■喜多川歌麿作「木曽義仲軍将図」には越中石黒氏の「石黒光弘」が描かれている。
●「後醍醐天皇第八皇子宗良親王」の研究者で、親王の「李花集」等の研究者である川田順氏はその著作の【宗良親王】で、『宗良親王は福光城、木舟城、赤丸浅井城』を構えていた「越中石黒氏」を頼り、越中に入られた事を記載されている。
石黒大介著作の『石黒氏の歴史の研究』に示されている「越中石黒系図」に拠ると、「赤丸浅井城」を再興した「石黒光景」は「福光城」、「木舟城」に名を遺す「石黒光弘」の父親と記されている。
「石黒・加賀林系図」
「源平盛衰記」に見られる「石黒光景」とその子の「石黒光弘」
■「石黒光弘」は加賀の「安宅合戦」で矢傷を受けたが、兄弟の「福満五郎」等に助けられて、次の「利波山の倶利伽羅合戦」では復活して奮戦している。
源平の「利波山の倶利伽羅合戦」