ダブリンの空の下で。

ダブリンジャンキーの江戸っ子が綴る、愛しき街・人・生活・・・。

Vol.14 「ダブリンのクリスマス」

2006年11月12日 18時20分06秒 | ダブリン生活
「ダブリンで初めてのクリスマスを過ごす」

   ちと気が早い話題ですが、今回は私が見たダブリンのクリスマスについてご紹介したいと思います。

「街が麻痺する日」

   クリスマス・シーズンのダブリン。街はイルミネーションで飾りつけられ、あちらでピカピカ、こちらでキラキラと瞬き始めます。家の窓辺にはキャンドルやシンプルなプレセピオ(馬小屋で生まれたキリストの生誕場面を再現した人形)、ドアにはもちろんわっかの形をしたクリスマス・リース、家の外壁にはそりに乗って走るサンタやトナカイなどの電飾がかかり、大通りオコンネル・ストリートの歩行者用中央分離帯には巨大なクリスマス・ツリーが突如出現。その下には、ここにもまた、ガラスケースに入った大きなプレセピオが。店にはクリスマスギフト用にオシャレにラッピングされた商品が並び、目にもあでやか。

   ああ、クリスマスなのね~、ステキだわぁ・・・とウットリしている間もなく、グラフトン・ストリートはクリスマスショッピングで目が血走った人々でごった返し始め、ヘンリー・ストリートには子供のおもちゃやギフト用チョコレート、キャンドルやツリー用の飾りつけセットなどを売る屋台がずら~っと並び、子供たちがビービー泣きわめきながら親に手を引っ張られ、親は親でベビー・カーに赤ちゃんと買い物袋を一緒くたに詰め込み、家族や親戚にプレゼントを買いまくる必要のない私のような外国人にとっては、まさに地獄の様相を呈してきます。郵便局に切手1枚を買いに行けば、地球上全ての人に送るが如く分厚いクリスマス・カードの束を抱えた人々の長蛇の列、牛乳が切れたと街なかの大きなスーパー・マーケットに立ち寄れば、巨大な丸ごとターキーやらチキンやらハムのかたまりやらを買い込んでいる買い物客でぎゅうぎゅう。これじゃレジにたどり着くまでに牛乳が腐っちゃううう!間違ってこんな日に外出した日にゃあ、ろくに前にも進めない混み混み度に、ストレス度数の針がびよ~~~んと振り切れてしまいます。

   でもまぁ、ここら辺の雰囲気は東京のそれとあまり変わりはありませんが(それでも東京の金ピカ度より慎ましい)、がらっと変わるのが25日当日。ダブリン、朝からシ~~~~~ン・・・・としてます。車さえほとんど通らないし、歩いている人を見かけただけで「ああ、人間だぁ~!」と懐かしさに駆け寄りたくなるほど。ご存知かもしれませんが、こちらのクリスマスは日本のそれとまったく逆。日本のクリスマスはまさに「イベント」ですよね。街はラブラブなカップルや、仲間たちとわ~っと飲みまくるぜ!的グループで溢れるし、街じゅうパーティ!といった感じ。特に若い人たちは、クリスマスに家族と過ごすなんて、恥以外の何物でもないとばかりに外へ繰り出します。でもこちらではクリスマスはあくまで家族と過ごす大事な日。この日はほとんどの店は閉まっちゃうし、パブだって開いてません。パブで酒飲んでるより家族と一緒にいろ!という事なのかも知れない(私にとっては余計なお世話だけど)。ダブリンに住むヨーロッパの友人たちも(1ヶ月の短期で英語学校にやって来た人たちでさえ)、わざわざ自分の家族や親戚と過ごすため、自分の国へ帰ってしまいます。そこで取り残されるのは、クリスマス意識が根本から異なる私のような人間や、仕事で帰りたくても帰れない気の毒な人たち。

   クリスマスが近づくにつれ、友人たちの民族大移動が始まりました。「来週、フランスに帰るの。親戚や家族がみんな集まるから」とか「明日、スペインに帰るんだ。この時期、チケット代が高くて死にそう」とか「週末にはドイツに戻って、母の手料理をたっぷり食べてくるの♪」とかウキウキしながら(またはうんざりしながら)散り散りになってしまい、私1人がダブリンにぽつんと取り残されてしまいました。心優しきカソリックの人々・アイリッシュの友人たちは、「うちにおいでよ。遠慮することないよ」と誘ってくれたりもしたのですが、せっかくのクリスマス、どこの馬の骨だか分からない日本人が紛れ込むより、家族水入らずで楽しんで欲しい、とその思いやりに深く感謝しつつ、遠慮させて頂きました。

