愛の宅配便

※「愛の宅配便」は被災者支援活動について綴ったブログです。

[お茶会]のこと

2017年05月27日 | 被災者支援活動

◇車いっぱいにトイレットペーパーを積み込んで、肌寒さを感じる週末の午前と午後に、福島県相馬市郊外に設置されている仮設住宅で、第132・133回目の[お茶会]を行いました。午前には8名の、そして午後には21名の住民さんたちが集ってくださいました。

◇浪江・南相馬の避難住民さんたちの[お茶会]は、毎回、話が盛り上がり、1時間半では短く感じるようになりました。最初の頃は重苦しい雰囲気の沈黙が続き、あるときは、何と15分ほどで皆が帰ろうとしたくらいでした。

◇南相馬市の小高地区は、原発と大津波の複合被災地域です。そのときの恐怖体験を、ある住民さんが語ってくれました。もう何年も親しくお交わりを重ねてきたのですが、初めて聴くような話でした。「最近になって、ようやく涙が出るようになりました。」そう、しみじみと語ってくださいました。それほどまでの恐怖体験であったということです。聴く私も、思わず涙があふれ出てしまいそうでした。

◇来年3月で、この仮設住宅も閉鎖されます。ある住民さんは、すでに災害復興住宅の部屋の鍵をもらっているのだそうですが、ギリギリまで、この仮設住宅にいるつもりだそうです。それだけ、この6年間の仮設住宅での生活や結びつきが深かったということです。

◇「これから先も、ずっとこうした場が欲しい!」と住民さんたちが口々に言います。「でも、もうこれ以上は無理は言えないし・・」と言葉を続けます。「来年からは相馬市の社協が管理している建物の集会場を借りることができるようになったし、南相馬でも、浪江でも、どこかを借りて・・」と私。まるで自分に向かって言っているかのようでした。

◇クリスチャン・ソーシャルワーカーとしての私にできることは、目の前に激しい困難さを抱えて佇(たたず)んでおられる人たちに懸命に寄り添うことだけです。一人をすべてととらえて支えることのみです。そして共に苦楽を分かち合いたいのです。これからもコツコツと歩みを重ねてゆきたいと願っています。


[お茶会]のこと

2017年05月20日 | 被災者支援活動

◇朝は花火の音で目が覚めました。たぶん運動会の開催を告げる花火だったのでしょう。そのごとくに、暑いくらいの一日でした。

◇さて、今日の午後から行われた[お茶会]には、計18名の住民さんたちが参加してくれました。その内の2名は、すでに災害復興住宅に転住した人たちでした。「周りに知った人たちがいなくて寂しい・・」とのことでした。仮設住宅では、お互いに激しい痛みをおぼえている人たち同士の生活だったため、親密さも強いものがあったからです。

◇皆で唄ったのは、次の8曲です。「リンゴの歌」「啼くな小鳩よ」「高校三年生」「茶摘み」「なみだの操」「東京のバスガール」「上を向いて歩こう」「河内おとこ節」。元気いっぱい唄いましたョ!

◇3名の住民さんたちが、「長い間、お世話になりましたが、これでお別れです!」とのこと。ニコニコ笑顔で「そうですか・・」とは言ったものの、住民さんたちとの別れが辛くて心の中で泣いていました。6年あまりにわたって、それはもう親しい交わりの数々を経てきた人たちばかりだったからです。

◇[お茶会]の後で、1ヶ月ぶりに閖上の被災地区に出かけてみました。かさ上げ(土盛り)をした場所に、災害復興住宅や、戸建て住宅が建築中でした。


2・3・4月分活動支援金報告

2017年05月04日 | 被災者支援活動

(2月)
◎2月分 支援活動諸経費支出金額 計38,947円
◎献げられた活動支援金の合計 55,000円
◎差し引き金額 △16,053円

(3月)
◎3月分 支援活動諸経費支出金額 計46,012円
◎献げられた活動支援金の合計 10,000円
◎差し引き金額 ▲計36,012円

(4月)
◎4月分 支援活動諸経費支出金額 33,571円
◎献げられた活動支援金の合計 13,000円
◎差し引き金額 ▲20,571円


お別れ会(飯舘村)

