愛の宅配便

※「愛の宅配便」は被災者支援活動について綴ったブログです。

「愛の宅配便」について

2020年01月01日 | 被災者支援活動
◇「愛の宅配便」は、私が展開している被災者支援活動のことです。

◇当初、私は被災当事者さんたちにとって必要度が高いと判断された「お米」を配るための支援活動(「お米プロジェクト」)を展開しました。その結果、国内外からの尊い支援金をいただき、これまで、お一人あたり2㎏のお米を、延べ人数で2746名(計5,492㎏)の被災当事者さんたちに提供させていただくことができました。

◇私は仮設住宅で展開されていた、さまざまな支援プログラムの活動中に訪問して、そこに集われた人たちにお米をお配りしてきました。しかし私自身の仕事との関係で、適切な日時に仮設住宅を訪問することができないことが多くあり、やがて独自の支援活動(お茶会)でお米をお配りするようになりました。

◇そうした中で、被災住民さんたちの状況も次第に変化し、「お米の提供」といった初期の目的が最優先課題ではなくなってきました。それ以上に、皆で苦楽を分かち合うための「くつろぎの場」の構築が大切であることが明確になってきました。それゆえ、お茶会で提供される飲食物は「お米」と同じ位置づけを有しています。

◇「お米プロジェクト」を開始した際の文章には、「献げられた支援金のすべては、お米(お餅を含む)の購入資金としてのみ使わせていただき、その他の経費には、いっさい流用いたしません。」旨を書き述べました。しかし前述したように、支援ニーズの変化に伴い、「お米」と「お茶会で提供する飲食物」とは同じ位置づけであることが確認されたため、これまで別々の会計で展開してきた経費を統合して活用させていただくことにしました。その点、状況の変化に対応した支援活動であることを、ご理解いただきたく存じます。

◇なお、引き続き『やまちゃんサービス 代表 八巻正治』および『お米プロジェクト』の口座名称で活動支援金を募っておりますので、よろしくお願いを申し上げます。


この記事をはてなブックマークに追加

[お茶会]のこと

2017年09月30日 | 被災者支援活動

◇秋晴れの週末に、福島県相馬市郊外に設置されている、原発被災者さんたちの仮設住宅で[お茶会]を行いました。

◇午前の浪江&南相馬のお茶会は11名、午後の飯舘村のお茶会は18名の参加者でした。11名の内、仮設住宅の居住者さんは3名のみで、他の人たちは周辺の自治体に設置されている復興住宅や、新たに戸建て住宅に転住された人たちでした。そのため、「久し振り&懐かしいね!」との声が何度も聞かれました。

◇最初の頃は、お菓子類のお持ち帰り用の手提げ袋をお渡しした途端に、お茶会が終わってしまったこともありました。この間、わずか15分ほどでした。それが今では延々と語らいが続きます。それだけ6年間あまりの仮設住宅でのお付き合いが密接であったということです。

◇午後のお茶会は、いつものように穏やかな語らいが続きました。何人かの住民さんが、近いうちに仮設住宅を退去して、それぞれの行き先に転住してゆくそうです。飯舘村に帰村する人はいませんでした。原発事故さえ起こらなければ、慣れ親しんだ地域で生活することができたのに、と思うと涙がこぼれます。この人たちが町や村に居られなくなるような、何か悪いことでもしたのですか?

◇お茶会が終わり、仮設住宅から車で1時間あまり走って飯舘村を訪れました。除染物質が詰め込まれたビニール袋が、村内のアチコチに積まれています。放置されたままの放射能汚染物質をどうするのですか? 仮設住宅が閉鎖された段階で原発被災者さんたちへの支援活動は終わるのですか?