   とはいうものの、1人はちと寂しいぞ。改めて考えると私には関係のない祝日だけど、「クリスマスにいい年した女が1人なんて侘びし過ぎる」という考えは、すでに極東・日本で刷り込まれ済み。誰か遊んでくれる人いないかな~と探していた私の犠牲になったのは、フランス人の友だち・ジェラルディン。

   プレ・クリスマスパーティとも云うべき飲み会が連日続く中、ジェラルディンやその他の友人たちと一緒にパブで飲んでいた時、「クリスマス?いちいちフランスになんて帰んないわよ。クリスマスに帰ろうもんなら、カロリー高い食事を死ぬほど詰め込まされるのよ。仕事もあるし、飛行機は込んでるし、めんどくさいもの」などとドライな意見を吐いていた彼女。「お、そーいえば、ダブリン居残り組のジェラルディンがいる!」と彼女に白羽の矢をぐさっとを立てました。

   「ダブリンに誰もいなくなっちゃった~。遊んで~」とケータイにメールすると、優しい彼女は「24日、家に来ない?特にごちそうは用意しないけど、近所のデリでおいしいフランス・チーズを買っとくから、フロマージュ・パ-ティしよう」というお返事をくれました。もちろん行く行く~!

   イブの夜、お寿司大好きな彼女のためにスモークサーモンの海苔巻を作り、カムデン・ストリートの彼女のフラットへ。ドアを開けてくれたジェラルディン、何だか憔悴した顔してます。いわく、「昨日、会社のコンピューター・システムがすべてダウンしちゃって、今日も朝からずーっとその復旧作業してたわ。その仕事の残りを持って帰ってきて、やっと今、一息ついたとこ。明日もオフィス行かないと・・・」とぐったり。何だか散々なクリスマスらしいです。まぁまぁ、お寿司持ってきたから、元気出して・・・と差し出すと、気を取り直した彼女、海苔巻をぐいぐい平らげ、室温でいい感じに柔らかく戻しておいた数種類のチーズとパンとワインを用意してくれました。狭いけれど居心地のいい彼女のフラットで女2人、チーズとパンとワインだけの慎ましいパーティ・・・。それでもとても愉快なイブの夜でした。

   さて翌25日。ダブリンで過ごす初めてのクリスマス!で、その記念すべき日に私がしたこと。

・昨日のワインが抜けず、うだうだとベッドで過ごしたあと、食欲がないまま、トーストを一枚かじって朝食終わり。
・その後、街を散歩する。が、前述のとおり、街はすご~~く静か(元旦の東京みたいな雰囲気)。
・拍子抜けし、早々と部屋に戻る。その後、いつもよりちょっと手間暇かけた昼食を作り、クリスマスプレゼントに友人がくれたおいしい白ワインと一緒に、その日の正餐を1人、心穏やかに食べる(この日、テレビは教会で賛美歌を歌う少年合唱団を中継している番組ばかりなので、消してた方が無難)。
・窓から静かな通りを眺めたり、クリスマス気分を盛り上げるためにキャンドルを窓辺に灯したり、切ない努力をしているうちに日が暮れる。
・もう夕食の時間だがランチが重かったので、お腹がすいてない。なので、これまた友人がくれたクリスマス・プディング(長期間、熟成保存された、ドライフルーツびっしりのケーキのようなパンのようなスイーツ。クリスマス・デザートの定番)を食べながら、テレビでやっていた「パイレーツ・オブ・カリビアン」を見る。
・11時就寝。

   以上。

   ということで、私の初のダブリンのクリスマス、私を慰めてくれたのはいかれた海賊、キャプテン・ジャック・スパロウでした。でもね、負け惜しみじゃないけど、こんな静かなクリスマスもそんなに悪くないですよ。

