山本良光 やまもとよしみつ
6月11日 死去
94歳(大正10年生まれ)
最近、本当に人の死に係わりいろんな事を考えさせる時間が多い。
爺さんは完全に体も心も私のルーツだろうと思う。
爺様の口癖は「お前は日本に生まれて幸せなんだ。」
年二回、正月と盆に1時間近い講義を私は受け続けていた。
これも、もう終わりか。
爺様は先の大戦の中、朝鮮半島、満州、最後に旧ビルマへと渡り生き残った兵隊さんである。
そんな爺様が生き残ってくれたからこそ、今の私がいるし、そんな言葉を私に言い聞かせ続けたのだと思う。
爺様はいつも「いいやつはすぐに死んだ」「わしは生き残ってしまった」と言っていた。
本当に94歳で逝ってしまった事は悔しさもあればいろいろな思いがあるだろう。
俺も悔しい。
じいさんはまっすぐに生きようとしていた。
じいさん、何ご飯喉につまらせてるのさ(笑)
最後はあっけなかった。
親父が借金抱えてからいろいろあったけど、爺様のおかげで大学にもいけたし生活もできたと思う。
本当に感謝しかない。
ひ孫を抱かせてあげれた事くらいかな。
できた事といえば。
心がひどく揺さぶられてます。
6月11日 死去
94歳(大正10年生まれ)
最近、本当に人の死に係わりいろんな事を考えさせる時間が多い。
爺さんは完全に体も心も私のルーツだろうと思う。
爺様の口癖は「お前は日本に生まれて幸せなんだ。」
年二回、正月と盆に1時間近い講義を私は受け続けていた。
これも、もう終わりか。
爺様は先の大戦の中、朝鮮半島、満州、最後に旧ビルマへと渡り生き残った兵隊さんである。
そんな爺様が生き残ってくれたからこそ、今の私がいるし、そんな言葉を私に言い聞かせ続けたのだと思う。
爺様はいつも「いいやつはすぐに死んだ」「わしは生き残ってしまった」と言っていた。
本当に94歳で逝ってしまった事は悔しさもあればいろいろな思いがあるだろう。
俺も悔しい。
じいさんはまっすぐに生きようとしていた。
じいさん、何ご飯喉につまらせてるのさ(笑)
最後はあっけなかった。
親父が借金抱えてからいろいろあったけど、爺様のおかげで大学にもいけたし生活もできたと思う。
本当に感謝しかない。
ひ孫を抱かせてあげれた事くらいかな。
できた事といえば。
心がひどく揺さぶられてます。