ダブリンの空の下で。

ダブリンジャンキーの江戸っ子が綴る、愛しき街・人・生活・・・。

No.11 「カメラマンアシスタントとして働く!」

2006年09月23日 00時36分48秒 | ダブリン生活
「カメラマンのアラン」

   このブログを最初から見て頂いている皆さんはご存知でしょうが、私が今回ダブリンへ飛んだのは、カメラマンとしての仕事を見つけるためでした。その後、何の運命のひねりか、英語学校に行くことになり、行ったら行ったで勉強に夢中になってしまい、職探しそっちのけで英語研鑚に燃える日々・・・。でも、その間も心の中で「カメラマンとして働きたいよ~」という思いがいつもうごめいており、水面下ではごそごそと就職活動を続けてはいたのですが、生来の怠け癖からなかなか重い腰を上げることができませんでした。

   そんなある日、友人宅でのホームパーティの招待が。日本でホームパーティというと、どこかしゃっちょこばってしまう雰囲気があるけど、こっちの人たちは気軽にホームパーティを開いては相手を誘い合い、交友を広げていく、あくまで肩の力が抜けた空気があります。私もいろんな人と知り合えるのが楽しいので、よくあちこちのホームパーティに顔を出し、興味深い交友関係を広げてきました。今回は友人アンジェラからの誘い。日本食大好きの彼女から「全て日本料理にするつもりだから、手伝ってくれない?」と言われ、2人で天ぷらだの味噌汁だの酢の物だのもちろん寿司だのを用意。その夜はドイツ人のアンジェラを筆頭に、アイリッシュの男女2人、ヨガインストラクターのネパール人、そして日本人の私、というめちゃくちゃな混合メンバーでしたが、幸い、用意した日本料理も大好評で、楽しい夜を過ごしました。

   そして、そこで出会ったアイリッシュ2人の男のほうがアラン。アンジェラの友人であるネパール人のヨガインストラクターのそのまた友人で、その関係でこのパーティにやって来たのでした。食事が終わり、デザートの用意をしながら彼とおしゃべりしているうち、私がカメラマンの仕事を探していることを何の気なしに話すと、「おれ、フリーのカメラマンだよ」と言い出すので、どびっくり。ああ、やっぱりここはダブリンだわ。

   シンクロニシティが溢れている・・・。

   アランは雑誌の写真撮影の他、ウェディングの撮影やテレビ局のビデオカメラも担当するなど、幅広い活動をしているカメラマンでした。「今まで○○とか□□っていうカメラマンのところへ行ってみたり、△△ってスタジオにメール出したりしてみたんだけどさ~」と私が言うと、「ダメダメダメ!○○なんてクソみたいな奴なんだから、あいつのとこなんて行っちゃダメだ!」とか「そのスタジオのカメラマンは才能あるし、めちゃくちゃ笑える奴なんだけど、最近仕事少なくてヒマらしいよ」とか、現地カメラマンならではの内部情報を次々と教えてくれ、果てはアンジェラから電話帳を借りると、「フォトグラファー」のページに頭を突っ込み、「う~んと、こいつはOK。腕もいいし、コマーシャルフォトグラファーとして信頼が厚いからいつも忙しいらしい。でもこいつは最悪。やたら態度がデカいし、嫌われもんなんだよ。で、こいつは・・・、そうだなぁ・・・・、よく知らない」などと言いながら、「私が会うべきカメラマンリスト」を作成してくれるのでした。

   夜遅くパーティが終わり、ダブリン郊外のアンジェラの家からはもうバスも電車もないので彼女が車で送っていこうと申し出てくれていたのですが、アランが「どこ住んでるの?ああ、どうせ帰り道だから乗っけてってあげるよ」と言ってくれ、彼の車に便乗することに。帰り道、ひたすら写真談義に花が咲きつつも、私の職探しの焦りを聞いてくれていたアランは、「来週、雑誌の仕事で○○って会社に撮影に行くんだけど、アシスタントとして来る?午前中だけで終わるし。悪いんだけど今回の仕事では君にお金は払えないんだ。でも経験としては面白いと思うよ」と青天の霹靂の申し出が(関係ないけど英語で「青天の霹靂」って「out of blue」って言うんですよね。日本語となんか似てますね)。「いくいくいくいくいく~~~!」と絶叫した私に、アランは「じゃ、時間と待ち合わせ場所をあとでケータイにメールするよ」と言って、興奮覚めやらぬ私を降ろし、去っていったのでした。