「クリスマスのあだ討ち・大晦日の過ごし方」

   クリスマスとは打って変わって街じゅうパーティ気分一色の大晦日。クリスマスとは逆に、人々は街へ繰り出します。私も静か過ぎたクリスマスの反動で、友人と街なかへ飛び込んで行きました。我々が入ったパブではグルービィ~なライブ演奏が行われていて、地球最後の日みたいに騒いでる人たちで熱気むんむん。12時が近づくと、バンドは演奏をやめ、ヴォーカルのおにいさんがカウントダウンを始めました。時計の針が12時をさすと、蜂の巣をつついたような騒ぎと興奮に包まれ、私のケータイにも友人たちから「ハッピー・ニューイヤー!」とメールが・・・。遠い東の国・日本では今ごろ除夜の鐘が鳴ってるんだろうなぁ(まぁ、時差があるからとっくに鳴り終わってるけど)。でもここの連中、その年の百八つの煩悩を取り去る気なんかまるでないだろうな・・・。

   2時過ぎまで街なかで大騒ぎしていた私、普段の日ならこんな時間に家へ戻る時は安全を考えてタクシーを拾うのですが、その夜はそんな心配はまったくご無用。通り中、人・人・人!陽気に歌い騒ぎながら家路に着く人たちに混じって歩いているうち、私も結局、徒歩でフラットに無事、たどり着きました。ダブリンの大晦日ってた~のし!

Vol.13 「出不精女のアイルランド紀行」

2006年11月04日 22時36分43秒 | ダブリン生活
「それでも旅っていいですね」

   「紀行」なんてタイトルをつけておきながら、実はわたくし、ほとんどアイルランド国内を旅行したことがないんです。ダブリンにどっかり腰を据えてしまった私は、よくある「行こう行こうと思いつつ・・・」的自堕落にはまってしまい、ダブリンの外に出たことなんて実際はホント数えるほど。ダブリンにいればハッピー♪ということもありましたが・・・。

   アイルランドはとても小さい国なので、東のダブリンから西のゴールウェイへの旅だって(まぁ、疲れるとは思うけど)気軽に日帰りできます。長距離バス・エーランに乗ってどこにでも飛んで行けるし、もちろん電車に乗ればもっと時間を短縮できます。とはいうものの、今まで行ったことがあるのは、「中世の面影を残す街」として知られるキルケニー、世界遺産であるニュー・グレンジとタラの丘へも近いドロヘダなど、ごく近隣ばかり。そのドロヘダにしたって、ニュー・グレンジとかも行ってないし。

   いつのまにか、こんなぐーたら人間になってしまった私ですが、突発的に、「♪知らない街を歩いてみたい」的心理に陥り、たまーにダブリンの街から飛び出して、プチ旅行を敢行していました。「旅行」と言うのもお恥ずかしいほどですが、勝手知ったるダブリンを離れ、勝手知らない土地でまごつくあの感じ、やっぱりたまりませんよね。右に行くと何があるのか、自分が今、どこに立っているのか(そりゃ地図で見れば見当はつくけど、その町の規模感覚を「体感」していない、という意味で)、分からないことだらけ。言うなれば、「まごまご」したいから、私はいつも旅に出るのだと言えるのかも知れません。

「ベルファスト」

   ベルファストはご存知のとおり、アイルランド北部、アルスター州にある北アイルランドの首都。ベルファストといえば、やはり「IRA→テロ→おっかない」的なニュース先行型イメージが強いらしく、危険な街という印象を持つ日本人も少なくありません(というか、「アイルランド→おっかない」という超一足飛びなイメージを持つ人も多い)。そんなネガティブなイメージの強いこの街、実際にはどんな所なのか自分の肌で感じてみたかったので、前から訪れてみたい場所の一つでした。この街へは友人と車で行ったのですが、その日は日曜日で道路がすいていた事もあり、「はるか彼方の街」と勝手に考えていた私の想像をくつがえし、2時間ちょっとで着いちゃいました。近っ!

