Train of thought

wish you were here

As time goes by

2009-06-28 01:02:49 | 心理

重なる時には重なるものだ。

 

伯父貴が亡くなった、という知らせが届いた。

 

先日、法事で会った従兄が、この伯父貴の介護をしていて、地方都市には介護サービスの種類も貧弱だし、数量も全く不足していることを嘆いていた。この時点ですでに病院の入退院を繰り返していて、ターミナルもそう遠くないだろうと言われていた。

 

従兄は大学の先輩でもあり、サークルも姉妹関係と言える所に属していたので、私が大学生になってからの方がよく話をしていた。

 

明日は、この従兄が喪主になるのだろう。

とりあえず、従兄にも伯父貴にも、「お疲れ様」ということばをかけたい。

 

 

事が重なると、深い溜め息しか出てこない。

 

 

万物は流転して行き、私も周囲も年をとって行く。

手元の写真と頭の中の記憶はそのままなのに。

「この時がずっと続けばいいのに」と思っても、

やがてそれは儚いことと知る。

私たちの力が及ばない所で、

過ぎて行くものは過ぎて行く。

受け流すことにいつしか慣れてしまい、

喪失の哀しみと空虚感をごまかすことを覚えた。

けれども、ごまかしたところで哀しみは消えない。

寂しさの埋め合わせができるわけでもない。

 

 

 

寂しさと向き合うために、今日もバイクを走らせる。

取り戻せない時間の記憶を胸にしまいこんで、

何食わぬ顔で今日もバイクを走らせる。


万物は流転する

2009-06-27 00:54:39 | 心理

個人的にショックなことがあり、今頭の中が空っぽになっている。

 

 

 

 

ファラ・フォーセットが亡くなってしまったからとか、

 

 

 

マイケル・ジャクソンが亡くなってしまったとか、

 

 

 

 

そういったことが原因なのではない。

 

 

 

 

ただ、人の命の在り様を含めて、「万物は流転する」ということを

しみじみ感じている。

 

 

 

 

明日と言う日は、誰にでもやってくる。

今日亡くなった人には、自分の存在しない日として。

今日も明日も変わらぬ日、と言う人もいる。

 

ただ、今の私は、明日をどう過ごしてよいかわからない。

なす術もなく、時間が通り過ぎていくのを見届けることしかできそうにない。

 

 

 

 

自分は、運命の扉を開けるのには非力すぎるのだろうか。

全く望んでいないことが、私の身の回りで勝手に起きる。

 

 

 

生き霊にでも取り憑かれているのだろうか。

 

いつか、この状況は改善されるのだろうか?


春は嫌い。

2007-03-27 02:12:46 | 心理

年度末。節目のひとつである。

個人的には、この季節が一番嫌い。好きな冬が終わってしまうというのもあるが、それ以上に「別れ」がつきものだから。

「会うは別れのはじめ」とはいうが、「別れ」にくっついてくる様々な感情の葛藤が苦手。

それが束になってやってくるから、春は嫌い。

 

旅は、短い出会いと別れの繰り返し。でも、私はそれを「別れ」として受け取っていない。旅先でひと時別れても、電話で、メールで、連絡がとれる。会いたくなったらまた会いに行けばいい。旅人の時の私は、比較的「別れ」への耐性が強い。

けれど、それ以外の場面、例えば仕事や生活の場面での「別れ」は、本当に苦手。

 

「卒業」とか「区切り」とかの場面で思い出すこと…

子どもの頃は、どちらかといえばクールに振舞っていた。卒業式で泣いている子を見ても、「ふーん」程度にしか感じていなかった。

大学に入って1年目、初めての「追い出しコンパ」(この言葉も懐かしい)。送り出す方も送り出される方も、涙に咽んでいる。(なんだこの空気は)と思ったりもしたけれど、少し寂しさも感じた。先輩たちの思いの深さを思った。

2年目の「追い出しコンパ」。2年間お世話になった先輩が卒業していく。深い寂しさを感じた。心細さもあった。昨年見た涙の風景の中に、今度は自分がいた。惜別という言葉の意味を知った。

