ものつくりにん(ma-mac)の生活
ma-macが感じた造形的表現の日々。
 



 久々の本焼。以前作って素焼きまでしていた湯呑みの器に施釉しました。



 来年の正月用にと。今度の正月は親戚が集まりますので、その時用かも。
 青藁灰釉に白(チタン乳濁釉)を掛けていますので若干ですがピンク色を帯びています。

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 すこし時間ができたので、近くの温泉にひとっ走り。のんびりゆらゆら一人旅でーす。


 ここ平谷温泉は、大村市と鹿島市を結ぶ国道444号線沿いにあります。大村方面から国道444号線の平谷黒木トンネルを抜けて、平谷キャンプ場入口を下り、しばらくすると左側の能古見渓谷脇に看板が左手に見えてきます。鹿島市方面から行くと鹿島駅から車で約20分、 平成11年に開通した平谷・黒木トンネルの手前にある一軒宿の温泉地です。「肥前耶馬渓」と呼ばれているようで、静かな山間に佇んでいます。


 能古見渓谷の奥にあり、発見されてから300年。170年前から湯治場として知られているようです。


 浴室には熱めの湯とぬるめの湯があります。広い展望風呂からは静かな山の景色が見え、ゆっくりとのんびり浸かることができました。他のお客さんも少なく伸び伸びと。上がる頃、結構人数が増えだしたので、実は辺鄙なところですがお客さんは多いようです。


 温泉のすぐ近く、大村側に平谷物産直売所がありました。


 ちょっと立ち寄ってみると、水汲み場も完備してあり、水を汲みにくる人も多かったです。新鮮な野菜と店頭では揚げたての天ぷらも販売されていましたよ。美味しそうだったので、たこ天と明太天を購入~。


 帰ってからさっそくお酒のつまみに出してみると、おまけがはいっていました。お魚天ぷら2つサービスしてくれていたのですね!おばさん~。


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 先月の末に有田の大公孫樹(おおいちょう)を見学に行った。近くに住んでいるのに初めての場所。紅葉以外の季節のときには、たまに通りかかったことあったんだけど、やはり気づきませんでした。


 泉山大公孫樹(大いちょう)と言われるこの樹ですが、泉山弁財天社境内にある樹齢約1000年の国の天然記念物です。高さ約40m、根回り11.6mの佐賀県内一の巨木です。11月になると木全体が黄金色に変わり、また、落ち葉で黄色のじゅうたんがひかれロマンチックな散歩道となります。




 きれいな黄色い銀杏のじゅうたんが敷き詰められています。とても大きい樹みたいです。公孫樹の樹のなかでは、日本で10本のなかに入るそうですよ。大きな樹ってなんだか神秘的なので好きなんです。『樹』という漢字もなんだか好きなんだなあ~っと

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 ちょいと前にプジョーディーラーまで出掛けました。キャンペーンのご案内をいただいておりましたので・・・。
DMの中にMTBプレゼントのチラシが。さっそく出しに行くと・・・。


 DMを持参した人に粗品を進呈中とのこと。エンジンオイル10パーセントOFFのチケットとクッキーです。


 家に帰ってコーヒーを入れてっと。おいしくいただきました。
 ただいま『プジョーサイト』ではプジョーオリジナル
壁掛カレンダープレゼント中です。欲しい方は応募してみては!

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 一緒に住んでいた爺さんが先月に亡くなりました。同居していた身内が亡くなるとこんなに悲しいものかと。17年前に心筋梗塞を患い、その2年後に脳梗塞を併発。以後、半身不随で10数年も不自由な生活であった彼ですが、そんなことは微塵もみせず、最近までとても元気な様子でした。
 若いころから頑固一徹で、頑張り屋で、しっかりとした意思を持って、ゼロからのスタートから、周辺の田畑を買い取り、汗水流して働いていたようです。自宅に和牛を30頭程飼い、育てた和牛は、高級牛として競りに出されていたようです。その育て方に定評があり、大型バスで遠方から見学者が定期的に訪れていました。自分にも他人にも厳しい性格。私も小さいころはよく叱られていた記憶が残っています。
 自宅で療養している祖父の姿が日常生活の一部となったここ15年程。立って歩いて杖付いて、デイサービスや定期検診に行っていたんですが・・・。もうすぐ1年が経つ、今年1月中旬。ご飯が喉を通らなくなったことで精密検査をすると、食道にガンが発見されました。それも末期。脊髄にも転移がみられ、治療のしようがない状況でした。
 結婚式を控えた私は、どうにか自宅での結婚式をと考えましたが、参加者の問題でそれはできず、爺さんの列席は不可能となりました。日々変化する爺さんの状況を見守るしか有りませんでした。取りあえず、放射線治療を行ったところ、少し回復傾向に向かいました。結婚式前に病院に移った祖父の見舞いに行った時、「おいも行きたかった」と言いました。「後で撮ったビデオ見せるけん」それだけしか言えませんでした。
 季節は暖かくなり、祖父の容態もガン発見の時よりもよくなり普通に会話できるほどに回復してきました。出来るだけ会う時間をとろうとほぼ週末ごとに見舞いに行きました。そんなときのある日、爺さんが、「おいの葬式は自宅でするとやけん、わいは庭ばようはわいとけよ(自分の葬式は自宅でするから、お前は庭をよく掃いておけよ)」と言いました。「なんば言いよっとね、そがんこといわんで良か」と言い、帰るとき、涙が止まりませんでした。
 それから数ヶ月が経ち、先月の20日、数日前から呼吸が苦しくなったようで親族の者が寄り合いました。普段と変わらない様子だったので12時過ぎに病院に泊まる数人を残して帰った明け方、誰にも迷惑をかけず、苦しむこと無く息を引き取ったようです。私が連絡を受けて駆け寄った時はもう安らかに眠ってました(享年83才)。
 祖父の希望で、葬儀は自宅葬でした。父にもずいぶん前から言っていたようです。祖父を見送った明け方の病院から着替えをとり自宅へ。それから自分の数珠を持っていなかったので近くの仏具店に朝から立寄り数珠を購入しました。そして、まずは祖父との約束を守るために庭の掃除を行いました。そのあとは窓ふきなど家の掃除。自宅葬は大変ですが、田舎の土地柄か、地域の皆様のお手伝いで滞り無く行われました。400名程の列席者もなんとかこなせたようです。近隣の班の皆様に本当に感謝です。
 もう2週間が経ったんですが、やっと最近、仕事にも本格的に復帰できそうな心境です。日常でもやっとブログで報告ができたかなっと。それまではぼーっとしてたような・・・。毎週、一七日(ひとなのか)、二七日(ふたなのか)などと法要があります。49日過ぎるまではまだまだ自宅での法要等も大変です。いまだに祖父のことを考えると涙が込み上げてきます。しかし親を亡くした両親はもっと辛いのだろうなとも考えることもあり、歳をとることは辛いけど受け入れなければ行けない現実もあるのだなと感じる今日このごろ。

 
 延々と書きつづって、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
最近、ブログの投稿をさぼってましたけど、いまからもボチボチと更新していきますのでこれからもよろしくっと。
 写真は、20年程前のバリバリ頑固一徹時代の祖父の姿です。

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