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[CML 001416] 「博愛・人類愛」の政治にむけて『平和を願う人々の連帯』を
http://list.jca.apc.org/public/cml/2009-September/001396.html
池邊幸惠 ******
2009年 9月 21日 (月) 09:48:11 JST
池辺幸惠@西宮 平和のピアニストです。
みなさまの暖かなご意見いろいろいただきました。
そして、シスタフッドもリベラルも誤解されかねないと思い、も一度書き直してみました。^^
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今回の総選挙は、小選挙区制のだましのマジックで、4年前の郵政選挙がオセロゲームでひっくり返り、こんどは民主党が308議席の過半数を占めました。民主党の中では女性議員が40人で13%になり、日本の国会の男女比としては格段の進歩ですが、まだまだ北欧のクオータ制(異性の占める割合)の4:6や5:5にはとても及びません。
しかし、投票者の半分は女性なのですから、いのちと生活、弱者の権利を守り育てていくためにも、戦争に向かわせないためにも、今一度、女性の政治意識を喚起し『女性の連帯』をうながすことが、これからますます重要になってくると思います。もちろん今の時代、これから一番望ましいのは女性にかぎらず「博愛」をもって人の道をともに歩もうとする意識を持つ人々の連帯、わたしたち庶民の連帯が必要とされるでしょう。
そして今、鳩山新総理の政治哲学としての信条である「友愛」「友愛社会」が話題になっています。それは鳩山総理が英文で書いた政治哲学の論文が月刊誌Voice9月号にのりましたが、そこに「友愛」にfraternityが使われています。これを聞いて「そのfraternityの言われ」を知らなかったではすまないのではと懸念されました。
http://www.hatoyama.gr.jp/masscomm/090810.html
古くから『友愛=fraternity』とは、男同士の仲間意識のことを言います。
つまり、この言葉づかい(fraternity)では、日本の男性が、女性の人権に鈍感であることを指し示しているともいえるからです。というのは、「友愛」fraterniteの語源はラテン語の"fraternitas"(兄弟の間柄、兄弟意識)ですから、「友愛」とは、実の兄弟でなくても兄弟のように親密な男同士の関係やそのような相互感情(仲間意識)を意味しているのです。
そして、かつての「友愛」」(fraternity)の言葉は、現在は、humanityやphilanthropyとして世界で認識されています。 つまり、「友愛」(fraternite)は、古来、同じ修道院や宗派に属
する修道士や信徒の団体、各種の秘密結社、職工などの同業者組合、マフィアなど血縁・地縁団体、学生など特定居住施設で共同生活を送る者たちなどの結束意識を表わす用語として使われてきたものなのです。
因みに、アメリカの「名門大学」には、"fraternity"と呼ばれる男子学生用寄宿舎があって、学生がそこに入居するには選別されて特別の儀式を経なければならず、破れば何らかの制裁を受ける掟もある。(ブッシュとケリーのイェール大学のスカル&ボーンズみたいな)しかも、そこで培われた仲間意識や関係は卒業後も持続される。同様の女子学生用寄宿舎は、"sorority"と呼ばれ区別されています。
も一つ言えば、
あのブッシュとケリーの大統領選は、
仲間同士の“茶番劇”つまり“できレース”だったのかもしれません。
つまりブッシュがあらゆる不正を駆使してさえ、ケリーの方が勝ちそうになった時、副大統領候補のエドワードが逆転に向けて踏ん張ろうと言ってるのにケリーはあっさりと途中で投げ出しました。そこにはこの「友愛」が働いていたのではないでしょうか。
しかし、日本語における『友愛』には、そのような厳密さはないでしょう。たんに<隣人愛>から<友人同士の思いやり><肉親愛に近いもの>にもとれるかとも思われます。しかしやはり、本来の“博愛”の言葉が一番近いと私は思います。
「自由・平等・博愛(fraternite)」 これは、フランス革命のスローガンですが、過去、女性が軽んぜられていた時代は、博愛といっても(fraternite・fraternity)この言葉しかありませんでした。しかし、いま欧州ではジェンダー中立的なhumanity・philanthropyが、fraternityに代わる言葉として用いられているそうです。
