鈍いなまくら刀で社会を斬る!

デザイン・サッカー・世の中など思ったことを(出来るだけ)冷静に、(極力)論理的に

「選手ファースト」と「日本人選手ファースト」は違います

2019年12月08日 18時42分25秒 | スポーツ
東京オリンピックのマラソンですが、札幌に移転が決まりました。
この件ですが、まあどこでやっても正直いいです。

トライアスロンなどもお台場で大腸菌飲みながらやるよりも
どっか水がきれいなところでやってもいいと思いますよ。

それから「選手ファースト」と「日本選手ファースト」を混同した論調も多すぎます。
オリンピックを東京という場所でやるだけであって、全世界の選手が同じ条件
じゃないとおかしいですよね。

勿論、日本でやるので、海外の選手よりも日本人選手の方が有利ということはあります。
言葉も生活スタイルも土地勘も日本の選手の方が有利ですよね。

しかし、マラソンレースの開催地、コースの変更などがあっても、
日本選手「だけ」が不利になっているわけではないですよね。

日本では夏にMGCを開いてマラソンの選手選考をしていましたが、
他の国でも酷暑を想定した選手選定を既にしているかもしれないですよね。

コースの設定も、瀬古にいちいち連絡や意見を聞きに行かないのも当たり前です。
日本のマラソン強化のど真ん中の人間に何か意見を聞いたら不公平ですよね。

これは逆に言うと、瀬古にアドバイスを求めていたとしても、瀬古がそれを公言することは
絶対に出来ません。なぜなら日本のマラソン強化の責任者がオリンピックのマラソンコースを
決めてるとなったら、それこそ「日本選手ファースト」だと全世界からバッシングされますので。

ですので、国際オリンピック委員会(IOC)という組織が公平に決定しないといけないのです。

オリンピックは、スポンサー、テレビ局、広告代理店、毎回の開催地、政府、各競技の協会
の意向が入り乱れます。この多すぎるステークホルダーを調整し、最終的にIOCが「公平」に
審査して決定したという「てい」になるので、圧倒的な情報の非対称性の中、結局IOCが
大きな権力を持つという構造になっているのです。

このIOCの強大な権力というのはロサンゼルスから始まったオリンピックの商業主義に
原因があるわけでもなく、クーベルタン男爵以前の時代から変わらない、オリンピックの持つ
啓蒙的な思想に原因があるとても根源的な問題なのです。

このオリンピックが持つ啓蒙思想が、現代に生きる我々に若干の気持ち悪さを与えている
のですが、これは論点が別なのでまた書きます。

コメントを投稿