2017年04月02日 | 被災者支援活動

◇31日(金)の夕方6時から、福島県相馬市郊外に設置されている飯舘村の仮設住宅において、翌日からの帰村解除に伴う「お別れ会」が行われました。

◇参加者たちの多くは、私の[お茶会]に参加をしてくださっておられる人たちでした。ビンゴゲームをしたりして、楽しい歓談の場となりました。

◇東電のスタッフや、ボランティアとして、この仮設住宅に関わってくださった人たちも参加してくれました。私はいつものように、食べ物や飲み物を提供しました。甘酒が好評でした。

◇どうしても私に歌って欲しい、との要望で、しかたなく(?)「矢切の渡し」を歌いました。(笑)

◇お別れ会が終わり、10名ほどの住民さんたちとお話をしました。聴けば聴くほどに出口の見えない困難な状況が伝えられ、ただただ頷きながら聴くだけでした。一人ひとりが固有の困難さを抱えながらの日々です。仮設住宅を出たのは、夜の10時半すぎでした。

◇私はクリニカル・ソーシャルワーカーであることに誇りを持っています。少なくとも研究室に閉じこもって、あれこれ資料やデータを集積して計量的・数量的な分析を重ねるような人間ではありません。もちろん、それはそれで大切な事柄ですが・・。

◇これからも被災当事者さんたち、一人ひとりが置かれている固有の困難さに即して思考しつつ、継続的な実践を積み重ねてゆきたいと考えています。


お茶会のこと

2017年03月30日 | 被災者支援活動

◇24日の[お茶会]には17名の住民さんが参加してくれました。神戸から来た若者も参加してくれました。災害復興住宅への転住のため、今回が最後の参加になった住民さんもいましたし、逆に、すでに転住した住民さんも参加してくれました。定住外国人の住民さんも含まれています。皆、混乱の中を、この仮設住宅で苦楽を共にしたお仲間さんたちです。

◇画像のように、集会所の外には木製の物置が設置されています。2011年の秋頃に、大分県の木材メーカーが大型トラックで6つの物置を運んできて寄贈してくださったのです。出入り口のカーテンは、私の部屋にあったカーテンです。(笑)

◇あの当時は、皆が分かち合って生活をしていました。私もまた、住民さんたちのお手伝いをする目的で仮設住宅での生活を願い、県にも自治体にも働きかけましたが、被災者ではないとの理由で拒否されてしまいました。

◇25日の福島での「お茶会」は、午前が12名、午後は24名の住民さんが参加してくれました。浪江の住民さんのうち、ご自宅に戻られた人や、近隣の南相馬市の災害復興住宅に転住した人も参加してくれました。怪我のために入院生活を送っていた人も退院されて参加してくれました。皆、同じく、この仮設住宅で苦楽を分かち合ったお仲間です。

◇数日前に、南相馬市の小高地区を訪れました。南相馬市の中でも福島第一原発に近い地域です。まるで人気(ひとけ)のない様子でした。まだまだ放射線量が高いのです。

◇原発が落ち着くまでは数十年の期間が必要です。この地域で果たすべき役割がある間は、私も共に歩ませてもらいたいと考えています。


[お茶会]のこと

2017年02月24日 | 被災者支援活動

◇今日の[お茶会]には19人の住民さんたちが集いました。と言っても、その中の4人は、もうすでに仮設住宅を退去した人たちでしたが・・。さらには、完成した災害復興住宅への転住に伴い、仮設住宅を退去した常連さんたちの姿が見られなくなったのは寂しいかぎりでしたが・・。

◇いつものように、楽しい雰囲気の中で歌いまくりました。その数、なんと11曲!