ですから、今、あえて、fraternityを使うことは、やはり日本は男尊女卑なのね、なんて言われかねないようです。 そしてその言葉は、過去の歴史をひきずっていますから、もひとつ勘ぐる人だったら、
Mr.鳩山は彼らの仲間なのか・・・、
フリーメイスン、イルミナティ、ロックフェラーなどの
ワンワールド世界支配構想の仲間なのか、
と思われかねない危うさを秘めているということです。
その背景が分かっていてあえて使ったとしたら、確信犯にもとられかねません。
かつて日本がかの15年戦争が終わる64年前、それまでの長い歴史において女性の人権も投票権もないままに、在日の方々の投票権(それは、今もありませんが・・・)もなかったように、ギリシアの民主主義が女性や奴隷を市民とみていなかった狭量なものであったように、フランス革命の「友愛」も女性の人権は圏外だったように(ジャンヌ・ダルクも自由の女神も女性なのに、おかしいですね)、かつて長い歴史の間、女性や奴隷は政治や法律でも一人前の人間としての権利から遠ざけられていました。
明治時代の福沢諭吉の「人の上に人を作らずと言へり」の“人”には、女性も外国人も入ってなかったのです。よしんば、「神はそう言ってるかもしれないが、実際の社会では不平等であたりまえだ」と言ったのだと私は解釈しています。そして福沢諭吉は吉田松陰とならんで、脱亜入欧の蔑視観を育て、侵略戦争を良しとした筆頭として、今思えば不穏で狭量な人間観を持つ方々であったように見受けられます。かれらをしてもその時代の風潮から逃れられなかったのです。今、時代の波はどちらへ向かっているでしょうか。
彼らより、わたしは女性してよほど“金子みすず”の方がすばらしいと思います。やはり虐げられたものにしか、ほんとうの民主主義、国民主権の真髄は分からないのかもしれません。
鳩山総理は、祖父の一郎氏の使った「友愛」の言葉をそのまま使っています。やはり、エリートの華麗なる一族のプリンスだからでしょうか。その「友愛」(fraternity)が博愛・人類愛とは違う、偏狭な「愛」として用いられてきた言葉だと分かっていながら、あえて昔の言葉を用いるのは、まだ古いものに囚われておられるようです。
むしろ、今新政権としては明治以来142年の重い歴史をしっかりと正しく見つめなおすべきではないでしょうか。今、巷では田母神現象が沸き起こっていますから、今、政府自らが先導して過去を正しく反省することは大変に意義のあることだと思います。そうすることによって、はじめてこの先日本がアメリカから自立してどう向かうべきかのたしかな指針が得れるのではないでしょうか。そして、アジアの周囲の国々との友好も信頼のおけるものになるでしょう。
つまり改めて政府主導で、かつて侵略をした国々との近現代の歴史の事実を同じテーブルで協議し、ともに正しい歴史を編纂してゆこうとする取り組みをするならば、鳩山氏の『東アジア共同体構想』の実現にむけてより確かな援護となるでしょう。ですから今更に明治時代に戻るのでなく、明治からを“囚われない庶民の視点”で正しくみなおしてゆくことが必要とされていると思います。過去を正しくみれないものは同じ過ちをくりかえすからです。
ところで日本では、そのような兄弟愛といえる『友愛』に対して、20~30年前に、フェミニズムをはじめジェンダー意識のある女性たちは、対する『シスターフッド』と名づけた女性の連帯意識を高めようとしてこられました。
その頃私も『女性の連帯』としての意識喚起はすばらしいことだと高く評価し、それらフェミニズム的なさまざまなワークに参加し学び、わたし自身も東洋哲学の思想の切り口から日本にあうように深め広げてゆく試みをいろいろしていました。その思いから子供も一緒の主婦たちの活動を主宰し、女性が自立し自由に行動し、かつ自然からの学びを大切にする意識改革へと取り組んできていました。しかし現代においてはそこからもっと前進して、男女の別を超える、すべてへの愛、人類愛、地球愛である博愛主義・人道主義をもつ政治へと進むべき時代ではないでしょうか。
ですから、鳩山総理が男同士の仲間意識を表す言葉『友愛』を用いたこと、それに対し私たち女性がアイデンティティーと政治意識を喚起するためにも、あらためてシスターフッド『女性の連帯』を復活させてみるのも方法の一つかもしれません。しかし、それはけっして男性に敵対するものでなく、女性自身が自分の価値に気づき周囲との調和の中で自らを活かしてゆくための連帯です。そこには「博愛」と「人の道」をともに歩める男性も一緒に連帯してゆくべきであり、それは今の政治で虐げられ窮乏へと向かわされている『庶民としての連帯』なのです。