   牧歌的な風景の中を車を走らせるうち、やがてベルファストに到着。街に近づくにつれ、工業都市らしい無骨な建物がぬおーっと突き出しているのが見えてきます。街の北側にあるショッピングセンターの駐車場に車を置いて、ここからぶらぶらと歩き回ることに。不遜な先入観で「よくあるちょっと大きめな地方都市だろう」なんて考えていた私でしたが、実際歩き回ってみると、意外に洗練された大都会!「イギリス統治下の街」という予備知識のせいかもしれないけど、街並みはアイルランドというよりやっぱりイギリス的色合いが強いなぁ、といった感じ。要するにどっしり重厚で素っ気ないほどキチンとしてて、全体的に沈んだ色合いの建物群。ごちゃごちゃしたダブリンからやって来ると、何て整然とした街なんだろう・・・という印象です。ダブリンのゆる~い空気の中で肩の力が抜けっぱなしの私は、思わず「す、すいません」と居ずまい正しそうになりました。

   街散策の前に、ATMでお金を引き出したのですが、出てきたのは当然ながらイギリス通貨!私の財布の中でジャラジャラいってるユーロは、ここじゃ使えない!もちろん、そんなことは前から知ってたし当たり前なんだけど、「ダブリンからこんなに近いのに、ここって外国なのね・・・」と、感動と共に妙な違和感を覚えました。

   通貨だけでなく、ここは外国なんだ、と実感させてくれるのが禁煙法。というか禁煙法が存在しないこと。アイルランド共和国では、2004年より公共施設での喫煙は一切禁止。昔はパブに入っちゃあ、紫煙の中、ギネスなんぞをちびちびやってたものですが、今では一服したいな~と思ったら、雨風が吹きすさぶ中、ドアの外に設置してある灰皿の周りで、凍死しそうになりながら吸うしかありません。それがここ、ベルファストなら堂々と室内で吸える!パブでランチした時もカフェで一休みした時も、あまりの感動にここぞとばかりにやたらタバコを吸いまくってしまい、肺ガン指数を自ら3%ほど押し上げた私です。ダブリンにいる間、従順な犬のように「屋内禁煙」法に飼いならされていた私は、「え、ほんとにいいの?吸っちゃうよ?止めるなら今のうちだから」などとそわそわしてしまい、いつの間にかやたら卑屈なスモーカーに成り下がっていた事を自覚したのでした。

   街のとびきり賑やかなエリアであるシティホール周辺は、オシャレな洋服や靴などがショーウィンドウに飾られたデパートやブティックなどが多いこじゃれた雰囲気。道路幅も広く、街角のきっちりした直角度も何となく東京の丸の内っぽいな(規模は全然違うとは言え)とさえ思わせます。いかにも現代的な都会・ベルファスト。

   無目的に歩き回ってもしょうがないので、限られた時間の中で街を能率的に回ろうと、ホップ・オン/ホップ・オフ式のバス・ツアーに利用することに。シティホール近くから出発したツアーバスは、殺伐とした造船所跡(あのタイタニック号はここの港で造船されたそうです。その記念碑もあります)とやたらにモダンな多目的ホールなどが混在するウォーターフロント地区、落ち着いたイギリス的住居が並ぶ住宅街などをぐる~っと回るのですが、やはり圧巻は、街の西側に位置するカソリック居住区とプロテスタント居住区。隣り合いながらもキッパリ分かれて暮らしているこのエリアのいたるところで、あの有名な政治的壁画を見ることができます。

   まず始めに感じるのは、賑やかな中心地から一歩離れると一変するベルファストの違う顔。活気溢れる都会的な中心エリアの明るい側面から、「ベルファストってオシャレで明るい街ね♪」なんて思ってると、足元すくわれます。街の西側エリアに入っていくバスの2階席からは、次第に崩壊しかけた建物がやたら目に付くように・・・。破られたままぽっかり開いた窓、それに板張りしただけの窓、焼け焦げた色が今も残る、崩れかけた外壁・・・。こういう荒廃した建物が今も日常的情景として存在しているのだと思うと、やはり衝撃的でした。

   建物の側面を使って描かれている壁画の数々は、写真やテレビなどで見たことはあります。でもカソリック側とプロテスタント側が、それぞれ自分たちの視点から描いたそれらの壁画を実際に自分の目で見てみると、その妙な生々しさとあまりにストレートなメッセージ性にぎょっとさせられます。でもそれらを超えて、壁画のひとつひとつの迫力に圧倒されてしまいました。踊る「IRA」の文字、覆面姿の物騒な男たち、イギリス側にとっては偉人、アイルランド側にとっては嫌われ者のオリバー・クロムウェル、レジスタンス、平和の象徴・鳩が羽ばたく絵、絵、絵・・・。芸術的側面から語っていいものじゃないのかもしれないけど、それでも力強いけれど静かな語りの壁画の数々は一見の価値大ありです。