「カメラマンアシスタントです。どうぞよろしく」

   撮影日。場所はヒューストン駅からも近い、ダブリンに来た観光客なら必ず訪れる超有名な某会社兼工場(その割には私は一度も来た事がなかった)。今回は雑誌のため、とある部署のマネージャーさんを撮影する、というものでした。門の前で車でやって来たアランと待ち合わせ、入り口で入館証をもらい、ロビーでそのマネージャーさんと簡単に打ち合わせ。アランがそのマネージャーさんに「アシスタントの○○(私のこと)です」と紹介してくれた時は思わずウットリ・・・。我ながらまったくアホですが、このマネージャーさんはもちろん私の状況など知る由もないから、プロのアシスタントだと思ってるんだろうなぁ・・・とウットリしてしまった訳です。

   とにかく、そのマネージャーさんに連れられ、別館に向かう私たち。そこで撮影場所として使う部屋に入り、撮影準備開始。アランが持ってきた2台の大きなライトを組み立て、露出を測るのが私の仕事。そして「その右のライト、そこの壁にバウンスさせて」とか「リフレクター(反射板)をもっと下に」と言うアランの指示を的確に実行すること。勝手知ったるその空気にダブリンにいることも忘れ、体が勝手に動くことが嬉しくてなりませんでした。アイリッシュのプロカメラマンの撮影現場を見てみたい、といつも思っていたので、マネージャーさんにポーズを付けたり、会話しながら自然な笑顔を引き出していくアランの姿もとても興味深く観察していました。ああ、やっぱりカメラマンの姿はどこの国も変わらない・・・。

   撮影が終了し、出口まで送ってくれるマネージャーさんが、「重いでしょう?」と私が担いでいたライティングの機材を持ってくれようとしたので、「いえ、これも私の仕事のうちですから」と返事した時は、実情はどうあれ、その時私は確かにプロのアシスタントでした。

   午後の授業を受けるため、学校に戻る私をアランは近くまで車で送ってくれ、「いや~、ほんとに助かったよ。ありがとう。実は今度の週末、ウェディングのビデオ撮影でキャッシェルって町まで行くんだけど、興味あるなら一緒に来てもいいよ。丸一日かかると思うけど、100ユーロなら君に払えるし」と誘ってくれたのでした。当然私は、「いくいくいくいく~~~~!」と再び絶叫し、撮影済みのフィルムをラボに届けに行かなきゃ、というアランと分かれ、やっぱり撮影の仕事ってた~~~~のし♪とるんるんスキップしながら学校へ向かったのでした・・・。

   そして、その後はそのウェディングの撮影に続き、雑誌の撮影でダブリン市内を回ったり、ゴールウェイの方まで泊りがけの仕事にも連れて行ってくれたアラン。ほんっと~~~にいい人なんだ、この人がまた。まったく気取りがないし、そのオープンな人間性が私をリラックスさせてくれます。仕事に向かう車の中では、いつも映画や音楽の話などで盛り上がる他、「前に別れたおれの彼女はスペイン人で、超美人だったんだけどさ~、何と、その時おれんちに居候してた古い友だちと最終的にくっついちまいやがってさ。だから、その友だちとは今でも口も聞いてないんだよ。長い付き合いだったんだけどね。でもその男はイタリア人だったんだけど、

   なぜかウッディ・アレンに似てたんだよな。

   「ウッディ・アレン似のイタリア人にカノジョ取られたんだぜ。信じられる?」などと愚痴る彼に、悪いけど大爆笑でした。

   また、結婚式の撮影の帰り道(もうほとんど真夜中だった)、高速道路を走るうち急に車がエンストし、車もほとんど通らない暗~い道路の端っこでぼんやり(日本で言うJAFみたいなところからの)牽引車を待ったり(その後奇蹟的にエンジンが復活、無事に帰途に着きました)、またしても他の撮影仕事での帰り道、タイヤがパンクし、真夜中の高速道路の脇で凍えそうになりながら2人でタイヤ交換をしたのもいい思い出です。

   日本でカメラマンのアシスタントをする時は、何と言っても強烈な師弟関係があり、「はは~~!」といつもひれ伏していないといけないような空気がありましたが、アランは別。もちろん私は正式な彼のアシスタントじゃないし、友人として仕事に誘ってくれている訳だけど、日本的状況からは考えられないほど彼はフランクだし、アシスタントの私に対して逆に気を使ってくれるほどなので、思わず感涙にむせびそうになってしまいました。でも日本だって本当に才能がある人ほど人格者ですよね。アシスタントをいじめて、自分の威信を必死に誇示する必要もないから。

   とにかくその後も、仕事探しをしている私にアドバイスをくれたり、「Reference(身元保証人・照会先)が必要なら、おれの名前と連絡先を出しても構わないからね」と言ってくれたりと、私がダブリンに滞在している間中、力になってくれました。自分の知らないところでLuckを何度も逃してるのかもしれないけど、それでも私ってやっぱりラッキーな人間だわ・・・と思う、のほほんとした私です。




最新の画像もっと見る