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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

朝鮮は今なぜ核実験か~メディアが伝えない朝鮮半島情勢

2009-06-28 | 北朝鮮バッシングに抗して
 朝鮮民主主義人民共和国(以下「共和国」と表記)のことをニュースで報道するとき、大概それは悪者としてである。内政はもちろんのこと、外交でもヒールとして登場する。「国際社会は平和と安定を望んでいるのに、北朝鮮ばかりが駄々とこねる」みたいな描かれ方。
 しかし本当にそうなのだろうか?
 メディアは公正中立であるという刷り込みが、それが半ば自覚されていたとしても、払拭できないものになってはいないだろうか?
 なぜならば、私たちは自分の考えを、メディアを通じてでしか検証できないからだ。

 昨日、「I女性会議」の主催で、標題の通りの、朝鮮半島情勢についての講演会があった。
 講師は韓統連大阪の金昌五さん。
 なかなか分かりにくい朝鮮半島情勢だが、金昌五さんの説明はとても分かりやすく、情熱溢れる講演だった。



 「共和国が約束を破ってきた」というウソを、金昌五さんは逐一検証する。そうではなく、一貫してアメリカが約束を破って来たのだと。主には1994年以降の情勢を、合意文書などに基づいて紐解いていく。

 忘れもしない1994年春、米当局は本気で戦争開始を決意していた。その一触即発の情勢下でカーターが特使として突如訪朝し、金日成と会談。劇的に関係が転換した。10月に史上初(!)の米朝合意が取り交わされた。1953年の停戦協定から40年、これが「史上初」なのだそうだ。このこと自体が、朝鮮半島情勢の特異さを物語っている。
 この合意文書で4点の合意が交わされた。①共和国の黒煙減速炉の廃棄と米国の軽水炉の提供。②政治・経済関係を「完全に正常化」するための努力。③朝鮮半島の非核化への努力。④国際的な核拡散防止の強化。
 特に③では「アメリカ合衆国は非核化を使用せず、核兵器で威嚇もしないという公式保証を朝鮮民主主義人民共和国に与える」とまで謳われている。
 しかしこの約束は履行されず、軽水炉建設も進まなかった。1994年には金日成が死去し、干ばつと飢餓が起こり、米政府が「共和国の国家体制は崩壊する」と判断したためだった。

 業を煮やした98年、共和国は人工衛星(ミサイルではない)発射実験をする。予告なしの、突然のことだった。日本ではこれで大騒ぎとなり、バッシングが起こったが、アメリカの対応は冷静だった。政策調整官としてペリーが任命され、まずは韓国・金大中大統領と会談。金大中が太陽政策を主張し、米国内でも政策転換が図られた。
 クリントン政権末期の政策転換は、2000年の米朝共同コミュニケに結実された。「1953年の停戦協定を強固な平和保障システムに転換して朝鮮戦争を公式に終息させるために」と謳う、画期的な文書だった。そしてその合意に基づき、オルブライト国務長官が訪朝する。ミサイルの飛ぶマスゲームを見るオルブライトに、金正日は「これがわが国の発射する最後のミサイルになります」と語ったという。

 しかし雪解けはここまでだった。ブッシュ新大統領は「悪の枢軸」と名指しし、「核先制攻撃も辞さない」とぶった。弱小国家である共和国がこれまでにない危機感を感じたのは当然だった。世界最大の軍事大国であるアメリカは韓国と沖縄に強大な基地を持ち、常に戦闘態勢にあるのだ。
 2003年からは6者協議で解決が図られたが、ブッシュは「対話はしても交渉はしない」と破綻した主張を公言していた。
 それでもブッシュ政権のイラク・アフガニスタンでの行き詰まりがあって2005年には6者協議での共同声明が採択された。それまでアメリカは「交渉は共和国が核を廃棄してから」と主張していたのだが、声明では「『公約対公約』『行動対行動』の原則に沿って、段階的に履行するための調和の取れた措置を取ることで合意した」と、事実上アメリカのやり方が否定されたのだった。
 この直後だった、ニセドル札事件が起こったのは。アメリカはマカオの銀行を制裁、これによって共和国の貿易決済ができなくなり、経済的に大打撃を受けた。積み上げた六ヶ国協議の合意も反古同然となった。(偽ドル札事件は未だに状況証拠しかなく、諸説入り乱れている。)