   独特の、異質な街の雰囲気にいつしか息を詰めながら街の様子をじっと見つめていましたが、そこは歴史的軋轢はどうあれ、ごく普通の人々が生活する場所。それを高い所から眺めつつ、さっさと移動するバスに乗っている自分に対して、なぜかいたたまれない気分になってきました。友人ももっとゆっくりこのエリアを回りたいというので、さっそくバスを降りることに。

   日曜日の夕方のせいか、歩いている人もまばらで商店のほとんどが閉まっています。眩しいくらいのオレンジ色の夕日のなか、プロテスタント側からカソリック側へ歩いていたのですが、ほんとに隣り合わせのエリアなのに、がらっと雰囲気が変わります。街並みも違うし、郵便ポストの色も違うし(プロテスタント側は赤、カソリック側は緑)、やたらあちこちに掲げられた国旗ももちろん違います。ってか、こんなに国旗がはたはたと舞っている街は初めてだ!正直、それぞれのエリアでやたら目に入るこの国旗を見るたび、どこか圧迫感を感じてしまい、胸苦しくなったのも事実です。犬の散歩をさせているおじさん、ベビー・カーを押すお母さんなど、日々営まれている普通の生活。でも、機関銃を持った黒マスク姿の男たちが描かれた不気味な壁画の下で、小さな子供たちが縄跳びをして遊んでいたのを、私はたぶん一生忘れられないと思います。なんのかんの言ったって、ひょっこりやって来た部外者の私がそういう光景を見て、「胸が痛いなぁ・・・」なんて思うのは、あまりにもお手軽な感想で、とんでもなく傲慢かもしれないけど、それでもやっぱりそういう思いを持たずにはいれませんでした。

   喉が渇いたのでパブにでも入ろうか、と思っても、どことなく入りづらい雰囲気のパブばかり。構うものかと、割と大きい一軒のパブに入ると、中にいたのは地元のおっさんばかり。女性は一人もいません。開放的なダブリンの、のほほんとしたパブとはまったく異なる雰囲気に恐れ入ってしまい、「なんじゃ、こいつらは?」的視線を浴びながら、店内を通り抜け、そのまま反対側のドアからすごすごと出てしまいました。もちろん「ベルファストのパブは排他的」なんて言うつもりはありません。でも観光客も多い中心地で入った、オープンで和やかな雰囲気のパブとの落差にびびってしまったのも確か。

   その他、このエリアで気がついたのは、ダブリンでは石投げりゃ当たるくらいよく見かけるアジア人が少ないこと、犬の散歩をしてる人がやたら多かったこと(これは夕方という時間帯のせいかもしれないけど)、常に上空を旋回しているヘリコプターの「タパタパタパタパタパ・・・・」という音、最初、「学校の壁かなんかかな?」と思っていたやたら長い壁が、その2つのエリアを分ける「ピース・ウォール」だったのに突如気付いたことと、その壁の一部に小さな門があって、このよく晴れた日曜日の夕方、銃をしっかり携帯した門兵の姿を見た時の違和感、などでした。数こそ少ないものの、辺りを歩く人たちに道を聞いたり、何かを尋ねたりしても、カソリック・プロテスタント関係なく、ごく普通に親切に私たちに接してくれたし、特別嫌な感じも受けませんでした。でも、それでも、この周辺に漂う「ここには住みたくないなぁ・・・」と思わせるような、閉じられた空気、というか「ひやり」とする底暗さみたいのを感じてしまい、それがどーにもこーにも気分を硬くさせるのです。これはノーテン気な明るさを持つダブリンに住んでいる身だからこそ持つ感想であって、最初からこの街に住んでいたら、この空気も別に何とも思わないのかもしれないけど。

   複雑な感情に圧倒されながらの帰り道、強烈なオレンジ色の夕日が沈み行かんとする中、振り返ってみると、切なくなるほどの強烈なオレンジ色の残照でベルファストの街が燃え上がってるように見えました。「London's Burning」ならぬ「Belfast's Burning」!