自分が卒業年次の時、サークルの全国組織の合同「卒業式」のようなものがあった。知多半島まで出かけていった。日本の各地で同じような活動をし、時々会議などで会っては交流していた仲間。「式」が終わり、東京へ帰る時、私たちの姿が見えなくなるまで歌を歌い、手を振ってくれた。(礼文島の『桃岩荘ユースホステル』を知っているだろうか?私の大学生時代は、4年間あんな感じだった。礼文島から宿泊客が去っていく時、残ったホステラーが熱く見送ってくれる、そんなシーンによく似ていた。)気がつけば没頭していた4年間が過ぎ、「自分が全力を出し切ったステージが終わる」のを感じていた。それとともに、その時間を共有していた仲間たちとも離れ離れになる。たまらなく寂しかった。名古屋まで電車で1時間、私は同行していた同期や後輩たちから離れた車両で、ひたすら泣いていた。

大学を出た後、さらに1年の寄宿舎暮らし。福祉の職員養成所は、四六時中同じ顔との生活。祭のような1年間を終え、修業式が終わった瞬間から、ひとり、またひとり、故郷や新天地へ旅立っていく。桜の花が散るように。私自身は、散っていく皆を送り出す方だった。だんだん空き部屋が増えていく寄宿舎の静けさ。10日も経つ頃には、居残りもごく僅かしか残っていない。間もなく彼らも部屋を片付けて出て行くことになる。やがて自分にも、出て行く時がきた。最後から3~4番目だっただろうか。残った人には、書き置きだけ残して、そっと寄宿舎を後にした。バッグひとつ背負ってバスに乗る。寄宿舎の目の前を通った時、「ありがと」窓の外に向かって、声には出さずに口だけ動かした。

 

「さようなら」という言葉も大嫌い。例え葬式でも使わない。葬式の時は「お疲れ様でした」、それ以外の時は「じゃ、またね」…この点、英語は"See you again"だし、中国語でも「再見」…どちらも「またお会いしましょう」。なんかこの方がほっとする。

仏教用語の「四苦八苦」(意味がわかんない場合は、Wikipediaか何かで調べて下さい)。その中のひとつ、「愛別離苦」。やっぱり、そうだよね。

 

年々、「別れ」の苦手度が増している。なのに、また今年も、苦手な「別れ」を受け容れなくてはならない。

どうしよう、3月が終わってしまう。


私が資格を取る理由・2 ~産業カウンセラー~

2007-03-25 06:12:15 | 心理

(前の記事から続く)

…というわけで、長いこと足踏みしていた「産業カウンセラー」を目指すための取り組みを始めたのが、3年前の春。通学制と通信制があったが、もう通学制のクラスは定員になり、締め切られていた。通信制は秋開講、1年がかり。しかも演習は通学制と同じ時間数あり、それは年間12日、朝から夕方までフルタイムのスクーリング。あんまり通学制と変わらない。ハードそうだけど、まあいいや、とりあえず応募してみよう。…いつもの成り行き任せの癖で、願書を送った。

11月、初めてのスクーリング。説明によれば、競争率は4倍だか5倍だかあったという。あらー、入るのは意外に大変だったんだ。

今までの10年、福祉の「業界」にどっぷりとつかり、他業種の人といえば学生時代の友人くらい。社会人になってからはほとんどと言っていいくらい、民間企業の方との接触はなかった。それが、このスクーリングに来てみたら、新聞の証券欄で見るような企業に働く人が大勢。どう接していいのか、戸惑ってしまった。自分自身のスタイルが「世間」とズレているのも感じたが、これは今更どうしようもない。演習授業は「聞く・話す」ことを徹底して繰り返し、カウンセリングの基本となる『傾聴』を身につけるものだという。自己紹介後のちょっとした遊び(「アイス・ブレイキング」と呼ぶのだと後に知った)、短時間の自己開示を何度か繰り返し、20分・30分のロールプレイへ発展していく。

