水浴やサーフィンに来る人も多いそう。

美しかったであろう浜。
二ヶ月経った今でももだこの状態。



海にも流された物や沈んでしまったもので散乱状態。
漁業で生計を立てていた人も多くいたのに殆どの船が流され漁に出られない日々が続いているそうです。



仮設住宅で出会ったあばあちゃんは自宅に船が3隻突っ込んで全壊した、と話していました。






私は七ヶ浜・宮城県職員や他のボランティアさんたちと一緒に津波で流され瓦礫の中から集められたアルバムや写真の洗浄を行いました。

泥まみれになったアルバムから一枚一枚写真を取り出し、ブラシをかけながら水洗いして薬品に漬け干すという作業。



作業場になったグラウンドには大きなテントがいくつかあり見つかった地域ごとに写真や位牌・遺影が集めれれていました。




泥は流せても一度海水に浸かってしまった写真ははがれてしまっているものも多くありました。
それでも、一所懸命洗浄させてもらいました。

だって、全ての写真がどこか見覚えがあるどこの家にもあるであろう記念写真ばかりだったので

結婚式の写真や子どもが生まれたときの写真。

入学式。卒業式。成人式。

家を新築した時の写真。

大切な思い出の写真が一人でも多くの持ち主の元に戻りますように・・
たった4、5時間の作業でしたが誠意を込めてやらしてもらいました。



地元のTVで写真を保管しているテントの様子が流れたときに、ウチのひいおばあちゃんの写真が映ったの!!!とアルバムを探しにきているご家族がいました。

私も微力ながら探すのをお手伝いし・・・

30分ほど探し回った結果、その写真を見つけることが出来て

その時のご家族の嬉しそうな笑顔を私は忘れることが出来そうにありません。

ひいおばあちゃんがひ孫三人に囲まれてとびきりの笑顔で写っている写真。
どうやらそのおばあちゃんは数年前に亡くなっているようです。

当たり前なのですが亡くなった人の写真は、もう撮ることが出来ないんだな。
と、その時気づきました。


あたり前、にしてしまっていること。
日常だと、思ってしまっていること。

家族とか友達とか。
周りにいてくれる人々のこと。

大切にしていきたいとあらためて思いました

私が生まれる前に亡くなって、祖母や母の話でしかしらない私の祖父は宮城生まれ。
無口で寡黙だけれどお酒が好きな東北人だったと聞いています。

お土産に笹かまぼこを買ってきたので仏壇に供えつつ、おじいちゃんに報告してきたいとおもいます

私一人の力は本当にちっちゃい。
だからこそ精一杯、自分に出来ることをやろうと思っています。

おじいちゃん、孫はおじいちゃんの故郷で頑張ってきましたよ

ヨガ合宿@五箇山レポート

2011-05-06 14:32:02 | Weblog
このGWはたくさんお休みをいただきました。
いろいろな場所に行けたくさんの人と会ってリフレッシュしてきました


世界遺産になっている富山県五箇山の合掌造りの里で行われたSomaditiya主催のヨガ合宿に参加

名駅からバスで向かったのですがGW初日の為渋滞にはまり乗り継ぎの電車を逃してしまい高岡で4時間待ち。

のんびり観光でもするかーということで高岡市内を散策。
北陸は桜がきれいに咲いていてお散歩気分を満喫☆


歩いていける場所に大きな神社や国宝のお寺、日本三台大仏の一つがあったりと思いのほか楽しい時間が過ごせました!




高岡駅からローカルバスに揺られること2時間。
途中貸切状態のバス車内で無事つけるか不安になりましたがなんとか夕食前には五箇山に到着することができました

まだたくさん雪が残っていて予想以上に夜は寒かったです
暖炉が大活躍!


暖炉の周りでの瞑想やオームチャンティングは本当に気持ちよかった・・

合宿中の食事は菜食和食。
旬の山菜など土地のものを美味しくいただきました・・

五箇山豆腐や赤カブの漬物など名産品も堪能!
どこに行ってもご飯は旅の(合宿ですが)楽しみですよね☆

大好きなふきのとうやこごみの天ぷらも頂きましたー!

菜食主義やベジタリアンというと食べれるものないじゃない!と言われる方もみえますがいえいえ、日本には他にも美味しいものたくさんありますよね

朝は6時からハタヨガ。
夜は瞑想してから10時には就寝。

ぐっすり寝て早起きしてヨガをして美味しいもの食べて・・

参加されていた方々とお話しすることもできとても有意義な時間を過ごせました☆