年度末。節目のひとつである。
個人的には、この季節が一番嫌い。好きな冬が終わってしまうというのもあるが、それ以上に「別れ」がつきものだから。
「会うは別れのはじめ」とはいうが、「別れ」にくっついてくる様々な感情の葛藤が苦手。
それが束になってやってくるから、春は嫌い。
旅は、短い出会いと別れの繰り返し。でも、私はそれを「別れ」として受け取っていない。旅先でひと時別れても、電話で、メールで、連絡がとれる。会いたくなったらまた会いに行けばいい。旅人の時の私は、比較的「別れ」への耐性が強い。
けれど、それ以外の場面、例えば仕事や生活の場面での「別れ」は、本当に苦手。
「卒業」とか「区切り」とかの場面で思い出すこと…
子どもの頃は、どちらかといえばクールに振舞っていた。卒業式で泣いている子を見ても、「ふーん」程度にしか感じていなかった。
大学に入って1年目、初めての「追い出しコンパ」(この言葉も懐かしい)。送り出す方も送り出される方も、涙に咽んでいる。(なんだこの空気は)と思ったりもしたけれど、少し寂しさも感じた。先輩たちの思いの深さを思った。
2年目の「追い出しコンパ」。2年間お世話になった先輩が卒業していく。深い寂しさを感じた。心細さもあった。昨年見た涙の風景の中に、今度は自分がいた。惜別という言葉の意味を知った。
自分が卒業年次の時、サークルの全国組織の合同「卒業式」のようなものがあった。知多半島まで出かけていった。日本の各地で同じような活動をし、時々会議などで会っては交流していた仲間。「式」が終わり、東京へ帰る時、私たちの姿が見えなくなるまで歌を歌い、手を振ってくれた。(礼文島の『桃岩荘ユースホステル』を知っているだろうか?私の大学生時代は、4年間あんな感じだった。礼文島から宿泊客が去っていく時、残ったホステラーが熱く見送ってくれる、そんなシーンによく似ていた。)気がつけば没頭していた4年間が過ぎ、「自分が全力を出し切ったステージが終わる」のを感じていた。それとともに、その時間を共有していた仲間たちとも離れ離れになる。たまらなく寂しかった。名古屋まで電車で1時間、私は同行していた同期や後輩たちから離れた車両で、ひたすら泣いていた。
大学を出た後、さらに1年の寄宿舎暮らし。福祉の職員養成所は、四六時中同じ顔との生活。祭のような1年間を終え、修業式が終わった瞬間から、ひとり、またひとり、故郷や新天地へ旅立っていく。桜の花が散るように。私自身は、散っていく皆を送り出す方だった。だんだん空き部屋が増えていく寄宿舎の静けさ。10日も経つ頃には、居残りもごく僅かしか残っていない。間もなく彼らも部屋を片付けて出て行くことになる。やがて自分にも、出て行く時がきた。最後から3~4番目だっただろうか。残った人には、書き置きだけ残して、そっと寄宿舎を後にした。バッグひとつ背負ってバスに乗る。寄宿舎の目の前を通った時、「ありがと」窓の外に向かって、声には出さずに口だけ動かした。
「さようなら」という言葉も大嫌い。例え葬式でも使わない。葬式の時は「お疲れ様でした」、それ以外の時は「じゃ、またね」…この点、英語は"See you again"だし、中国語でも「再見」…どちらも「またお会いしましょう」。なんかこの方がほっとする。
仏教用語の「四苦八苦」(意味がわかんない場合は、Wikipediaか何かで調べて下さい)。その中のひとつ、「愛別離苦」。やっぱり、そうだよね。
年々、「別れ」の苦手度が増している。なのに、また今年も、苦手な「別れ」を受け容れなくてはならない。
どうしよう、3月が終わってしまう。