◇私は政治家でも行政側の人間でもありません。ましてや自らの研究対象として被災当事者さんたちに関わっているような者では決してありません。ひとりの名もなきクリニカル(臨床的)・ソーシャルワーカーに過ぎません。可能な限り、これからも喜びと感謝をもって寄り添い続けることを願っています。


この記事をはてなブックマークに追加

「お茶会」のこと

2017年09月29日 | 被災者支援活動


◇すっかり報告が遅くなってしまいましたが、9月18日に開催した[お茶会]は、午前が15名で、午後は7名の参加者となりました。当日開催された敬老会へ参加した人たちもいたようです。

◇歌った曲は、[リンゴ村から][大利月夜][青い山脈][赤とんぼ][哀愁列車][りんごの唄][旅愁][里の秋][異国の丘][あざみの歌][東京音頭][あめふり]の、計12曲でした。

◇ある住民さんが3.11当日の出来事を語り出しました。初めて聞くような話も多くありました。また、ある住民さんが、うつ状態になった当時の思いを語ってくれました。「最初からずっといてくれてありがとう!」と私に向かって言いました。ただ、ずっと傍にいただけでしたが・・。

◇[お茶会]が終わり、閖上に出かけてみました。最後の画像を見ると、「かさ上げ(土もり)」の状態がよく分かると思います。ちなみに右側が大津波来襲前の高さです。かつては消防署だった建物が残存しています。余談ですが、かさ上げのために、私の家の近くの山も半分以上が削られてしまいました。今のところ周辺には、まったくお店がありません。今後、居住する人たちが増えてくると利便性が高まるのでしょうが・・。

◇さぁ、[やまちゃんのお茶会]は、まだまだ続きますよぉ!


この記事をはてなブックマークに追加

[お茶会]のこと

2017年08月31日 | 被災者支援活動

◇日程の都合で、平日に開催した今日の[お茶会]は、午前が11名で、午後は6名の参加者となりました。いつも20名程度の参加者を想定してお菓子等を準備しているため、参加された人たちの「お持ち帰り分」が多くてラッキーでした!

◇午前の[お茶会]には、すでにこの仮設住宅を離れた人たちが3名、参加してくれました。積もる話がいっぱいのようでした。

◇午後の[お茶会]は、仮設住宅を退去した後の生活のことで話が弾みました。つまりは災害復興住宅の建築状況によって入居時期が異なるため、すでに転居した人たちからの情報も得ているからです。一戸建て住宅の場合は土地が引き渡された後に建築が始まります。それを待っている人たちもいるのです。

◇集団移転先での居住を願わずに、独自に土地を求めてお家を再建された人たちの話は、とても気の毒です。仮設住宅の住民さんたちは、それぞれ状況は異なるにせよ、皆がご自宅を失ってしまった人たちです。共通項があります。それに対して、地域での生活を選んだ人たちは、そこから新たな生活を組み立て、人間関係を構築しなくてはなりません。それがなかなか難しいのだそうです。

◇思い起こせば、着の身、着のままに近い状態で避難所生活を過ごして、ゴールデンウィーク明けから徐々に仮設住宅への入居が始まりました。呆然とした状態の人たちを多く見かけました。私自身も、衣類等、拠出できる物は何でも提供しました。そのため、今でもセーターを一枚も持っていません。もちろん買うことはできましたが、とても自分だけそうすることはできませんでした。自分だって沿岸部に居住をしていたならば被災当事者になっていたのですから・・。

◇それにしても、まだ閑散状態の復興住宅に居住している人たちのことが気にかかります。訪問してみたいなぁ・・。病気がちの人も多かったのです。今現在は医療機関が周辺にはひとつもないのです。なにもできない、非力で無力な自分です。せめて、お互いの命が尽きるまで、継続的な交わりを続けてゆきたいと考えています。

※画像は仙台空港です。沿岸部に近いため、大津波で壊滅状態に陥りましたが、よくここまで復旧できました!