◇先日、作曲家の船村徹氏が亡くなったため、船村徹作曲の歌を唄いました。『東京だョおっ母さん(島倉千代子)』『別れの一本杉(春日八郎)』『矢切の渡し(ちあきなおみ&細川たかし)』『あの娘が泣いてる波止場(三橋美智也)』『おんなの出船(松原のぶえ)』『王将(村田英雄)』『兄弟船(鳥羽一郎)』『さだめ川(ちあきなおみ&細川たかし)』の8曲です。音源はYouTubeです。それをMP3でCDにダビングして、それを流しながら歌うのです。

◇さらには伴奏付きで、『かあさんのうた』『線路は続くよどこまでも』『ふるさと』も歌いました。あ、もちろんこれは船村徹さんが作曲した曲ではありませんが・・。(笑)

◇こうして和やかな雰囲気の中で[お茶会]を終えました。それから大型スーパーに行って、明日の福島での[お茶会]の準備に励みました。さぁ、明日は福島に向かって常磐道をGo!


12・1月分支援活動諸経費支出金額

2017年01月29日 | 被災者支援活動

(2016年)
◎12月分 支援活動諸経費支出金額 計70,813円

(活動支援金)
(1)小林さま(栃木県在住)
(2)匿名(宮城県在住)
◎献げられた活動支援金の合計 5,000円
◎差し引き金額 ▲65,813円

(2017年)
◎1月分 支援活動諸経費支出金額 計65,963円
◎差し引き金額 ▲65,963円


[お茶会]のこと

2017年01月28日 | 被災者支援活動

◇冬晴れの中、スズキのソリオちゃんに、お菓子や、貼るカイロ、それにトイレットペーパーを、いっぱい積み込んで仮設住宅に向かいました。画像のように、荷物がいっぱいで、もう後ろがまったく見えません!(笑)

◇行くと、[お茶会]の常連さんがお引っ越しの最中。あとでご挨拶に見えられました。近隣の災害公営住対へとお引っ越しです。それはそれで寂しくなります。

◇同じく常連さんの中には、病気や怪我で入院中の人たちも複数名、おられました。それでも参加者は計11名でした。

◇午後の[お茶会]には、なんと31名の参加者が!

◇この時期は、お汁粉と甘酒が大人気です。

◇3月には、各地から村民さんたちが帰村してきます。そのため、仮設住宅での[お茶会]に加えて、村の公民館等を借りて、[お茶会]を行うことを考えています。ただし、住民さんたちの送迎が問題ですが・・。

◇在日韓国人の方から韓国のりをいっぱいいただいたので、それもお配りすることができました。皆さま。どうか支援物資をお送りください。必ず被災住民さんたちに直接、お届けしますから!

◇原発は人間が造り出したモンスターです。その事故により、多くの人たちが苦しみにあえいでいます。臨床的ソーシャルワーカーである私は、為し得る範囲で、ただひたすらに生活支援を展開するのみです。どうか、引き続き、お支えくださると感謝です!


[お茶会]のこと

2016年12月18日 | 被災者支援活動

◇日曜日の今日は、教会でクリスマス礼拝と洗礼式、それに愛餐会が行われました。しかし私は午後からの[お茶会]に備えて愛餐会は欠席でした。残念!

◇[お茶会]は、別々の仮設住宅で、午後1時からと3時半からの2回で、それぞれ25名と16名の参加者でした。いつものように、楽しい[お茶会]で感謝。

◇住民さんたちの話題は、どうしても復興住宅への転住のことです。

◇5年前には元気いっぱいだった人が、杖なしでは歩くことが困難になった、と悲しげに語ってくれたためか、「おんな船頭唄」と「この世の花」を唄っているときに涙が出てしまいました。別の住民さんは「一軒家を希望したけれど、ひとり暮らしだから集合住宅になった・・」そう語ってくれました。「25歳の時に閖上(ゆりあげ)にお嫁に来たんだ!」そう語ってくれたこともありました。「そのときは私が花嫁衣装の写真を撮ったんだョ!」と、別の住民さんが懐かしそうに語ってくれたりもしました。

◇ある住民さんが、手作りのキムチの元をくださいました。秘伝なのだそうです。「美味しかったよョ!」と言ったためか、ときおり、こうしてくださるのです。

◇大きな揺れが収まって、やれやれと思っていたら、津波の来襲を知った娘さんが血相を変えて車でやって来て、「津波が来るから逃げよう!」とのことで、流されずに済んだのだそうです。地震で停電になってしまい、テレビも見られず、また防災無線も切れてしまったため、津波が来ることを知らなかったからです。ちなみに、二階建てのお家は流されてしまいました。

