歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

師走の光

2010-12-31 21:39:35 | 日記
書店に行って、『本能寺将星録』を目立つ所、目立つ所に並び替え・・・
そんな師走。

一応、今日が仕事収め。
大晦日らしく夕日(なんでやねん)でも撮ろうかと思ったら、
いつの間にか日が暮れていた。



しかし、師走は車も忙しない。家路を急ぐ人々。

何かそれっぽいことはデビュー1周年の時に書いてしまった。
そんな訳で、本年の更新はこれにて終了します。
ブログ開設から2ヶ月弱、皆様ありがとうございました。
それでは、迎える年に幸多かれと祈りつつ。
また、来年!!



智本光隆




本能寺将星録紀行5―安土城、天主の残光―

2010-12-31 01:17:21 | 本能寺将星録
「本能寺将星録紀行」第5回、旅は安土山の上へと。
さて、大階段から登山して安土城の中心部へと入ります。



虎口を抜けていざ、天主へ。


 
・・・思ったより狭いな、というのが正直な感想。


この安土城は他の城と違って、信長が日々の暮らしの場所にしていたとのこと。
安土全体にいえることですが、知名度の割に史料がない。
現在、流布している天主のイメージも『信長公記』に拠るところが大きいかと。
ちなみに、所謂「吹き抜け」は『本能寺将星録』では存在したということにしています。

安土城は本能寺の変後、放火によって焼失しています。
犯人?は織田信雄、明智秀満、乱入した掠奪者と諸説あります。
本作では、さて・・・



次に伝二の丸跡の信長公廟へ。




織田信長という存在は、今作の主人公である細川忠興のカリスマとして設定しています。
前作、『関ヶ原群雄伝』は「豊臣の子」がテーマのひとつでしたが、
差し詰め忠興や蒲生氏郷は「信長チルドレン」とも言うべき存在。
氏郷は早死にしましたが、忠興は生涯、その想いはあったのかな・・・と。
仮に氏郷が死なず、関ヶ原で忠興と共同戦線を取っていたら・・・とか考えますね。

さて、次は総見寺へと下山。途中の写真を。


 

何か、向こうから誰か現れそうな錯覚を覚えます。



西の湖が見えますね。安土城の時代には琵琶湖と直結していたとのこと。
天気が悪かったのが少し残念(梅雨時だから、仕方ないか)

そして、総見寺へと到着。


 

安土城築城に伴って開山。廃城後も存続して江戸時代を通じて活動したものの、
嘉永7年(1874)に伽藍の大半が焼失、現在残っているのは三重塔と二王門のみとなっております。



そして、下山。ちなみに、この先は大階段のところへつながっていました。

とにかく、「山の中」という印象。神秘性すら感じますが、逆に往時の想像がし難い面も。

「安土編」はこれにて終了。
本年の「本能寺将星録紀行」の更新もこれで終了です(当たり前か)
さあ~京都帰ろう。


参考文献
『安土城1999』安土城考古博物館 1999年
『安土 信長の城と城下町』滋賀県教育委員会 2009年






細川ガラシャ

2010-12-28 21:38:07 | 本能寺将星録
今回、帯にも表紙にも触れられていませんが、『本能寺将星録』には細川ガラシャ(明智珠子)が登場しております。
細川忠興の正室、明智光秀の娘、キリシタン・・・
作中の時期はまだ洗礼を受ける前と思われ、ガラシャの洗礼名は直接的には登場しません。
え~正直、世間的には忠興より知名度高いです。
以前にちょっと触れましたが、長岡京市にも熊本にも「ガラシャ通り」があります。

智本「今回の作品には細川忠興とガラシャが出ます」
親戚「主人公はどっち?」

智本「細川忠興戦記 本能寺将星録よろしくお願いします」
知人「細川忠興っていうと・・・」
智本「妻はガラシャで」
知人「あ~あ~知ってる、知ってる。キリシタンの」

・・・なんて反応もありました。

さて、そんなわけで珠子が登場している『本能寺将星録』(下巻の方が出番多いか?)
正直、忠興と珠子の夫婦仲には諸説あります。
性格などはある程度オリジナルですが。

ひとつ、描こうと思ったのは「信長を敬愛する忠興」に対して「細川の側に立つガラシャ」です。
珠子といえば創作では、本能寺の変の際に父・光秀に味方してくれと懇願し(願っていて)、
それが切っ掛けで忠興と不仲になった・・・というのを多く見ます。
『本能寺将星録』では果たして?