この記事をはてなブックマークに追加

[お茶会]のこと

2017年08月26日 | 被災者支援活動

◇午前の飯舘村の[お茶会]には18名が、午後の浪江町の[お茶会]には7名の参加者があり、楽しいひとときを過ごしました。ちなみに、午後の[お茶会]は、仮設住宅の住民さんは2名のみです。5名は、すでにこの仮設住宅を退去して、それぞれの自治体で生活しています。

◇何が悲しいかと言えば、イノシシをはじめとして、猿やハクビシン、アライグマ等の野生動物が、いわば「わが物顔」で自宅周辺に出没することだそうです。何年間も人が生活しないと、このようになってしまうのですね。

◇今回も放射能汚染から逃げ回った当時の話になりました。終了予定時間を過ぎても話は尽きません。ついには「来月のお茶会はいつですかぁ?」(笑)

◇「チェルノブイリ原発事故でも深刻な影響が出始めたのが、この頃からだから、若者たちの被爆が心配ですね。でもこの前、訪問した北海道のある社会福祉法人では、保養プログラムと称して、毎年、夏と冬に福島の子どもたちを北海道に招いてくれているのです。・・こうして各地で福島のことを忘れずにいてくれているみたいですよぉ・・」と私。

◇お茶会を終えた後で、村内のアチコチに積み重ねられている除染物資の山を通って、最近オープンした飯舘村の「道の駅」を訪れました。来年、矢木沢トンネルが完成すれば、南相馬市からのアクセスも向上します。一歩一歩ですね!

◇常磐道のSAで、いつものように「なみえ焼きそば」を食べました。「美味しい、なみえ焼きそばをお願い!」と言うと、「美味しい、なみえ焼きそばだってぇ!」の声。(笑)

◇SAで、相馬市磯部で収穫された梨を買いました。そうです。相馬市の梨は極上なのです。この磯部地区は相馬市の沿岸部に位置しているため、大津波の被害がひどかった地域ですが、こうして再び美味しい梨が収穫できるようになりましたよぉ!


この記事をはてなブックマークに追加

5・6・7月分 支援活動諸経費支出金額

2017年08月12日 | 被災者支援活動

◎5月分 支援活動諸経費支出金額 48,205円
◎献げられた活動支援金の合計 0円
◎差し引き金額 -48,205円
=======================================
◎6月分 支援活動諸経費支出金額 49,191円
◎献げられた活動支援金の合計 40,000円
◎差し引き金額 -9,191円
=======================================
◎7月分 支援活動諸経費支出金額 56,798円
◎献げられた活動支援金の合計 30,000円
◎差し引き金額 -26,798円

※これらすべては[お茶会]活動に要した直接経費です。交通費・謝礼等には一切、拠出していません。


この記事をはてなブックマークに追加

[お茶会]のこと

2017年07月29日 | 被災者支援活動

◇今日から3日間の日程で、相馬市・南相馬市(細かくは、鹿島・原町・小高地区)を舞台として、福島県相馬地方に伝わる国の重要無形民俗文化財である「相馬野馬追(そうま・のまおい)」が開催されます。あすは「神旗争奪戦」や「甲冑(かっちゅう)競馬」が、そして31日には「野馬懸(かけ)」が行われます。そのため、今回の画像は野馬追の出発地である相馬中村神社がメインです。

◇とは言いつつも、[お茶会]の報告も少し・・。(笑)

◇午前は8名で、午後の[お茶会]には13名の住民さんたちが集いました。より正確には、8名の内で仮設住宅の住民さんは3名のみです。数年前に較べると半数程度の参加人数になってきました。アイスを食べながら(なめながら)、歌を唄い、勝手気ままに雑談をしながら楽しく過ごしました。集会所の壁には、2年ほど前に私がオーストラリアから郵送した「サザンクロス通信」と、絵はがきが貼ってあります。(笑)

◇[お茶会]が終わり、相馬中村神社を訪問して、宮司(ぐうじ)の連れ合いさんから、この神社の特徴について、あれこれ教えてもらいました。とても良い人で、親切に教えてくれました。隣接して相馬神社があります。まさに「八百万(やおよろず)の神」ですね。