 結局状況が動くのは06年10月の核実験を待たなければならなかった。翌2月には米朝合意があり、核施設の爆破とテロ支援解除があった。
 しかしアメリカは「新たな検証」を要求し、交渉はまたしてもストップ、6者合意も不履行となった。

 共和国政府のメッセージは一貫している。
 停戦状態の解除と平和条約の締結、国交正常化だ。冷戦が終結したのだから、ソ連の後ろ盾を失ったあとも、国家として存続していきたいということだ。逆に言えば、これさえあれば朝鮮半島の非核化と平和関係の醸成は可能だということだ。
 しかし現実の歴史は、共和国側のアクションによって米朝間の交渉が本格化し、そして何らかの合意が交わされるとその都度アメリカの側が反古にしてきた。

 オバマ政権は今のところ動く様子は見せない。オバマは中東情勢には熱心だが、極東にはそれほど関心がないのかも知れない。

 だからこその「人工衛星」発射実験だと言える。(と、私は思っているが、それは金昌五さんと考えを異にしているかも知れない。金昌五さんはその目的については語らなかったからだ。)しかし国際社会の反発は凄まじかった。それが「ミサイル」であるか「人工衛星」であるか、それを知っているのは、やった本人と、アメリカ・ロシアしかない。その3者誰もが「人工衛星」と認めている。成功したかしないかは意見を違えているが。日本では「ミサイル」かも知れないが国際認識としては「人工衛星」で、そしてその「人工衛星」発射実験をロシアも中国も許さなかった。
 国連安保理の議長声明は「北朝鮮による発射を非難、これは安保理決議に違反」と、何が発射されたかさえ言及することなく、非難した。
 当然共和国は反発。4月の外務省声明ではこう述べている。
 「日本は自分たちの手先であるので衛星を打ち上げても問題がなく、われわれは自分たちと制度が異なり、自分たちの言うことを従順に聞かないで衛星を打ち上げてはならないというのが米国の論理である。米国の強盗の論理をそのまま受け容れたのがまさに、国連安保理である。」
 金昌五さんの喩えが面白かった。「人工衛星」が「ミサイル」なのであれば、日本の打ち上げる「人工衛星」も共和国から見ればまさに「ロケット」であり、原発をたくさん有し、再処理したプルトニウムを処理しきれないほど所有している日本こそまさに核保有国なのだと。
 私は「人工衛星」も「ロケット」も技術的には同じものだしあまり区別の意味はなく、だからこそ(先述の通り)この情勢で共和国は発射したのだと考えているが、それが「ミサイル」だったとしても、共和国外務省声明は正当であると考える。
 「敵対勢力は、われわれの衛星打ち上げが長距離ミサイルの能力を向上させる結果をもたらしていると騒ぎ立てているが、事態の本質はそこにあるのではない。衛星打ち上げであれ、長距離ミサイル発射であれ、誰が行うかによって国連安保理の行動基準が変わるというところに問題の重大さがある。」
 そして共和国の外務省声明のメッセージは凄まじいまでの怒りに満ちている。
 「忍耐にも限界がある。事態がここまで至った全責任は、われわれの平和的な衛星打ち上げを国連に持ち込んで非難した米国と、それにへつらい追従した勢力にある。
 これらの国は、われわれの前では衛星打ち上げが主権国家の自主的権利であるといっておきながら、いざ衛星が打ち上げられると国連でそれを糾弾する策動を行った。
 これらの国が「キー・リゾルブ」「フォールイーグル」合同軍事演習のような大規模な核戦争演習が朝鮮半島の縦深で行われている時は沈黙し、われわれがやむを得ない自衛的措置として行った核実験に対しては「地域の平和と安定の脅威」であると口をそろえて騒ぎ立てている。
 自分たちだけが持っているものをわれわれが持つのは嫌だということである。結局、小国は大国に服従しろということである。」
 ここで「これらの国」と非難しているのは、名指しこそ避けているが、中国とロシアのことであることは疑いの余地がない。
 共和国がこの2国を非難したことの意味は大きいし、その絶望と恐怖の裏返しでもあるだろう。
 確かに私たちの国と社会も、共和国の脅威については声を大にして騒ぎ立てるが、私たちの国と陣営がどのように脅威に感じられているかは思い及ばせようとしない。
 共和国がどれだけ「悪い」国家であるかということは、この場合関係がない。確かに共和国に向けられた批判は、正当でないのだ。

