寒いのに。

2011年10月28日 | Weblog
スローバラード  (詞・曲 忌野清志郎 みかん)

 昨日はクルマの中で寝た
 あの娘と手をつないで
 市営グランドの駐車場
 二人で毛布にくるまって

 カーラジオからスローバラード
 夜霧が窓をつつんで
 悪い予感のかけらもないさ
 あの娘のねごとを聞いたよ
 ほんとさ確かに聞いたんだ

 カーラジオからスローバラード
 夜霧が窓をつつんで
 悪い予感のかけらもないさ
 ぼくら夢を見たのさ
 とってもよく似た夢を

まいったね。

RCの名曲よろしく
車の中で寝ちゃいました!

だってくたくただったんだ。
前回の5勤は3日目に1、3便の日があって
しかもウェロニカの皿洗いもあって
ヘトヘトのトヘロスだったの。

でも、昨日じゃないよ。おとといだよ。
もちろん、誰とも手をつないでないし、
市営グランドの駐車場でもないし、
毛布にもくるまってない。

カーラジオからはCD「レベッカ」
悪い予感はがんがんしてたし、
ねごとはたぶん言ってたと思う。

夢は見てない。


それにしても、
「スローバラード」名曲すぎる。
しかし、あたしの理解力ではこの曲の二人の結末が見えない。
なんとも言えない胸の苦しさを感じるんですよね。
「市営グランドの駐車場」で「車の中で」
「毛布にくるまって」寝なきゃならない二人のせつなさも、
それでも「手をつないで」いられる幸せ感も感じるんですが、
なんとも言えない不安な感じもするんですよね。

どうなの?この二人どうなったの?

「悪い予感のかけらもない」ってほんとは
「悪い予感」してるのを受け入れたくなくって言ってる感じしない?
幸せなときには「悪い予感」って感覚さえよぎらなくない?
「あの子のねごとを聞いた」んでしょうが、
なんて言ったのかな?
うれしいことを言った=ねごとでしか言わない=かなしい
こういう構造考えられるよね。

んで、「ぼくら夢を見た」んですが、
同じ夢じゃなくて
「とってもよく似た夢を」見たんですよね?
ここ肝心だと思うんですよね。
おそらく、「ぼく」の「夢」は将来の夢であって、
「あの子」の「夢」は眠りの中の「夢」なんですよね。

そう考えると、「ぼく」は「あの子」と現実に将来を「夢」見てるけど、
「あの子」は眠りの中でしか「ぼく」と「似た夢」を見てないってこと。
要するに「あの子」に将来を「夢」見せてあげられない「ぼく」の
かなしさが、なんとも言えない胸の苦しさに繋がってるんじゃないかなぁってのが
あたしの「スローバラード」の解釈なんですけど、
全然違うかも、芹沢鴨。
だから、聴いてみて。

「スローバラード / RCサクセション」



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