◇神社や、お寺は、いわばコミュニティ・センターのような機能を果たしてきたように思います。少年時代にボーイスカウト活動をしていたのですが、隊長さんはお寺の住職さんで、いつもそのお寺を使って活動をしていました。

◇東京に行ったときに、時間があると、よく靖国神社に行きます。私自身はクリスチャンなので、柏手を打ったりはしないのですが、幼子(おさなご)を含む、数多くの老若男女たちが神妙な面持ちで参拝している姿を眺めていると、素朴な民衆信仰の姿を見るかのようで、私の方まで清々しい気持ちになります。

◇クリスチャンたちの中には、そうした私のまなざしに対して、「聖書信仰の姿勢から外れている!」などと批判的にとらえる人たちもいることと思います。私はそうした批判を、ただ黙して甘受するのみです。そして、せめて宗教戦争だけは避けてもらいたいなぁ、と願うのみです。かつてのアフガニスタンでのタリバン組織や、武装集団である「イスラム国」なる組織は、同じイスラム教を信奉する国をベースとして内乱に明け暮れました。第二次大戦時には、独軍・米軍ともに従軍牧師・神父を引き連れて、聖書の神に自軍の勝利を祈ったのです。単純な私には理解できない光景です。

◇人間を超える存在を信じ、それに畏敬の念を抱きつつ、お互いを尊重し合いながら、支え合って生きることができるような温かな社会の実現に、今後とも微力を尽くしてゆきたいと思っています。


この記事をはてなブックマークに追加

[お茶会]のこと

2017年07月17日 | 被災者支援活動


◇今日は「海の日」の祝日でした。気温が32度まで上がりました。午前の[お茶会]には14名が、そして午後は12名の参加者でした。宇治金時アイスを食べながら(笑)、いつものように和気あいあいと楽しいひとときを過ごしました。歌った曲は以下の12曲でした。

[高校三年生][高原列車は行く][ブルーライト・ヨコハマ][帰ってこいよ][旅の夜風][誰か故郷を想わざる][一本刀土俵入り][浦島太郎][潮来花嫁さん][いつでも夢を][お富さん][三百六十五歩のマーチ]

◇「さて、だれが歌ったでしょうか?」・・「高校三年生は?」「舟木一夫!」。「ブルーライト・ヨコハマは?」「いしだ・あゆみ!」・・「浦島太郎は?」「浦島さん!」(大笑い)

◇むかし四国に住んでいたときに、瀬戸内の美しい海辺に大学のセミナーハウスがあり、その近くに「箱(はこ)」という地名がありました。ゼミ合宿の時には、そこで泳いだものでした。つまりは「浦島伝説」の場所です。

◇ずっと親しくしてきたハルちゃんが、「今度、災害復興住宅に移り住むことになったので、お別れです・・」との挨拶。ハルちゃんは25歳の時に閖上にお嫁にやって来たのだそうです。いつも笑顔で、「そうだね&そうだね!」が口癖の明るいひとでした。ハーモニカが好きで、仮設住宅の近くの丘の上で、よくハーモニカを吹くのだそうです。その話をしたときだけ、ふっと寂しげな顔をしました。いろんな苦労や困難を経てきた顔でした。今度はひとりで暮らすことになります。

◇こうして、毎回、親しかった住民さんたちとのお別れが続きます。

◇と、すでに災害復興住宅に移り住んで、この[お茶会]に参加している人が、「これからは自分の車で一緒に来ればいいから!」そうハルちゃんに言うと、「そうだね!」と、嬉しそうに笑いました。

◇息子さん夫婦と転住していったツネちゃんが手作りの贈り物を仮設住宅に届けてくれました。画像がそれです。ツネちゃんは病気のデパートのようなひとで、大変な人生を歩んできましたが、心根(こころね)の優しいひとでした。こうして仮設住宅で、こころ優しい多くの人びとに出会うことができたことを感謝しています。そう、私の方こそ感謝でいっぱいなのです。


