銀が1月31日に、雪のところへ旅立ちました。
4歳でした。
私はもちろん銀は長生きすると信じてましたが
幼鳥の頃から病院通いをくりかえしていたわりには
銀なりにがんばったと思います。
一週間くらい前は飛んじゃったりもして
良くなったな〜と喜んでいました。
でも、止まり木にとまるのがやっとの脚力。
それでも、餌を食べるとき以外は上の止まり木までのぼってくるから
プラケースに入れて看病するのは、やめました。
鳥としての自信もなくなるだろうし
何より私が、認めたくなくて。
亡くなる3日前くらいは餌をガツガツ食べてました。
餌をいつでも食べられるよう、上の止まり木でも食べられるようにして
夜も部屋の電気はつけたままにしました。
私は毎日銀を見守る、というより監視しているようでした。
前の晩はなかなか手の中から下りようとしませんでした。
まさかそんなに早くその時期が近づいているとは思わなかったので
餌を食べにカゴに戻るよう促しました。
3回ほど拒否してやっとカゴに戻り餌を少しついばむと
上の止まり木ですぐ寝てしまいました。
31日は出かけていました。
出かける朝は上の止まり木で寝ていたので
カゴ越しに飲み薬をあげると一口飲むと「もっと」と嘴を開けました。
好きならいくらでも飲ませてよい、という薬だったので
たくさん飲ませてから出かけました。
今思うと、
銀はもっと早く雪に会いに行きたかったのかもしれないのに
私が監視していたからなかなか旅立てなかったのかもしれません。
一生懸命ゴハンを食べ、無理して止まり木にとまり
元気を装っていたんでしょうね。
帰ってくると、銀は床に敷いたペーパータオルの上で
静かに横たわっていました。
まるで私がいない日を見計らったかのようでした。
私は手の中に入れて見送ってあげたかったのになぁ。
銀はそんな湿っぽいことはしないでくれよ、と
思っていたのかもしれません。
バイバイ、銀ちゃん。
銀ちゃんのおかげで楽しかったよ。
ありがとね。
思いは沢山あるけど、口に出したり文章にすると
目から鼻から口からいろいろあふれ出てしまうので
胸にとどめ、笑顔でお別れすることにしました。
たった1ヶ月ちょっとしかそばにいなかったけど
桃は完全に銀の歌声をマスターしました。
銀に怒られてばっかりだったせいか威嚇の声も混ぜ込んで
オリジナルソングになってます。
「ホケキョ〜ピュゥゥ〜 クルルルル〜(怒)!ケキョケキョ」
銀がまだ傍にいるみたいです。