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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

オバマ政権は北朝鮮と「対話」せよ。

2009-06-29 | 北朝鮮バッシングに抗して
オバマ政権はブッシュを批判し、対話による外交政策で国際問題を解決していくと言って発足した。プラハでは「核を使用した唯一の国としての道義的責任」にふれ、核兵器廃絶をめざすと言い、”チョット違うな”という期待を持たせた。
しかし、今、北朝鮮をめぐって、まったく違った状況が起きている。

北朝鮮は、対話外交を精力的に行って、反米のベネズエラのチャべスとも握手するオバマ政権に、「対話」の再開を期待していたはずだ。
ところが、北朝鮮だけは無視された。ロケットを発射しても実現せず、ついに核実験まで行うまでに至った。
オバマ政権も、米国が主導する「国際社会」も、北朝鮮の脅威をあおるマスコミも、”経済的に困窮し、最高指導者の健康不安を抱える北朝鮮が、オバマ政権との直接対話を切実に求めている”ことを知っているのだ。

オバマ政権は、北朝鮮の核実験に対して、制裁を加え、強硬姿勢で臨んでいる。安保理での制裁決議を主導し、孤立化させ、軍事的圧力を加えようとしている。
韓国には核の傘まで約束している。
北朝鮮は反発している。軍事的な緊張は危険な状況になっていっている。

北朝鮮の核実験には反対である。北朝鮮の「対話」を求めるやり方にも賛成できない。しかし、この問題は対話と交渉でしか解決できないし、それ以外であってはならないと思う。そしてそれは、オバマ政権への漫然とした期待ではなく、平和を願う全ての人びとの下からの声によってしか実現しないと強く思う。

しかし一方では、北朝鮮バッシングと、オバマへの期待がある現状に困難さも感じている。そんな中、少し勇気づけられる新聞記事をみつけた。
「核なき世界へ」というタイトルの朝日新聞の連載記事だ。少し引用したい。

先ず、直野章子さん。
「「核を使用した国としての道義的責任」をうたうオバマ大統領が、原爆投下の罪も認めないまま「核兵器のない世界」をめざすと言って、果たして説得力をもつでしょうか」「核兵器の使用が人道上の罪で、国際法にも違反していると認め、被爆者に謝罪する。そのうえで核兵器廃絶を主導するのが、米国が罪をつぐなう唯一の道でしょう。そうしなければ、核軍縮を停滞させ、イスラエルの核にはなにも言わない一方、他国の核保有を非難する都合のいい態度をとってきた米国の言葉に、道義的権威はないと言わざるを得ません」と。もちろん、日本の戦争責任にも言及し、戦争反対を求めている。
次に、平岡敬さん。
インドの核実験中止を訴えた時、核の傘に守られている日本人に核実験中止を言う資格はないと言われショックを受けたことを述べたあと、「日朝関係でも同じことが言える。北朝鮮は朝鮮戦争で米国と戦火を交えた。今は休戦中とはいえ、米国べったりの日本が敵視されるのは当然だろう。朝鮮半島が南北に分断された歴史に責任がある国として、むしろ米国をリードして対話の道を探るべきだ。」と。

見てる人は見てるんだというのに勇気づけられた。同時にこの人達のメッセージの中に、私達、日本に住む者が考え、しなければいけないことのカギも潜んでいるように思われた。

まとまらないけれど、これからも、現実に起こっていることをもっと調べて行きたい。もっといろいろな人の考えも聞いて行きたい。「対話」を要求するために。

(アーさん)


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