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アン・ハサウェイを知る★ゲイの息子を家族はどう受け容れるのか

2012年03月02日 08時27分26秒 | コラム




名のみ知る程度であった1982年生まれのアメリカの女優、アン・ハサウェイ。netの検索のキッカケは、今回2回目のアカデミー主演女優賞を得たメリル・ストリープ。彼女がヴァッサー大学の出身であることから、共学になる以前にもかつてはヴァッサー女子大として名門大学だったその大学の他の出身者などWikipediaで見てみたくなったこと。卒業はしなかったけれども在学した者のところにあった彼女の名。その彼女のWikiの紹介文を見ていて、やはり思わず目をの止めてしまった部分。「カトリック教で育ったため修道女になりたかったが、15歳の時に兄がゲイであることを知り」という箇所。

それにつづく「兄の性的指向を認めない宗教には属せないと感じその道を諦める」、という彼女の意思に感じたミドルティーンにしてのその理知。そうして「それをきっかけにして家族全員がカトリック教会から離脱した」という事実が思わせた、その家族を結ぶ愛情のこと。内情は知る由もない、だがそれらの事実に率直に感じた、そうした選択のできる人々であること。彼女の父親は、弁護士。母親は、舞台女優。YouTubeで、彼女のインタビューなどを見る。明朗そのものの、魅力的な女性。映画は2007年の「Becoming Jane」位しか見ていないのだけれども、今後は、やはり注目して見ていくことになりそう。活躍を期待したい。

少し前、夜のウォーキング時、ラジオでFar East Netwokを聞いていた時に、メリーランド州上院で同性カップルの結婚を合法化をする法案が可決されたとのニュースを耳にした。賛成25、反対22ときわどいところでもあったようだけれども、あちらは、そうしたことの実現している国。コネチカット、ニューハンプシャー、アイオワ、マサチューセッツ、バーモント、ワシントン州もこの6月には、合法化予定とか。宗教のこともあって難しいところもあるのではないかと思わせるものがありながら、現実には同性同士の結婚を許すという、かつてはあり得なかった革命的な変化が現実には起きていること。そういう国においては、人の常識が変わらざるを得ないのではないかと、離れたところで見ていて思う。偏見の度合い。

むろん、限られた州のことであるし地域によって事情は非常に異なる処のことであるのだろうけれども、そうした情報に触れる時、自分の住む国、日本における事情のことを思うのである。環境の違いを思う。例えばのこと、家族の中で高校生の息子がゲイであることが分かったとして、どういうことがそこで起きることになるのか。それに理解し、受け容れ、尊重し、愛情をもって護る意識を持てるようになる家族をイメージすることは、ほぼ不可能。そうした面での人間的成熟をイメージできるとするなら、それは高度に洗練された意識の家族においてのみ。といったところか。特別な人々。前に記事に書いたことがあるけれども、ドイツでドイツ人と同性結婚をし、日本でも結婚式をやった当人と交流を持ったことがあるのだけれども、結婚した同性の二人が中央に並ぶ親族たち列席の写真を見、実感としてとても異様に感じたものである。

日本にいての、そうした感覚。私自身、窮屈なこの国の常識に意識が縛られきっているように感じる。その束縛を厭い、全く別の人生を願うある者たちは、とうにもっとゲイとしても生きやすい国へと去っているんだろうなと、羨みの気持を抱いて思ったりもする。



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