この記事をはてなブックマークに追加

ターミネーションのこと

2017年07月11日 | 被災者支援活動

 

皆さんお変わりないですか。
先日来の九州豪雨、6年前の映像と重なって悲しいです。
一日も早く笑顔が戻るのを祈るばかりです。(画像のメモ)

◇これは数日前に届いた支援金振り込みの用紙に記載されていたメモです。

◇こうして定期的に振り込んでくださるのです。ちなみに中国地方にお住まいの方です。私が綴った文章をお読みになり、こうして定期的に支えてくださるのです。ありがたいことです。

◇さて、今日、ある仮設住宅に行くと懐かしい顔が揃っていました。7名でしたが、皆、すでにこの仮設住宅を退去された方々でした。仮設住宅の自治会の役員さんが呼びかけて[お茶会]を開いたのです。私も漬け物やトーキビ(トウモロコシ)をご馳走になりながら、移り住んだ災害復興住宅での生活の様子を聴かせていただきました。

◇実は今、私は悩んでいるのです。ソーシャルワークはターミネーション(終結)をもって支援活動を終えるのですが、その見極めの時期が難しいのです。とりわけ原発被災地の場合は、原発問題が終結するまでには40年以上を要することが想定されています。それまでは私自身の都合を優先するわけにはゆかないのです。とは言っても、私自身も生身の人間です。

◇私は肢体不自由児の養護学校の臨床現場からスタートしたのですが、そこで感じたのが養護学校を卒業した後のフォローアップの必要性です。そして年々、卒業生たちが増えてゆくことになるのですからフォローアップの必要度も増し加わることになります。ましてや当事者家族にとっては生涯にわたっての関わりとなります。

◇私が現場に入った頃には、全国各地で親子心中であるとか、わが子の将来を憂いての「子殺し」が頻発しました。世界一の長寿国家となったわが国では、ご承知のように「老老介護」と称される問題が今日的課題です。そのことのために早期退職を余儀なくされてしまった人たちを身近にみてもきました。

◇私はこれまでニュージーランドの福祉について研鑽を深めてきましたが、この国では通常は21歳になると家を出るといった慣習があります。そのため介護問題は公的支援の対象となり、その結果、北欧諸国と同様に公的支援システムが整備されてきたのです。いっぽう、わが国の場合は、その多くが当事者家族に委ねられるような、まことに不安定なるシステムです。

◇被災者さんたちの多くは高齢の方々です。共助に加えて公助のシステム構築が急務なのです。つまりはターミネーション(支援活動の終結)などとは言ってはいられないのです。そんなことを考える日々なのです。


この記事をはてなブックマークに追加

[お茶会]のこと

2017年05月27日 | 被災者支援活動

◇車いっぱいにトイレットペーパーを積み込んで、肌寒さを感じる週末の午前と午後に、福島県相馬市郊外に設置されている仮設住宅で、第132・133回目の[お茶会]を行いました。午前には8名の、そして午後には21名の住民さんたちが集ってくださいました。

◇浪江・南相馬の避難住民さんたちの[お茶会]は、毎回、話が盛り上がり、1時間半では短く感じるようになりました。最初の頃は重苦しい雰囲気の沈黙が続き、あるときは、何と15分ほどで皆が帰ろうとしたくらいでした。

◇南相馬市の小高地区は、原発と大津波の複合被災地域です。そのときの恐怖体験を、ある住民さんが語ってくれました。もう何年も親しくお交わりを重ねてきたのですが、初めて聴くような話でした。「最近になって、ようやく涙が出るようになりました。」そう、しみじみと語ってくださいました。それほどまでの恐怖体験であったということです。聴く私も、思わず涙があふれ出てしまいそうでした。