   やたらとネガティブな感想を書き連ねてはきましたが、ものすご~~く興味深い街であることは断言できます。正直言って、また訪れたい街です。

「モハーの断崖」

   出ました、モハー!アイルランドでも1,2位を争う観光名所!初の一泊二日旅行!こんなんで感動してる自分が哀しいですが、モハーの断崖とはアイルランドの西海岸に突き出た海面から200mの高さの断崖絶壁で、約8kmに渡って続いており、そのドラマチックで荒々しい眺望が観光客に人気のスポットです。この旅もいつもの如く、「よし、明日モハーの断崖を見に行こう」と衝動的に決意したもの。ほとんどの予定は未定で決定したため、当然、ほころびだらけの旅となりました。

   ダブリンからバスでリムリックまで行き、そこでバスを乗り換え、エニスという、モハーの断崖にほど近い町まで行く、というルートを取ったのですが(ちなみにこのルートは往復で26ユーロ)、朝9時半にダブリンの中央バスステーションから出発するバス・エーランに乗っていざ出発!のつもりが、案の定寝坊してしまい、起きたら9時というありさま。かろうじて10時半発のバスに飛び乗り、しょっぱなからバタバタした旅になりました。それでも道中、ワクワクしながら車窓にかじりついて過ぎ去って行く小さな町の風景を楽しみ、この旅の期待度がいやおうなく高まっていくのでした。

   ダブリンからエニスまでは乗り換え時間を含め、約4時間半かかります。乗り継ぎ便を1本逃した私がエニスに到着した時は、すでに夕方の4時近く。エニスからモハーの断崖まではバスで小一時間ほどなので、これから行けば夕陽を浴びた断崖絶壁が見られる!とはしゃいだものの、バス停の時刻表で調べてみると、モハー行きのバスは一日3本のみ。次の便は18:20に出発するもので、それがモハー行きの最終便なのでした。さらに詳しく調べてみると、エニスへの折り返しバスの最終便がなんと18:00!なんやそれっ!つーことは、行ったはいいけど帰って来れないやんけっ!まぁ、別にこの町に宿を予約してるわけじゃないし、モハーの近くに泊まれる場所があるならどこでもいいんだけど、このエニス、この辺りではけっこう規模の大きい町ではありますが、ここから先はほとんど「村」といった方がいいような場所ばかり。夜になって宿泊施設の少ない「村」にたどり着いても、今度は宿探しに奔走する羽目になるかもしれません。一日の終わりにまでそんなバタバタしたくないので、今夜はエニスに宿を取り、翌朝早くにモハーの断崖へ出発することに決めました。しかーし!これが運命の分かれ道・・・。

   エニスはモハーの断崖へのアクセスに便利な町としてばかりでなく、アイルランドの伝統音楽のお祭りが開かれることでも有名。観光客も多いため、オープンな雰囲気が漂う町でもあります。ここ、クレア県の中心都市とはいいながら、実際はとてもこじんまりしたかわいらしい町。ここのメイン・ストリートであるオコンネル・ストリートに至っては、「これって裏道?」と言いたくなるほどの細さで、その細い道が別の細い道と交わり、これまたちっぽけな交差点を作っています。でも、建物の間をするするとぬうような細い通りは、どことなく秘密めいた雰囲気さえかもし出していて、私好みの町ではあります。とりあえず今晩の宿を見つけないといけないので、時間を有効に活用するため、町なかにあるツーリスト・インフォへ。

   ここで印象深かったのが、エニスのインフォで働くスタッフ(みんなトウの立ったおばちゃんたち)が素晴らしく感じが良かったこと。時々、「あ~?宿だぁ?ちっ、めんどくせ~な・・・」といった感じであしらわれ、ツーリスト・インフォメーションで宿の情報を知ろうとした私がいけなかったのか・・・?と思わせるような場所もありますが、このインフォではそんなことは皆無。「この仕事大好き♪」といった感じでおばちゃんたちがイキイキと働いておりました。で、「ここら辺の近くに安い宿ないですかね?」と聞いた私に紹介してくれたのが、街のちょっとはずれにある「アビー・ツーリスト・ホステル」。エニス修道院に近い、何だか気の抜けた感じのする宿です。設備がきちんとしてるのか適当なのかいまいち判断はつきにくいものの、その脱力感がなかなかオツ、と言えない事もない、といった感じのややこしい宿。フロントにいたのも、これまた気の抜けた感じのアメリカ人のおばさんで、フロントとキッチン、TVルームなどがある本棟内を案内してくれた後、中庭を抜けて私の部屋がある別棟まで連れて行ってくれました。