かつてのシスターフッドの『女性の連帯』意識を、もっと広く大きな「博愛」に向けて、人の道をともに歩める『平和を願う人々の連帯』に育てていきましょう。戦後すぐの自由への賛歌と女性解放・人間解放の自由・平等・博愛・平和のうねりを、今度こそわたしたち庶民が連帯してほんものの民主主義の政治へと育てていきましょう。
そこには、ここ10年で加速急増してきた失業者・派遣やパート労働者たち、自殺者たちへの人権無視・切捨て・隷属化ともいえるひどい政治を終わらせねばなりません。これは女性問題とも重なりますが、現在日本には総勢2500万人にもなろうかという生活困窮者がいるのです。しかし新政権には、この世界経済恐慌打開の構造改革や国内労働者の困窮という大問題に真剣に取り組む覚悟があるのかどうかが今ひとつ見えてきません。これら『弱者と貧困の連帯』も、「博愛」と「人の道」をともにすすむべきわたしたち庶民にとって最重要の課題だと思います。
ですから、これからは決して行き過ぎた新自由主義やネオコンに走るのでなく、節度と思いやりのある、人々と自然との調和と対話をうながす「博愛の社会」の社会民主経済へと舵を切り替え、“国家戦略局”ならぬ“国民戦略局”として、わたしたち自らが国民主権のほんものの民主主義・平和主義の政治を自らの手で育て獲得してゆかねばならないでしょう。
戦後64年を経て、今こそ日本の女性・庶民の一人一人が自らのかけがえのないいのちを活かし、互いの人権擁護に向けて声をあげはじめる時です。そしてともに手をつないで政治へと大きく一歩踏みす時です。
かくいうわたしも政治へはまだまだ初心者ですが、この政権交替を機に、「政治だけはちょっと・・・」という支配者からの洗脳をしっかりと解き放ち、いのちと生活、世界の平和な未来を守るために、今こそわたしたちは「博愛」と「人の道」をともに歩む『平和を願う人々の連帯』として政治に向かって声をあげ行動をおこしてゆきましょう。
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[CML 001416] 「博愛・人類愛」の政治にむけて『平和を願う人々の連帯』を
http://list.jca.apc.org/public/cml/2009-September/001396.html
池邊幸惠 ******
2009年 9月 21日 (月) 09:48:11 JST
池辺幸惠@西宮 平和のピアニストです。
みなさまの暖かなご意見いろいろいただきました。
そして、シスタフッドもリベラルも誤解されかねないと思い、も一度書き直してみました。^^
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今回の総選挙は、小選挙区制のだましのマジックで、4年前の郵政選挙がオセロゲームでひっくり返り、こんどは民主党が308議席の過半数を占めました。民主党の中では女性議員が40人で13%になり、日本の国会の男女比としては格段の進歩ですが、まだまだ北欧のクオータ制(異性の占める割合)の4:6や5:5にはとても及びません。
しかし、投票者の半分は女性なのですから、いのちと生活、弱者の権利を守り育てていくためにも、戦争に向かわせないためにも、今一度、女性の政治意識を喚起し『女性の連帯』をうながすことが、これからますます重要になってくると思います。もちろん今の時代、これから一番望ましいのは女性にかぎらず「博愛」をもって人の道をともに歩もうとする意識を持つ人々の連帯、わたしたち庶民の連帯が必要とされるでしょう。
そして今、鳩山新総理の政治哲学としての信条である「友愛」「友愛社会」が話題になっています。それは鳩山総理が英文で書いた政治哲学の論文が月刊誌Voice9月号にのりましたが、そこに「友愛」にfraternityが使われています。これを聞いて「そのfraternityの言われ」を知らなかったではすまないのではと懸念されました。
http://www.hatoyama.gr.jp/masscomm/090810.html
古くから『友愛=fraternity』とは、男同士の仲間意識のことを言います。