◇来年3月で、この仮設住宅も閉鎖されます。ある住民さんは、すでに災害復興住宅の部屋の鍵をもらっているのだそうですが、ギリギリまで、この仮設住宅にいるつもりだそうです。それだけ、この6年間の仮設住宅での生活や結びつきが深かったということです。

◇「これから先も、ずっとこうした場が欲しい!」と住民さんたちが口々に言います。「でも、もうこれ以上は無理は言えないし・・」と言葉を続けます。「来年からは相馬市の社協が管理している建物の集会場を借りることができるようになったし、南相馬でも、浪江でも、どこかを借りて・・」と私。まるで自分に向かって言っているかのようでした。

◇クリスチャン・ソーシャルワーカーとしての私にできることは、目の前に激しい困難さを抱えて佇(たたず)んでおられる人たちに懸命に寄り添うことだけです。一人をすべてととらえて支えることのみです。そして共に苦楽を分かち合いたいのです。これからもコツコツと歩みを重ねてゆきたいと願っています。


この記事をはてなブックマークに追加

[お茶会]のこと

2017年05月20日 | 被災者支援活動

◇朝は花火の音で目が覚めました。たぶん運動会の開催を告げる花火だったのでしょう。そのごとくに、暑いくらいの一日でした。

◇さて、今日の午後から行われた[お茶会]には、計18名の住民さんたちが参加してくれました。その内の2名は、すでに災害復興住宅に転住した人たちでした。「周りに知った人たちがいなくて寂しい・・」とのことでした。仮設住宅では、お互いに激しい痛みをおぼえている人たち同士の生活だったため、親密さも強いものがあったからです。

◇皆で唄ったのは、次の8曲です。「リンゴの歌」「啼くな小鳩よ」「高校三年生」「茶摘み」「なみだの操」「東京のバスガール」「上を向いて歩こう」「河内おとこ節」。元気いっぱい唄いましたョ!

◇3名の住民さんたちが、「長い間、お世話になりましたが、これでお別れです!」とのこと。ニコニコ笑顔で「そうですか・・」とは言ったものの、住民さんたちとの別れが辛くて心の中で泣いていました。6年あまりにわたって、それはもう親しい交わりの数々を経てきた人たちばかりだったからです。

◇[お茶会]の後で、1ヶ月ぶりに閖上の被災地区に出かけてみました。かさ上げ(土盛り)をした場所に、災害復興住宅や、戸建て住宅が建築中でした。


この記事をはてなブックマークに追加

2・3・4月分活動支援金報告

2017年05月04日 | 被災者支援活動

(2月)
◎2月分 支援活動諸経費支出金額 計38,947円
◎献げられた活動支援金の合計 55,000円
◎差し引き金額 △16,053円

(3月)
◎3月分 支援活動諸経費支出金額 計46,012円
◎献げられた活動支援金の合計 10,000円
◎差し引き金額 ▲計36,012円

(4月)
◎4月分 支援活動諸経費支出金額 33,571円
◎献げられた活動支援金の合計 13,000円
◎差し引き金額 ▲20,571円


この記事をはてなブックマークに追加

お別れ会(飯舘村)

2017年04月02日 | 被災者支援活動

◇31日(金)の夕方6時から、福島県相馬市郊外に設置されている飯舘村の仮設住宅において、翌日からの帰村解除に伴う「お別れ会」が行われました。

◇参加者たちの多くは、私の[お茶会]に参加をしてくださっておられる人たちでした。ビンゴゲームをしたりして、楽しい歓談の場となりました。

◇東電のスタッフや、ボランティアとして、この仮設住宅に関わってくださった人たちも参加してくれました。私はいつものように、食べ物や飲み物を提供しました。甘酒が好評でした。

◇どうしても私に歌って欲しい、との要望で、しかたなく(?)「矢切の渡し」を歌いました。(笑)

