赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

勧進帳の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史―「越中吉岡庄」「五位庄」

📕📖「金沢古蹟志」(※森田柿園著)・「加賀藩史稿」(※永山近彰編)記載の加賀藩士「九里氏」⇒織田信長家臣から加賀藩士へ!!

2017-11-06 | 歴史
■「金沢古蹟志」
加賀藩に九里氏(くのりし、くりし)と言う生え抜きの家臣がいたと森田柿園は特にその著作の「金沢古蹟志」に書残している。この氏族は北陸および近畿の氏族で、表記には九ノ里(九野里)、九法、久乗(久乘)などの変種があると云う。









石川県図書館協会発行の「金沢古蹟志」(※森田柿園著)に見る「九里氏」。

享保九年の加賀藩士帳に「千五百石九里甚左衛門」と在り、この一族は明治維新の廃藩迄、金沢市新竪町広見に居住したが、家屋を売却して何処かへ移転したと云う。
この先祖の九里夕庵は前田綱紀の近臣で、二千石を賜っていたと云う。
幕末の九里正長は「越登賀三州誌」等を著した「富田景州」の同僚だったと云う。九里氏の祖先の「九里甚左衛門」は当初、織田信長に仕え、前田利家が越前府中(福井県武生市)の城主の時に前田利家に仕官した加賀藩の古老で在ったと云う。
この一族は、歴代、小姓頭、馬廻り役、定番頭、金沢町奉行、算用場奉行等の要職を歴任したと云う。加賀藩の学者の「富田景州」や「森田柿園」は特にこの氏族を「加賀藩成立以来の古老、知識人」として特に紹介している。

■「加賀藩史稿」の「九里正貞」
加賀藩の歴代藩主や歴代藩士について公爵前田利嗣からの依頼で永山近彰が編纂した「加賀藩史稿」には詳しい藩士の由来も記されている。
















◎この「金沢古蹟志」、や「越中志徴」「加賀志徴」「能登志徴」を著した「森田柿園」は、加賀藩の記録を遺した学者だが、膨大なその著作や貯蔵資料は石川県立図書館の「森田柿園文庫」に保管されている。
この文庫には、「延喜式内社赤丸浅井神社」の古絵図も保管されている。
森田柿園は元々、市街地中心部の「柿の木畑」に住まいしていたが、この土地は金沢市役所近く、旧の「宇都宮書店」の近くに在ったが、その後、この土地は富山市の飲食業者の手に渡り、現在は駐車場になっている。









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📚🌸 「真書 太閤記 全三十巻」に見られる「織田信長」、「前田利家」、「豊臣秀吉」、「豊臣秀次」、「豊臣秀頼」、「徳川家康」、「石田三成」達!!

2017-11-02 | 歴史






■「太閤記」は織田信長と前田利家達の家臣の戦乱の歴史と織田信長の本能寺での暗殺、豊臣秀吉の関白、太閤への就任、朝鮮出兵、秀頼の誕生、秀次の関白への就任と切腹、秀吉の死去迄を記している。
秀吉の死亡時には朝鮮出兵中で在った為に石田三成達は秀吉の死亡を伏せ、後に葬儀の様子を事細かに作文させて家臣達にその作り事の葬儀の様子を転写させて、全国に流布した。「真書太閤記」には秀吉の葬儀を報せるこの偽物の「葬儀記録」も細かく記載され、参列の武将達の様子も含めて載せられている。









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