つまり、この言葉づかい(fraternity)では、日本の男性が、女性の人権に鈍感であることを指し示しているともいえるからです。というのは、「友愛」fraterniteの語源はラテン語の"fraternitas"(兄弟の間柄、兄弟意識)ですから、「友愛」とは、実の兄弟でなくても兄弟のように親密な男同士の関係やそのような相互感情(仲間意識)を意味しているのです。
そして、かつての「友愛」」(fraternity)の言葉は、現在は、humanityやphilanthropyとして世界で認識されています。 つまり、「友愛」(fraternite)は、古来、同じ修道院や宗派に属
する修道士や信徒の団体、各種の秘密結社、職工などの同業者組合、マフィアなど血縁・地縁団体、学生など特定居住施設で共同生活を送る者たちなどの結束意識を表わす用語として使われてきたものなのです。
因みに、アメリカの「名門大学」には、"fraternity"と呼ばれる男子学生用寄宿舎があって、学生がそこに入居するには選別されて特別の儀式を経なければならず、破れば何らかの制裁を受ける掟もある。(ブッシュとケリーのイェール大学のスカル&ボーンズみたいな)しかも、そこで培われた仲間意識や関係は卒業後も持続される。同様の女子学生用寄宿舎は、"sorority"と呼ばれ区別されています。
も一つ言えば、
あのブッシュとケリーの大統領選は、
仲間同士の“茶番劇”つまり“できレース”だったのかもしれません。
つまりブッシュがあらゆる不正を駆使してさえ、ケリーの方が勝ちそうになった時、副大統領候補のエドワードが逆転に向けて踏ん張ろうと言ってるのにケリーはあっさりと途中で投げ出しました。そこにはこの「友愛」が働いていたのではないでしょうか。
しかし、日本語における『友愛』には、そのような厳密さはないでしょう。たんに<隣人愛>から<友人同士の思いやり><肉親愛に近いもの>にもとれるかとも思われます。しかしやはり、本来の“博愛”の言葉が一番近いと私は思います。
「自由・平等・博愛(fraternite)」 これは、フランス革命のスローガンですが、過去、女性が軽んぜられていた時代は、博愛といっても(fraternite・fraternity)この言葉しかありませんでした。しかし、いま欧州ではジェンダー中立的なhumanity・philanthropyが、fraternityに代わる言葉として用いられているそうです。
ですから、今、あえて、fraternityを使うことは、やはり日本は男尊女卑なのね、なんて言われかねないようです。 そしてその言葉は、過去の歴史をひきずっていますから、もひとつ勘ぐる人だったら、
Mr.鳩山は彼らの仲間なのか・・・、
フリーメイスン、イルミナティ、ロックフェラーなどの
ワンワールド世界支配構想の仲間なのか、
と思われかねない危うさを秘めているということです。
その背景が分かっていてあえて使ったとしたら、確信犯にもとられかねません。
かつて日本がかの15年戦争が終わる64年前、それまでの長い歴史において女性の人権も投票権もないままに、在日の方々の投票権(それは、今もありませんが・・・)もなかったように、ギリシアの民主主義が女性や奴隷を市民とみていなかった狭量なものであったように、フランス革命の「友愛」も女性の人権は圏外だったように(ジャンヌ・ダルクも自由の女神も女性なのに、おかしいですね)、かつて長い歴史の間、女性や奴隷は政治や法律でも一人前の人間としての権利から遠ざけられていました。
明治時代の福沢諭吉の「人の上に人を作らずと言へり」の“人”には、女性も外国人も入ってなかったのです。よしんば、「神はそう言ってるかもしれないが、実際の社会では不平等であたりまえだ」と言ったのだと私は解釈しています。そして福沢諭吉は吉田松陰とならんで、脱亜入欧の蔑視観を育て、侵略戦争を良しとした筆頭として、今思えば不穏で狭量な人間観を持つ方々であったように見受けられます。かれらをしてもその時代の風潮から逃れられなかったのです。今、時代の波はどちらへ向かっているでしょうか。
彼らより、わたしは女性してよほど“金子みすず”の方がすばらしいと思います。やはり虐げられたものにしか、ほんとうの民主主義、国民主権の真髄は分からないのかもしれません。
鳩山総理は、祖父の一郎氏の使った「友愛」の言葉をそのまま使っています。やはり、エリートの華麗なる一族のプリンスだからでしょうか。その「友愛」(fraternity)が博愛・人類愛とは違う、偏狭な「愛」として用いられてきた言葉だと分かっていながら、あえて昔の言葉を用いるのは、まだ古いものに囚われておられるようです。