   私の部屋は妙に広いながら殺風景なダブル・ルーム。この部屋をシングル料金で使わせてくれることになったので、あんまり文句を言いたくはないのですが、洗面所もトイレもシャワーもついてない割に、宿泊料金はけっこう高いです。あるのはベッド、鏡台、クローゼットのみ。でも私の部屋の隣はシャワールームなので、ま、いっか、と荷物を置いて、ホッと一息。

   さて、今夜の宿も決定したので、ようやく町の散策を開始。といっても、もう夕方なので、周りの店は店じまいを始めています。でも人通りが少なくなった知らない町を歩き回るのも、しんみりブルースしてて結構いいものです。観光客の多い街らしく、細い裏通りにはかわいいオープン・カフェやレストランなどもあり、雰囲気も悪くありません。そのうちの、唯一まだ開いていたカフェに入り、コーヒーブレイク。その横で申し訳なさそうに閉店準備を始めたカフェのおねえさんに、「この辺りでいい感じのパブ教えてくれない?」と聞いてみると、その気さくな彼女は、「そこの通りをちょっと先へ行ったところに、Cruise’sっていうパブがあるわ。私もよく友だちと行くわよ。とてもいいパブよ」と教えてくれました。そー言えば、ホステルのあのアメリカ人のおばさんも、「Cruise’sってパブに行ってみるといいわよ。ここのすぐ近くだし、9時過ぎに行けばミュージシャンたちのセッションも見られるわよ」と言ってたな、と思い出し、地元の人が勧めるならいいパブであろう、と今夜の予定(というか唯一の予定)に入れておいたのでした。

   その夜、Cruise’sに入ったのは10時ごろ。後から知ったのですが、この店はとても歴史の古い有名なパブ。いい具合に混み始めている店内は、観光客らしいグループや地元っぽい人たちで活気に溢れながらも落ち着ける空間。どっしり重厚な内装ながらアットホームな雰囲気、なんて言うガイドブック調な事は言いたくありませんが、まさにどっしり重厚な内装ながらアットホームな雰囲気。カウンターに寄りかかってギネスを飲んでいると、つと、どことなく崩れた感じのおじさんが近づいてきて、おっそろしく聞き取りにくいアクセントで話し掛けてきました。そのうちに隅のテーブルに座っていたミュージシャンたちが楽器を構え、演奏がスタート。すると店内には、さぁーっと血が通ったかのようなイキイキとしたエネルギーが満ちてきたのでした。

   難解アクセントのおじさんが手招きして、自分が座っていたミュージシャンたちのすぐ隣のテーブルに私をいざない、その演奏を真横で堪能しつつおしゃべりの続きを始めました。このおじさん、北アイルランドの小さな町の出身だということが判明。そのうちなぜか日本の武道について話題がながれ、おじさんいわく、「軍隊で空手と柔術を習っていた」とのこと。そして、その軍隊での生活に嫌気がさし、そこを飛び出してあちこちを放浪した末、エニスにも近いとある小さな町に落ち着いたということでした。軍隊?と私が突っ込んで聞くと、なかなかハッキリ言い出さなかったものの、そのうち何年か前までIRAのメンバーだったことを激白。それを聞く私の反応を確かめるかのように、じっと私を見つめていたおじさんの顔には、どことなくからかうような微笑が浮かんでいました。そこから話題は自然に北アイルランドの苦難の歴史に変わり、彼のヘビーな人生話に聞き入っている私に何度も確認するように、「そういう世界観って君に理解できるかい?」とか「今、おれが言ったことの意味が分かるかい?」と尋ねるのでした。私が「それを理解するのはすごく難しいんだろうなって私が今、想像してる以上に難しいんだろうって事は理解できる」と答えると、日本の小娘に本当に分かるのか?的思いと、自分の経てきた人生を聞かせたいという思いが葛藤しているような複雑な表情で、何度もうなずくおじさんなのでした。