◇沿岸部に近いご自宅から逃げる車の中で、長年、作り上げてきた秘伝のキムチのレシピを書き留めたのだそうです。それほど大切な秘伝の味なのだそうです。最後の画像がそれです。

◇かくのごとく、住民さんたちとは、いっぱい、いっぱい思い出があるのです。共に年月(としつき)を重ねてきたのです。そして住民さんたちの何人かは、数ヶ月後には仮設住宅から、それぞれの復興住宅へと転住してゆくのです。

◇こうして「良いお年を!」の声と共に、しばしのお別れとなりました。


[お茶会]のこと

2016年12月17日 | 被災者支援活動

◇今日の[お茶会]は、午前中が25名、午後が11名の参加者でした。ご覧のように、道路が白くなっていました。

◇「もう49日だよぉ・・」「だれのさぁ?」「◯◯さんの・・」「エエ~ッ! だって10月のお茶会に来たよぉ!」「そのすぐ後で亡くなったの・・」

◇その人は飯舘村の放射能汚染が弱い地域に家を建てて仮設住宅から引っ越して行かれた人で、10月の[お茶会]に来てくれたのです。

◇ある住民さんが、「◯◯さんとは尋常高等小学校の同級生だったんだ・・。」そう言いながら涙を拭きました。

◇皆の話題は、来年3月以後のことです。各地に避難していた人たちが飯舘村に帰村し始めるからです。放射線量が下がったからではありません。このままでは村が再建できない、との政治判断からです。崩壊してしまったコミュニティの再建です。ただし、はたしてどれほどの人たちが帰村するのかは分かりませんが・・。

◇そこで、「以前から考えていたんだけれど、そのうちに飯舘村に転住して福島県人になろうかなぁ・・。やっぱり福島県人にならないと、いまひとつパワーが出ないし・・」そう親しい住民さんに話しました。「自分は帰らない。もう別の所に家を建ててしまったし」と、その住民さんは言いました。

◇懐かしの歌を唄いながら、何人かの住民さんが涙を拭いていました。思い出すことがあったのでしょう。

◇午後の[お茶会]も3月以後の生活のことが話題になりました。復興住宅の入居が決まっている人たちもいました。聞くと、家賃も、それなりの負担額です。「このまま離ればなれになるのは寂しい・・」ある人が、そう言いました。気持ちは分かります。

◇他県の、あるキリスト教会では、地域で一人暮らしの高齢者たちを招いて[お茶会]を行っています。その人たちが制作した小物を託されて、住民さんたちにお配りしました。とても喜んでくださいました。

◇被災者さんではありませんが、地域でぽつんひとりで生活している高齢者たちへの支援も大きな課題です。「点」を「線」にして、それを「面」にして「立方体」にする必要があります。コミュニティ・インクルージョンということです。ちなみに私は、昨年、1年間のオーストラリア滞在中に、地域のキリスト教会が取り組んでいたコミュニティ・インクルージョンの実際を、つぶさに体感してきました。それゆえ、私には確かな見通しがあるのです。問題は・・。

◇お互いが寄り添い合って、支え合って、分かち合って歩みたいのです。目の前で苦しみにあえいでいる人たちがいるのです。「できるか&できないか?」の「判断」ではなく、「やるか&やらないか(するか&しないのか)?」の「決断」だと思うのです。もちろん、これはわが身への問いかけでもあるのですが・・。

◇さぁ、あすの[お茶会]の買い物も終わりましたよぉ!


[お茶会]のこと

2016年12月16日 | 被災者支援活動

◇今日の夕方は、明日の福島の仮設住宅で行われる[お茶会]の買い出しを行いました。

◇お菓子類の他に、大量のトイレットペーパー&ティッシュペーパーをゲット!