むしろ、今新政権としては明治以来142年の重い歴史をしっかりと正しく見つめなおすべきではないでしょうか。今、巷では田母神現象が沸き起こっていますから、今、政府自らが先導して過去を正しく反省することは大変に意義のあることだと思います。そうすることによって、はじめてこの先日本がアメリカから自立してどう向かうべきかのたしかな指針が得れるのではないでしょうか。そして、アジアの周囲の国々との友好も信頼のおけるものになるでしょう。
つまり改めて政府主導で、かつて侵略をした国々との近現代の歴史の事実を同じテーブルで協議し、ともに正しい歴史を編纂してゆこうとする取り組みをするならば、鳩山氏の『東アジア共同体構想』の実現にむけてより確かな援護となるでしょう。ですから今更に明治時代に戻るのでなく、明治からを“囚われない庶民の視点”で正しくみなおしてゆくことが必要とされていると思います。過去を正しくみれないものは同じ過ちをくりかえすからです。
ところで日本では、そのような兄弟愛といえる『友愛』に対して、20~30年前に、フェミニズムをはじめジェンダー意識のある女性たちは、対する『シスターフッド』と名づけた女性の連帯意識を高めようとしてこられました。
その頃私も『女性の連帯』としての意識喚起はすばらしいことだと高く評価し、それらフェミニズム的なさまざまなワークに参加し学び、わたし自身も東洋哲学の思想の切り口から日本にあうように深め広げてゆく試みをいろいろしていました。その思いから子供も一緒の主婦たちの活動を主宰し、女性が自立し自由に行動し、かつ自然からの学びを大切にする意識改革へと取り組んできていました。しかし現代においてはそこからもっと前進して、男女の別を超える、すべてへの愛、人類愛、地球愛である博愛主義・人道主義をもつ政治へと進むべき時代ではないでしょうか。
ですから、鳩山総理が男同士の仲間意識を表す言葉『友愛』を用いたこと、それに対し私たち女性がアイデンティティーと政治意識を喚起するためにも、あらためてシスターフッド『女性の連帯』を復活させてみるのも方法の一つかもしれません。しかし、それはけっして男性に敵対するものでなく、女性自身が自分の価値に気づき周囲との調和の中で自らを活かしてゆくための連帯です。そこには「博愛」と「人の道」をともに歩める男性も一緒に連帯してゆくべきであり、それは今の政治で虐げられ窮乏へと向かわされている『庶民としての連帯』なのです。
かつてのシスターフッドの『女性の連帯』意識を、もっと広く大きな「博愛」に向けて、人の道をともに歩める『平和を願う人々の連帯』に育てていきましょう。戦後すぐの自由への賛歌と女性解放・人間解放の自由・平等・博愛・平和のうねりを、今度こそわたしたち庶民が連帯してほんものの民主主義の政治へと育てていきましょう。
そこには、ここ10年で加速急増してきた失業者・派遣やパート労働者たち、自殺者たちへの人権無視・切捨て・隷属化ともいえるひどい政治を終わらせねばなりません。これは女性問題とも重なりますが、現在日本には総勢2500万人にもなろうかという生活困窮者がいるのです。しかし新政権には、この世界経済恐慌打開の構造改革や国内労働者の困窮という大問題に真剣に取り組む覚悟があるのかどうかが今ひとつ見えてきません。これら『弱者と貧困の連帯』も、「博愛」と「人の道」をともにすすむべきわたしたち庶民にとって最重要の課題だと思います。
ですから、これからは決して行き過ぎた新自由主義やネオコンに走るのでなく、節度と思いやりのある、人々と自然との調和と対話をうながす「博愛の社会」の社会民主経済へと舵を切り替え、“国家戦略局”ならぬ“国民戦略局”として、わたしたち自らが国民主権のほんものの民主主義・平和主義の政治を自らの手で育て獲得してゆかねばならないでしょう。
戦後64年を経て、今こそ日本の女性・庶民の一人一人が自らのかけがえのないいのちを活かし、互いの人権擁護に向けて声をあげはじめる時です。そしてともに手をつないで政治へと大きく一歩踏みす時です。
かくいうわたしも政治へはまだまだ初心者ですが、この政権交替を機に、「政治だけはちょっと・・・」という支配者からの洗脳をしっかりと解き放ち、いのちと生活、世界の平和な未来を守るために、今こそわたしたちは「博愛」と「人の道」をともに歩む『平和を願う人々の連帯』として政治に向かって声をあげ行動をおこしてゆきましょう。
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