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英国はヴィクトリア朝をメインに創作関係や自サイト、雑記などを写真やイラストと共にお送りしていくのらりくらりなブログ。

ヴィクトリア時代の使用人 vol.5 使用人の成り立ち:普及する使用人と男性使用人の減少

2007-03-24 18:02:00 | 使用人関係

たまにシムピープルをします。パソコン版です。しかも初代です。けど初代が素敵なんです。自分の中では。なぜかといえば!ヴィクトリア朝をまんま再現できるんです!!!!家から人から!!!!たまに現代的な車が来ますが。けれどもそれを差し置いてもパソコン内にプチヴィクトリア朝が現れるのですよ、紳士!!!!メイドや執事も雇えるんですよ!!!!ただメイドは一人しか雇えませんが。さらに派遣メイドなので住み込みでは働いてくれません。執事も当然派遣なので帰りません。まさに派遣の品格顔負けです。ただし、仕事が残っていようと容赦なく帰ります。
それはともかく使用人の成り立ちパート3です。これでこの話はやっとお終いです。やっとです。今回は使用人が段々と一般化していき、それに対して法整備がされたり、今までいたお客様扱いの男性使用人たちが減少していく様子を見ていきたいと思います。
では、どうぞ~♪



◆普及する使用人と男性使用人の減少

この中世時代は、しかしながらヴィクトリア時代と違い上流と呼ばれる王族・貴族階級やその下の紳士階級を除いては、使用人を必要とする生活を送ってはいませんでした。田園地帯にある村などで使用人を必要とする場所は聖職者のもとぐらいでした。また都市部を見たとしても大きな商人家庭でさえも使用人を雇うことはなく、妻かその娘が家事をしていました。
けれどもこの状況は16世紀までに徐々に変化していき、中流階級の生活の向上に伴って使用人がそこに広まっていくことになります。そして一家に使用人を雇うことが当たり前となり、20世紀まで使用人の普及は止まることはありませんでした。
一般市民にまで使用人の普及が広まりはじめると、使用人と雇用者の立場の明確化を図る法令がチューダー朝で確立し始めました。1563年に「職人法 Statute of Artificers」(1563年の英国の労働立法。正式には『職人、日雇い、農事奉公人および徒弟に対する諸命令に関する法律』パメラ・ホーン著 / 子安雅博訳『ヴィクトリアン・サーヴァント―階下の世界―』 p. 9)が公布され、雇用期間、罰則などの契約に関する規定が明確化されました。しかしその内容は使用人に対して不利なものが多く、罰を犯した使用人に対しての体罰は17世紀まで慣例として認められていました。
さて、中世の使用人はほぼ男性で組織されていました。17世紀の英国では大所領地の屋敷では厨房の中には男性しかおらず、常駐していた女性使用人も10名もいません。当時の使用人社会の中でも男性優位であったのが見てとれます。
しかしこの男性優位の使用人世界も18世紀に入ると一気に逆転することになります。「教育における使用人」たちは16世紀を境に消え、また17世紀にかけては、上流階級でもまだ下位であった紳士階級・ジェントリたちの地位の向上により、その階級に属していた男性使用人は、自分の立場に不満を持つようになり、徐々に数を減少させていきました。また産業の発展に伴い、男性自身の思想に「自立」と「プライド」が芽生え始め、主人にとって快くない男性使用人の存在が目立ち始めました。そして男性使用人離れを決定的にしたのは税金制度の導入でした。
人々が男性使用人の存在価値に疑問を持ち始めた18世紀に、男性使用人の多さに目を付けた当時の英国首相たちは戦争費を捻出するために1777年に使用人税を導入することにしました。さらに1785年に男性使用人の人数により税金が増えるスライド制を導入しました。男性使用人に課せられる税金の高さはさらに上がり、遂にほとんどの家庭からは高騰する雇用賃金の男性使用人を次々に手放すようになりました。19世紀になると、よほどの裕福な家庭でない限り男性使用人を雇うことは不可能でした。これらの要因が重なり、男性使用人の数は減少したのでした。そしてその代わりに雇用賃金の少ない女性使用人が各家庭に目立ち始めることになります。しかしながら上級女性使用人を雇うより下級男性使用人を雇うほうが家柄がよいという考えは相変わらず残ったままでした。



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