Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

アバター

2010-03-15 | 外国映画(あ行)
★★★★☆ 2009年/アメリカ 監督/ジェームス・キャメロン
<TOHOシネマズ二条にて観賞>

「不覚にも泣いてしまった」


話題作ようやく観賞。映像は凄いけど、ストーリーは大したことないなんて話をあちこちで聞いていたので、期待せずに行ったのですが、結論から言うと大変楽しんでしまいました。「しまいました」という語尾になっちゃうのは、後から考えると大変気にかかる部分があるからです。それは、後で書くとして、あのごついメガネをかけて、でかいスクリーンを前に座り、次から次へとめくるめく映像美を見せつけられると、その時ばかりは興奮状態に陥ってアドレナリンが出ちゃう。抗えないんですよね。あのメガネは「時計仕掛け」のアレックスが目を閉じないようまぶたに貼り付けられた医療器具みたいなもんですよ。そう考えると少し恐ろしい。恐ろしいんだけど、もう一度見たいと言う映像体験には間違いないわけです。

そのアドレナリンが出るほどの原因は、「過剰」ということでしょうか。スクリーンを埋め尽くす情報量の多さ、ナヴィを彩る動物や植物のカラフルさ、そして人間によるとめどない破壊活動。咀嚼する間もなく、脳の中に洪水のように流れ込んでくる。最も刺激的なのは、翼竜に乗って空を飛ぶシーン。3Dになって、弾丸が目の前を飛んだり、電車が目の前でぶっ壊れたり、臨場感あふれるシーンは数多くあれど、「空を飛ぶ」ということほど、快感となるものはないのですね。つくづく実感しました。それは、おそらく人間の脳奥深くに実現不可能なこととして刻まれているからかも知れません。人間は空を飛べない。だからこそ、まるで自分が翼を持ったかのような感覚にとらわれる、あのシーンにとてつもない快感を感じて溜まりません。

聖なる木が焼き払われるシーンでは不覚にも号泣。そして、戦闘シーンにも興奮してしまいました。でもね、1日経って冷静に考えると、戦争シーンに対してあれだけ興奮した自分に自己嫌悪を起こしているのも確かなんですよね。人間側がアメリカでナヴィがネイティブ・インディアンと言う構図に限らず、これはアフリカなり、南米なりで繰り広げられてきた侵略する者とされる者の歴史、全てを反映している。その意図もわかるし、実にわかりやすいアメリカ批判であることも承知の上で、この見せ方はあまりに単純すぎないかと思うのですよ。なぜ、何でもかんでも対立関係の中でしか描けないのだってこと。資源が欲しい。だから、攻撃する。って、それは、アメリカ人の論理だろう?と穿った見方をしてしまう。共存するって、考えはないのかね?相手をとことんやっつけることでしか、解決策ってないのかね?そんな人間不信を引き起こされてしまう。「そんなツッコミどころは置いておいて、単純に映像の凄さを楽しみなさいよ。」そんな声にも何となく頷いてしまうパワーは間違いなくあります。



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