◇貼るカイロもゲット。その数、840個。お一人、10個の計算です。例のごとく、ホーマック(ホームセンター)のスタッフさんに箱から出してもらいました。1箱に60個の貼るカイロが入っています。

◇もちろん仮設住宅にはエアコンが設置されているのですが、電気代を節約するため、エアコンを使わない住民さんたちも多いのです。

◇画像は、2011年の11月頃の仮設住宅の様子です。大急ぎで防寒対策工事が行われました。

◇来月の[お茶会]までの間、せめて毎日、1個のカイロでもお渡ししたいのですが、活動資金との関係で、それもままならず、運転をしながら泣いてしまいました。まったく、いつまで経っても泣き虫さんで困ります。

◇あすは福島からの帰りに、日曜日の午後に行われる[お茶会]の買い出しです。私はクリスチャンなので、日曜日の午前中は教会で過ごすために、[お茶会]は午後になるのです。

◇あす唄う曲(8曲)の歌詞も印刷したし、YouTubeからMP3に変換した歌もCDにダビングしたし、これで準備OKかな?

◇最初の頃は、いろいろな人たちが[お茶会]に参加をしてくださったのですが、3年目頃からは、ほとんど私ひとりでの活動になりました。私だって被災地で生活していなければ、「まだ仮設住宅があるのですかぁ?」などと言っていたかもしれません。

◇私は東京都の肢体不自由児養護学校での臨床実践から歩みを始めました。重度状態の子どものトイレのサインが分かるまで半年、といったペースでした。地道で丁寧な実践を積み重ねることの大切さを、そのときに学びました。これからもニーズ型福祉のまなざしをもって、コツコツと「寄り添い・支え合い・分かち合い」の実践を積み重ねてゆきたいと願っています。


11月分支援活動諸経費支出金額

2016年11月30日 | 被災者支援活動

◇11月に実施した[お茶会]の報告です。

◎11月分の支援活動諸経費支出金額 計81,732円
◎献げられた活動支援金の合計 21,000円
◎差し引き金額 ▲60,732円


[お茶会]のこと

2016年11月26日 | 被災者支援活動

◇晩秋の候となった今日の[お茶会]には、午前が8人、午後が24人の住民さんが参加してくださいました。

◇トイレットペーパーや貼るカイロをお配りすることができました。

◇相馬市の仮設住宅の取り壊し作業も進展しています。そのため、いわば相馬市の中に「間借りしている」ような状態で設置されている、南相馬市・浪江町・飯舘村の仮設住宅が、ますます取り残されてしまっているような感じです。徒歩15~20分ほどのところにあった、プレハブ型の小さなお店も閉鎖されてしまいました。移動手段が乏しい住民さんたちにとっては、日常的な買い物さえ、きわめて不自由なのです。

◇こうした私の文章を、どれほどの人たちが読んでくださるのかは定かではありませんが、どうか、そうした窮状を知ってほしいのです。傍観者的な姿勢ではなく、「我が身のこと」として、とらえてくださると嬉しいのです。これは2011年の時の話ではなく、今、現在の話であり、窮状なのです。どうか引き続き、各自ができうる範囲で、関わり、祈り、献げてほしいのです!

◇さて、ある住民さんが尋常高等小学校時代の思い出や、太平洋戦争で空襲に遭ったときの話を語ってくれました。私の母親も、生前、よく歴代天皇の名前をそらんじたり、教育勅語を諳(そら)んじて聞かせてくれたものでした。教育勅語とは、「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ・・」で始まり「御名御璽(ぎょめい・ぎょじ)」で終わる教育宣言のことです。

◇余談ですが、「つまみ食い」的な学習歴を重ねた私の場合は、学部も大学院も教育学を専攻しました。同じく福祉学も、学部と大学院を卒・修了しました。そのため、教育学と福祉学の両方について関心があるのです。教育学で言えば、明治期から大正期(特に「大正自由教育」と称された時期)、さらには「戦後新教育」と称された時期の教育理念と実践に関心があります。

◇さらに余談ですが、私の場合は系統主義的教育観ではなく、生活主義的教育観に、そのベースを置いています。それゆえ、ソーシャルワークのエコロジカル・アプローチ視点への理解も容易でした。より具体的には、児童自立支援施設(旧・教護院)である、北海道家庭学校の実践や、そこで永らく施設長をしておられた谷昌恒先生の思索や実践から多くを学びました。また教育理論は、動的相対主義的教育思想を組み立てられた上田薫先生(大学院の指導教授)や、大正自由教育の研究者である中野光先生らから多くを学びました。

