Magnum Photos Photographer

Lieben 頭で理解できることに価値はない

ラファエル前派 作品画像の質の違い

2010-05-27 | Weblog
バーン=ジョーンズ、ロセッティの記事が仲間うちでアップしたけれど・・・。どうして同じ作品を記事にしているのに、どこよりもなぜに良く見えるのか!と思いませんか?

彼らの記事に「色質が」とか「色調が」ってあるけど、それだけじゃないでしょう。と僕は気が付いた。

だってさ、fu-の記事にロセッティの「海の呪文」というのがあって、美術書からスキャナしたもの、誰かが撮影した写真、個人所蔵先で公開している画像の3枚を使用しているんだけど、色質、色調がそれぞれ違うのに、他のブログやHPのものと何か違う。

僕はバーン=ジョーンズもロセッティも嫌いなんだけど、fu-やsai、aleiの作品記事を見ていると、とっても良く見えてうっとりしますよ、この僕が。




管理人の許可を得ている画像。右が一般的に使用されているポスター画像。中央がfu-のブログで紹介している所蔵先公開の作品画像で左がスキャナしたもの。

この3枚を見比べると、まずポスターは両端が切れている状態。普通こうした作品は「ディティール(部分)」としないとまずいよねってやつ。

この右側の作品はまだいい方で、右端の花がまったく見えないものもポスターで販売されている。

そしてfu-のスキャナしたものと所蔵先の公開画像をみれば、「色質」、「色調」が違うけど、まったく同じサイズで、同じ位置に描かれている。

つまり「本物の作品画像」だというわけ。

右のポスター画像と比べると、手の位置はまったく同じなのに、囲んである花の位置が違う。そして聖霊だといわれている海鳥は、奥の羽は3枚の作品画像はほぼ同じなのに、右のポスターは手前の羽の大きさが狂っている。

つまり画家が描いたそのものではないから、こうした画像のほうを見るのが慣れっこになって、嫌いになってしまうんだ。だって、ちっとも良く見えないポスターは、そういう「狂い」が全体を台無しにしているからだと思って。




こちらの画像も管理人の許可を得た。どちらもロセッティの作品で、上が「受態告知」の部分。下が「聖母マリアの少女時代」です。

僕はこの「受態告知」をみて驚いた。全然嫌いな1枚だったのに、どういうわけかじっくり見ている自分。

僕が用意したポスター画像は、どうにもこうにも全てが狂っているでしょう。同じサイズで、ほぼ同じところをコピーしたけど、写っている角度、写っている位置、写っているモノが違う。

aleiが使用している作品の床、テラコッタの質がわかりますよね。そして僕の用意したポスターは、テラコッタではなく、ツルッとした陶器に描かれているような感じ。狂いだけではなく、この画像では「画質」が違うから、ペロンとした寂しい受態告知で好きではなかったが、このたび好きになりましたよ・・・。

じゃぁ、彼らはいつも「本物」を同じコピー画像を使用しているかというと、そうでもない。たとえば5枚のうち3枚を「本物のコピー」だとしたら「ポスター画像」を2枚使用しているという割合。




では仮にロセッティが大好きだとしましょう。ブログやHPに記事を載せるとき、何を大切にしますか。

すぐに手にはいる画像ですか?本物に近い描き方のものですか?それとも色でしょうかね。(直感で好きな色、自分のブログにあう雰囲気のものとか。)

このなかに本物に近い描き方のものと、写真画像があります。まったく違うものが2枚。どれでしょうか。そして好きな色はどれですか?

僕は色も大切ですけど本物の描き方って大事だと思うようになってきた。aleiさんの使用している画像をみてください。比べてみるとプロと素人くらいの差がありませんか。とくにポット(赤い花瓶)の模様。

本物はすっきりした線。

音楽と絵は人間にとってすごく大切。音楽もいい音じゃないと植物も育たないし、病気も回復しない。よくクラシックで誰々の「音楽を聴くと」なんてありますがね。それは誰々の曲であればどんな演奏でもいいわけではないってことです。

絵画もそうで、強烈な作風であれば尚更のこと。視覚にはいるわけですから、「好き・嫌い、快・不快」の感情が決定するわけですよ。




バーン=ジョーンズの「ヴィーナス賛歌」は「麗しい」とか「美しい」とかの言葉を添える記事が多いけどね、いまいちの画像で細部の説明がなかった。

ところがfu-がいい画集を図書館で見つけたらしい。

それが右側。おおっきいからいいとかの問題じゃなく、狂いのない線、すっきりした線、そして色。

こんな大それたこと言って恐縮ですが、麗しい、美しいの言葉はどこに触れていたのか。

fu-の記事をみてため息をつかずにいられようか!マジ、美しい。その美しさっていうものを知っていないと観賞者に伝わらないと思った。

そしてもうひとつ考え付いたのが、色は女の化粧といっしょで、顔の色、唇の色、目の色、眉の色が微妙に違うことで、すっきり見えたりブスに見えたりするってこと。

ラファエル前派全般に言えることだけど、同じ作品なのにブスに見える顔つきってある。これは色のトーンだっけ、そういうものの違いだと思った。




これは左がシュツットガルト州立美術館所蔵のバーン=ジョーンズ「運命の岩礁」、右がサウザンプトン市立美術館所蔵の「運命の岩礁」です。「ペルセウス」のシリーズです。

画像はどちらもsaiの記事から借りています。

ロセッティにしても、バーン=ジョーンズにしても所蔵先を明記している記事がほとんどない。saiのマネで「どうして?」

僕も知らなかったけど、何枚も同じタイトルで同じ作品を制作しているロセッティやバーン=ジョーンズ。

saiやareiは所蔵先を記名していて、ようやく謎が解けた。この二枚の「運命の岩礁」、シュツットガルト州立美術館所蔵のほうは写真撮影なので少し青みがかったそうです。

やっぱね、「本物」知らなくてもこれ違うだろって思うのが人間だよね。だからちょっと自信なくって、自分でロセッティもバーン=ジョーンズも記事にできない僕の戯言でした。すいません。

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