 その数日後、第2次核実験を受けた6月13日の外務省声明では、今後①プルトニウム兵器化、②ウラン濃縮を進めると述べている。
 金昌五さんは、やるとこまでやるだろうといっている。確かに現情勢では、共和国の立場にたって考えれば、妥協のしようがない。共和国の求めるものは明確で、ボールは明らかにアメリカの側にある。

 共和国のメッセージは明確だ。そしてそれほど難しいこととは思えない。米国が敵でなくなりさえすればいいのだ。共和国には二度とアメリカと戦争する意志はなく、その逆、つまりアメリカが共和国を攻撃することを心の底から脅威していることは、共和国のメッセージからも驚くほど明白なのだ。
 極東アジアの非核化と平和のためにそれが必要なのだから、何を躊躇う必要があるだろうか。
 今日現在、まだオバマ大統領は朝鮮半島情勢を放置している。放置は、この場合、戦争状態の継続と同義である。放置する日々が、共和国にとっては耐え難い攻撃なのだ。

 金昌五さんは「戦争となれば日本と韓国が被害になる。止められるのも日韓民衆の連帯によってしかない」と述べ、講演を締めくくった。
 私たち日本人社会は、金昌五さんの訴えに応えることができるだろうか。嫌悪とバッシングが渦巻き、なんの罪もない朝鮮学校の女生徒のチマチョゴリが切り裂かれる事件が頻発するのが現実だ。しかし、だからといって絶望に行動を制限させるわけにはいかない。私たちはなんの罪もない女生徒のチマチョゴリが切り裂かれるのを黙ってみているわけにはいかないし、それを許せばもはや人間ですらない。私たち日本人は、排外主義に抗する力がまだあるはずだし、仮に力がないとしても、抗しないわけにはいかない。そうでしょう?
 
 オバマ政権は共和国と直接対話に乗り出すべきだ。
 そして日本はそれに敵対策動することなく、アジアの非核化のために何をすべきか真剣に考えるべきだ。日本政府は一貫して6者協議の破壊者であり続けたし、「人工衛星」では軍事挑発と有事狂乱を演じて見せた。そういう政府を、許しておくわけにはいかない。
 朝鮮半島非核化と国交正常化こそが、極東アジアの平和と安定のための真の解決方法であり、そのためにあらゆる努力をするべきなのだ。




 ※この講演で金昌五さんは、朝鮮民主主義人民共和国のことを「朝鮮」と言っていました。「北朝鮮」という言葉は、その国家を国家として認めないという意志を込めた、差別的な用語であり問題を含んでいます。それゆえの「朝鮮」なのだと思います。
 ただ私はどうしてもその国家を「朝鮮」とは呼べません。「朝鮮」とは本来朝鮮半島にあるべき国家であり、統一された朝鮮半島を想起してしまうからです。また日本に住む朝鮮民族全体を想起してしまうからです。分断された片割れの国家を「朝鮮」と呼ぶにはどうしてもためらいがあります。
 従ってここでは「共和国」と記述しました。
 これは多分に個人的判断であり、講演者の意志を尊重しないつもりは全くありません。講演者と異なる言葉を用いたこととをご了承下さい。


(カラン)


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