◇ともあれ、住民さんたちの話題は、どうしてもこれからの生活を、どう組み立て直すべきか、といった話になります。私は臨床的なソーシャルワーカーですので、政治や行政の話題には深くコミットをしないように心がけているため、ただ聴くのみです。否、より正確には、コミットをしようにも、あまりにも抱えている問題や課題の困難性が強すぎて、呆然とした思いで聴くしかない、というのが正直なところなのですが・・。

◇それでも、こうして街の中心部から遠く離れた不便な仮設住宅で、皆で寄り添い・支え合い・分かち合いながら日々の生活を営んでいるのです。ご承知のように、防寒設備が弱い仮設住宅です。そして、これから寒さに向かいます。どうか、変わらずに、お支えくださいますよう・・。


[お茶会]のこと

2016年11月23日 | 被災者支援活動

◇110回目となった今日の[お茶会]は20名の住民さんが参加してくださいました。

◇開始の30分ほど前から住民さんたちが集まりだして、私がテーブルいっぱいに広げた大量のお菓子や果物を並べてくれます。やがて、ある住民さんが勝手にミカンを食べ始めました。私の[お茶会]は、いつも、どこでもそうなるのです。つまりは、いつ始まって、終わったのかが分からないのです。リラックスしていると言えばそうですし、緊張感がないと言えばそうですが、でも、私はこうした「ゆるキャラ」的な[お茶会]の雰囲気が、とっても気に入っているのです。

◇自宅からこの仮設住宅に行くためには仙台空港の滑走路の下に設置されているトンネルを通ります。押し寄せてきた大津波で、このトンネルの中で亡くなった人たちもいるのです。「電話が来てさぁ。話し終わって、あれっ、あのひと、トンネルの中で死んだはずなのに、って思ってさぁ・・」当時は、こうした話をよく聞いたものでした。それが翌年の3月11日を境に、ピタッと聞かれなくなりました。不思議と言えば不思議ですが・・。

◇仙台空港も、被災当時は復旧作業のための米軍のテントが並んでいました。私はときどき空港に行っては、復旧作業の様子を眺めていました。トンネルを通りながら、そんなことを思い出しました。

◇当初、150戸数あまりだったこの仮設住宅も、現在、100戸を切りました。参加してくださった住民さんたちの慣れ親しんだ顔をながめながら、「これからも一緒に歩むぞぉ!」との思いを強くしたひとときでした。


「お茶会」のこと!

2016年11月19日 | 被災者支援活動

◇今日は、小雨そぼ降る、肌寒い一日でした。

◇午前中は業務が入っていたため、午後の「お茶会」となりました。参加者は15名でした。

◇やはり雨のため、近隣の仮設住宅の住民さんたちの参加はありませんでした。「雨のため、行けない・・」との伝言が仮設住宅の支援スタッフから伝えられました。

◇と、やがて雨に濡れながら、一人の住民さんが登場!

◇その住民さんは中国の出身です。

◇粉末の「甘酒」を勧めると、甘酒は初めてとのこと。しかし見事に、その味にはまってしまい、3杯目のおかわり! そこで未使用の袋ごと差し上げました。甘酒の味が気に入ってくれて感謝!(笑)

◇住民さんと、「やまちゃんとは、もう5年になるんだねぇ・・」「ボクも、ここまで長いつき合いになるとは思っていなかったなぁ・・」との会話。災害復興住宅に転住した住民さんが住宅の様子を伝えてくれました。

◇順次、復興住宅への転住者が増えてゆきます。と同時に、仮設住宅の住民さんの数も減ってゆきます。

◇「ここで知り合い、親しくなった人たちも多かったねぇ・・」「私は最後まで仮設住宅に残るから、転住まで、あと2年かなぁ・・」等々の会話。

◇こうして静かな語らいの時が過ぎてゆきました。でも歌は元気よく唄いましたよぉ! ちなみに今日、唄ったのは「美しい十代」「さらば故郷おさらばさん」「好きになった人」「まっかな秋」「お月さん今晩は」「港町十三番地」「夕焼け雲」「旅愁」の8曲でした!