イエズス会、そして高山右近は?
そして、「庭師」のエピソードは私なりの解釈を加えてみました。
その先に忠興と珠子の未来はあるのか?



勝龍寺城の前にも「明智光秀三女玉お輿入れの城」の石碑が。





坂の上の雲と全日本選手権

2010-12-27 00:00:59 | 日記
『本能寺将星録』発売を記念して、テンプレートも星に!!
・・・ブログタイトルとあってない気もするけれど。

さて、本日はNHK「坂の上の雲」の今年度最後の放送がありました。
智本光隆は放送前からこのドラマ、非常に注目していました。
なので、去年の第一部は多少「?」という感じがしてました。
「原作ダイジェスト」的な感じがして。

で、今年の第2部なのですが、忙しくてまだ全部見ていません。
ただ、今日の放送は見たのですが非常に面白い。
広瀬の好演とかありますが、全部見てないのでコメントは後ほど。

ラストのナレーションからすると、来年の旅順は原作通りか?
それとも、同じ司馬氏原作の『殉死』を取り入れるのか?
乃木と第3軍戦術の描写が気になるところ。
しかし、次回は来年12月(笑)
去年も思いましたが。なんつうか、まあ。

その裏でやってたのが、フィギュアスケートの全日本選手権(あ、ボクシングもあったか)
小塚崇彦選手&安藤美姫選手、優勝おめでとう!!

小塚選手、高橋選手とぶつかったりとか色々ありましたが。
そして、やっぱり安藤VS浅田という構図になると盛り上がるなあ、と実感。
鈴木明子選手が世界選手権に出られないのは、ちょっと残念ですけどね。

しかし、ウインタースポーツは見ていて楽しい。
オリンピック以外でも、少しは放送してくれないもんですかね、カーリングとかも。
そういえば、チーム青森の直筆サイン持ってるな、自分。
ただ、現在は本橋選手も目黒選手もいないけど。
余計に貴重品?

本能寺将星録紀行4―安土城、天下布武への道―

2010-12-26 01:06:27 | 本能寺将星録
何気に今回からタイトルを微妙に凝ってみました。
この「本能寺将星録紀行」も第4回目でいよいよ、安土城へ。



セミナリヨから5分程度。


今更、何かしらの説明が必要とも思えませんが、
織田信長が「天下布武」の拠点として築いた当時、日本最大級の城郭が安土城です。
天正4年(1576)に着工、本能寺の変直後に焼失、僅か6年で消えた「幻の名城」です。

で・・・セミナリヨの時も痛感したのですが、確かに「幻」だけあって知名度の割に資料がない(泣)
そんな訳で、『本能寺将星録』では安土の街など、かなり推測で書いています。
当初の予定に比べて安土城の出番が減ったので、あまり目立たないかも知れませんが。
さて、そんな訳で安土城へ。今回は写真を何時もより多めに。天主・総見寺編と2回に分けてお送り致します。


  

大階段。結構、段差はあります。作中にも登場。そして、側面から。


安土城大手路の大階段。
多くの創作でこの場所は、安土城の表玄関的に描かれています。本作も思いっきり同様。
しかし、この「大手」なる言葉、当時は使用されてはおらず後世のもののようです。
「追手」という字を当てたともされ、必ずしも正面の意とは限らず。
もっとも、発掘調査ではこの大手路は本丸からそのまま下街道に直結しており、これは後の城でも見られない特徴。

現在の大手路は平成元年からの発掘調査により、江戸時代の石積みなどを取り払って、
築城当時を再現したものであります。



伝羽柴秀吉邸。大手路を挟んで伝前田利家邸が。


大手路の左右は羽柴秀吉、前田利家、徳川家康の邸地と推定されています。
これらは後世に当てはめられたもので、必ずしも正確とはいえないもの。
確かに安土城築城当時の秀吉、利家が向かい同士に邸を構えるというのはちょっと考えられないか。



分かりやすくプレートが(笑)


安土城といえば有名なのは城の建造物に石仏を使用したこと。
これは当時としては特に珍しくいことでもなく、信長の仏教に対するスタンスとは多分無縁。
作中では細川忠興がこの石仏、かなりぞんざいに扱っておりますが。


  
ブログ開設で使った紫陽花は、このあたりだったかな。


現在では完全に山の中という感じですが、築城当時はこれらの木々は取り払われていたと思われます。
さて、次回は安土城の中枢部、大天主へ。