はじめは「20分も、何を話せばいいの」という戸惑いがメンバーの中にもあったが、やってみると、意外に話せてしまう。そして、それは「聞き方のテクニック」によっても変わってくることを感じ取れるようになった。セッションを繰り返す毎に、不思議なことに「もっと話をしたい」と思うようにもなった。それは他のメンバーも同じような感情を覚えたようだった。

ロールプレイといえど、内容はガチンコ、真剣勝負である。ある時期からテーマ設定がなくなって「自分自身が今考えていること・感じていることを話して下さい」ということになった。クライエント役は、仕事のこと、家族のこと、個人的悩みごと、それぞれの内に秘めた感情を言葉にして紡ぎ出す。押さえていた感情を思い出し、涙が止まらなくなるメンバーもいた。その感情を静かに受け止め、支えるカウンセラー役。1日7時間の演習は、あっという間に流れる濃密な時間だった。終わると大変疲れるのだが、いい意味で「重みのある時間」を感じた。

約1年の講座が終わり、一昨年の晩秋に学科試験、昨年の初めに実技試験があった。そして昨年の3月、発表。スクーリングで一緒だったメンバーは殆んど合格していたが、私は不合格。学科試験で問題を読み違えたり、実技試験で話をするネタを選び間違えたのが失策の原因。合格率66%なのに、残り3分の1になってしまうとは。試験直後に「これはしたり」と思っても、後の祭り。次回こそは、とリベンジを誓った。

今回の学科試験は、今年の初め。その2週後に実技試験。その試験日程を見て、想定内の困ったことが起きた。仕事の重要な研修と実技試験が、ダブるのだ。仕事の研修は5回シリーズで、1回でも休んだらアウト。しかも、日程の振り替えは受け付けないというのだ(すっげえ横暴)。考えた末、産業カウンセラー試験を優先させることにした。長年の夢を、また繰り延べさせることはもうしたくない。仕事の研修…どうにかなるだろ、来年にでも。

そんなこんなで、やっと今年「産業カウンセラー」となった。職場の労働環境を早くなんとかしなくてはと思う私は、是非この資格を生かしたいと思う。一方で、国家資格の3福祉士のうちまだ手にしていない、そして最も手にしたい「精神保健福祉士」への取り組みを始めることにした。また通信教育の日々、そして今回はフルタイムの実習が連続12日ある。仕事との両立がどうなるか、忙しく厳しい日程になりそうだが、…まあ、なるようになるわな。


RUSH

2006-03-19 15:28:48 | 心理

日本ではあまり知られていないが、ハード・ロック系洋楽が好きな人なら、このバンド名を耳にしたことくらいはあるかもしれない。カナダ・トロントに本拠を置く3人組のスーパー・バンド、ラッシュ。南北アメリカ大陸では熱い支持を受けている。

私のフェイバリット・バンドはDREAM THEATERだが、RUSHもまたそれに勝るとも劣らない。3人だけでやっているとは思えない音の厚さ(ひとりで歌いながらベースを弾き、キーボードやフットペダルを操っていたりする!)。ドラムのキレの良さ、ベースの独特のテクニック、スペーシーなギター。そしてその詞は哲学を秘めつつ、心に響く。

『Resist』の詞を紹介したい。訳文は、また私の自己流で。

誘惑以外のものになら 私は抵抗できる

苦痛以外のものとなら 共存することもできる

自分の欲望以外であれば 歩み寄ることもできる

説明のつかないすべてのものと うまくつきあうことだってできる

欲求不満以外であれば 耐えることもできる

希望を低くすること以外なら こだわることもできる

不正以外のことになら 目を瞑ることだってできる

私の知らないことであっても 心をひろげることだってできる

君は身を委ねることができる

祈ることはなくても

けれど心から祈るのであれば

身を委ねることになる

君は戦うことができる

勝たなくても良ければ

けれど勝ちたいのであれば

戦うことになる

ドラム担当の日本嫌いもあってか、来日は10年以上していない。せめて1度はライブが観たい(日本で!)バンドのひとつである。