   翌朝、ようやくモハーの断崖に出かけるため、早めに起きてギネス腫れした顔のまま、朝食を取りに下りて行きました。ちなみにこのホステルの料金、朝食込みなんですが、本棟にあるキッチンへ行ってみると、「朝日あふれるキッチンに美しくセッティングされたアイリッシュ・ブレックファスト」的私の期待はあえなく玉砕。学校の給食室みたいなキッチンに用意されていたのは、袋に入ったまま無造作に置かれた食パン、テスコの安売りジャム、インスタントコーヒーと紅茶のティーバッグのみ。そう、セルフサービスなんです、ここ。キッチンに備え付けられた棚には、シリアルもあるし冷蔵庫には卵やハムなども置かれていたので、これも食べていいのかなと思いましたが、よく見るとそれぞれに名前が書きなぐってありました。要するにここに長期滞在している人たちが自分で購入して、しまっておいた食料だったのです。トースト以外食べるものもないので、ここぞとばかりに山ほどパンを食べ、コーヒーで流し込んでおしまい。う~ん、毎朝、自分で用意している朝食の方が、もうちょっと豪華な気が・・・。いや、私は特に食事に対してうるさくない方だし、トーストだけでも構わないっちゃ構わないんだけど、要は「旅先気分」を盛り上げてくれる雰囲気だったんです、私のささやかな望みは・・・。

   昨日着いたのと同じバス・ターミナルから、モハーの断崖行きのローカル・バスに乗車。ここから約1時間のバス旅になります。その日は何となく薄曇りで、雨なんか降んないといいんだけどな、といくつもの村を通り過ぎていくうち、ある種、雨より困ったちゃんな展開に。それは濃霧!大濃霧!始めは「ちょっと霧が出てるな。でもまだ朝も早いし、しょーがないか」と悠長に構えているうち、それはどんどん濃くなっていき、しまいに窓からの景色は濃い乳白色の霧にすっぽりと覆われてしまったのでした。バスの最前席に近いシートに座っていた私は、ちょっと首を出してバスのフロント・シートを覗いて見ると、何と視界ゼロ!ほんの数メートル先もハッキリ見えません。こ、こわいよ~~~!これじゃ、人家の壁に激突するとか、そこら辺にごろごろいる牛の2,3頭を跳ね飛ばしちゃうんじゃなかろうか、とビクビクしていましたが、バスの運ちゃんも急速にスピードを落とし、じりじりと慎重に運転していました・・・。頼むよ、おじさん!あんたの高度なドライブテクが頼みの綱なんだから!

   その手に汗握るバスの旅がようやく終わり、モハーの断崖へ到着。と言っても、いまだに濃い霧の中、ビジター・センターの裏手から断崖へ向かって設けられている通路をしばらく歩かなくてはいけません。本当にすぐ目の前しか見通せないため、断崖から帰ってきた人たちが濃霧の中から突然現れて衝突しそうになり、その度ぎょっとさせられました。でも、なんにも見えないながら何という幻想的な世界!真っ白なカーテンに覆われて、平衡感覚が狂いそうな感じ・・・。

   先に進みながら崖の断面が見えないかと首を伸ばしていましたが、かろうじて見えるのは崖の縁ばかり。諦めきれず、ずんずん歩いていくうち、ついに道は行き止まりに・・・。ああ、本来ならここからはあの壮大な眺めが見渡せるはずだったのに!

   霧が晴れることを願いつつ、ビジターセンター内のカフェでお茶などしながら粘っていましたが、相変わらず外は真っ白な世界。しぶしぶ諦めて重い腰を上げ、エニスに戻るバスに乗り込んだ私。しかし!あろうことかあるめぇことか(志ん生調)、断崖を後にしてしばらくたつと、霧が急に輝き始め、太陽がようやく顔を見せたことに気付いた時、あっという間に霧も消えていったのでした・・・。

   ということで、ダブリンから一泊二日かけてやって来たモハーの断崖、私が見れたものは異常な濃霧と道の行き止まりにあった「Keep Out」の看板のみ・・・(でも、この看板に描かれていた牛の絵がとてもかわいかったのがせめてもの慰め)。

   ・・・全てがこんな調子ですが、私にとってはとても幸せな小旅行ばかりです。おしまい。