goo blog サービス終了のお知らせ 

ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

岐阜自殺(中2女子)、日本の迷走度

2006年10月31日 21時55分09秒 | 格差社会と政治
自殺した女子生徒の記した ”手紙” に記された生徒4名のそれぞれの親が「いじめがあった」と認め、自殺した生徒の親に謝罪したことで、学校側も 「いじめがあった」と認める会見を行った。当然であろう。

私の見た報道内容では、福岡中2いじめ自殺 の二の舞である。
最初に気になったのが、名前を掲げられた生徒の が謝罪に行ったと聞いたときだった。
繰り返し聞いても ”親” が(自分の娘から聞いて)いじめがあったと認め”親” が自殺した家族のもとへ謝罪に行っている。

当事者である4人の生徒はどうなのか? すでに事情聴取を始めてしまったことだろう。

今回も 報道メディアが盛んに ”いじめがあった” と繰り返し報道し、世論を形成し続けた。
”刷込み”行為を行ったと言われても 反論 はできまい。

当事者である4人が自分から ”いじめを行った”と認めなければ いじめ は成立しない。中学生にもなった少女を前にして、たとえ親であろうと他者が先に決めつけてはならないのだ。

自殺した女子生徒は明確に 「頑張ることに疲れた」 と残した。いじめを苦にしたのなら福岡中2同様 「いじめ」の言葉を用い、「いじめられる事に疲れた」と残すだろう。

当該4名の生徒は今後、「いじめ殺した」との苦悩と戦い続けることになる。
自分から先に認めていれば リカバリ(回復)は容易だが、他者から 刷込まれた 苦悩 は尾を引き続ける。

じつに こころの問題 には不得手な国である。
もしこれが 『教育再生会議』 に利用されたモノなら 政府は真犯人だ。強盗団国家に成り下がっている。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。