◇お別れ会が終わり、10名ほどの住民さんたちとお話をしました。聴けば聴くほどに出口の見えない困難な状況が伝えられ、ただただ頷きながら聴くだけでした。一人ひとりが固有の困難さを抱えながらの日々です。仮設住宅を出たのは、夜の10時半すぎでした。

◇私はクリニカル・ソーシャルワーカーであることに誇りを持っています。少なくとも研究室に閉じこもって、あれこれ資料やデータを集積して計量的・数量的な分析を重ねるような人間ではありません。もちろん、それはそれで大切な事柄ですが・・。

◇これからも被災当事者さんたち、一人ひとりが置かれている固有の困難さに即して思考しつつ、継続的な実践を積み重ねてゆきたいと考えています。


この記事をはてなブックマークに追加

お茶会のこと

2017年03月30日 | 被災者支援活動

◇24日の[お茶会]には17名の住民さんが参加してくれました。神戸から来た若者も参加してくれました。災害復興住宅への転住のため、今回が最後の参加になった住民さんもいましたし、逆に、すでに転住した住民さんも参加してくれました。定住外国人の住民さんも含まれています。皆、混乱の中を、この仮設住宅で苦楽を共にしたお仲間さんたちです。

◇画像のように、集会所の外には木製の物置が設置されています。2011年の秋頃に、大分県の木材メーカーが大型トラックで6つの物置を運んできて寄贈してくださったのです。出入り口のカーテンは、私の部屋にあったカーテンです。(笑)

◇あの当時は、皆が分かち合って生活をしていました。私もまた、住民さんたちのお手伝いをする目的で仮設住宅での生活を願い、県にも自治体にも働きかけましたが、被災者ではないとの理由で拒否されてしまいました。

◇25日の福島での「お茶会」は、午前が12名、午後は24名の住民さんが参加してくれました。浪江の住民さんのうち、ご自宅に戻られた人や、近隣の南相馬市の災害復興住宅に転住した人も参加してくれました。怪我のために入院生活を送っていた人も退院されて参加してくれました。皆、同じく、この仮設住宅で苦楽を分かち合ったお仲間です。

◇数日前に、南相馬市の小高地区を訪れました。南相馬市の中でも福島第一原発に近い地域です。まるで人気(ひとけ)のない様子でした。まだまだ放射線量が高いのです。

◇原発が落ち着くまでは数十年の期間が必要です。この地域で果たすべき役割がある間は、私も共に歩ませてもらいたいと考えています。


この記事をはてなブックマークに追加

[お茶会]のこと

2017年02月24日 | 被災者支援活動

◇今日の[お茶会]には19人の住民さんたちが集いました。と言っても、その中の4人は、もうすでに仮設住宅を退去した人たちでしたが・・。さらには、完成した災害復興住宅への転住に伴い、仮設住宅を退去した常連さんたちの姿が見られなくなったのは寂しいかぎりでしたが・・。

◇いつものように、楽しい雰囲気の中で歌いまくりました。その数、なんと11曲!

◇先日、作曲家の船村徹氏が亡くなったため、船村徹作曲の歌を唄いました。『東京だョおっ母さん(島倉千代子)』『別れの一本杉(春日八郎)』『矢切の渡し(ちあきなおみ&細川たかし)』『あの娘が泣いてる波止場(三橋美智也)』『おんなの出船(松原のぶえ)』『王将(村田英雄)』『兄弟船(鳥羽一郎)』『さだめ川(ちあきなおみ&細川たかし)』の8曲です。音源はYouTubeです。それをMP3でCDにダビングして、それを流しながら歌うのです。

◇さらには伴奏付きで、『かあさんのうた』『線路は続くよどこまでも』『ふるさと』も歌いました。あ、もちろんこれは船村徹さんが作曲した曲ではありませんが・・。(笑)

◇こうして和やかな雰囲気の中で[お茶会]を終えました。それから大型スーパーに行って、明日の福島での[お茶会]の準備に励みました。さぁ、明日は福島に向かって常磐道をGo!


この記事をはてなブックマークに追加