今では特急まですべての列車が止まり、南海線と高野線や堺筋線との乗換駅としてにぎやかですが地上駅の時代は天王寺支線の乗り換えがありましたが普通(高野線は各停)しか止まらないのでやや不便な駅でしたが、工場が併設されていて規模の大きな駅でした。
1982年ごろ南海線ホーム(上り急行)
1982年ごろ高野線ホーム。(下りこうや号)
この頃はまでは駅舎側から①②番線が天王寺支線、③④番線が高野線、⑤⑥番線が南海線、その向こうに車庫と工場でした。
1982年高架工事を始めるにあたり工場を閉鎖し高野線千代田駅付近に移転。1984年には天王寺支線の一部廃止。
1986年ごろ
工場のあった空いた土地に仮線を設けて順次移設。
1987年ごろ
仮線時代のホームは南海線、高野線それぞれの島式ホーム。
元駅の場所に新しい高架駅を建設、1995年全線高架が完了し長い工事も終わりました。
1999,7,31 泉北高速5000系「ハッピーベアル号」
高架になって通天閣が見えるようになりました。
1982年ごろ南海線ホーム(上り急行)
1982年ごろ高野線ホーム。(下りこうや号)
この頃はまでは駅舎側から①②番線が天王寺支線、③④番線が高野線、⑤⑥番線が南海線、その向こうに車庫と工場でした。
1982年高架工事を始めるにあたり工場を閉鎖し高野線千代田駅付近に移転。1984年には天王寺支線の一部廃止。
1986年ごろ
工場のあった空いた土地に仮線を設けて順次移設。
1987年ごろ
仮線時代のホームは南海線、高野線それぞれの島式ホーム。
元駅の場所に新しい高架駅を建設、1995年全線高架が完了し長い工事も終わりました。
1999,7,31 泉北高速5000系「ハッピーベアル号」
高架になって通天閣が見えるようになりました。