今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。

今週の一番「任侠姫レイラ」エンターテインメントとは何か?…とか語ったりしてみる。

2010年05月22日 | マンガ
【5月第2週:ブラック・ジャック創作秘話 第3話・逆鱗】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10461.html#638

【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



【※以前、「任侠姫レイラ」を取り上げた時の記事】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/2800178f79702d21f6bf98b2c6147064

「任侠姫レイラ」(原作・梶研吾、漫画・米井さとし)の本格連載が開始されました。なかなか良い滑り出しで毎週楽しみに読んでいます。「任侠姫レイラ」謎の覆面少女レスラー・レイラが、斜陽の帝都プロレスに乱入して男レスラーと渡り合う物語。…どうもレイラには行方不明の父親(プロレス好き)を捜す目的もあるみたいです。
…そういえば、そもそも最近プロレス・マンガってありませんねえ?総合格闘技的なものと…「キン肉マンⅡ世」があると言えばあるんですが…本格派のものは、それこそ高柳ヒデツ?かかと?先生の傑作「遙かなるリング」(作・中村慶吾、1992~1995年)以降見ていないような気もします。(何かありましたっけ?)

※付記:ちょっと思い起こしてみた所、一色まこと先生の「ハッスル」(1995~1997年)がありましたね。あとMODSTOONさんが上げられている。「燃える!!女子プロレス」は1993~1994年、「パラダイスレディー」は1992~1993年。…ふむ。女子プロばっかりだな?(ブームだった時期ではあると思う)

まあ、そういうプロレス・マンガ状況からすると、ある意味必然という気もするんですが、「レイラ」を他のプロレスマンガから特徴付ける要素として“ブック”の公言というのがあります。“ブック”と言うのはシナリオ…ここは敢えて一般に知られる悪い言葉を使いましょう。“八百長”の打ち合わせの事です。
ある程度、不測の事態や、アドリブの応酬などを入れて「受け手」に展開を読ませないようにしてはいるのですが、言ってしまえば基本的にレイラが勝ち続けるのは(それぞれの思惑があるとしても)レイラが勝った方が盛り上がるから…という事が作中で明示されているわけなんです。



この構造について語ると僕は「太陽のドロップキックと月のスープレックス」(作・ミスター高橋×落合裕介、2004年)というマンガを思い出します。ものすごく好きなマンガでした。これも「レイラ」と同じように”ブック”の存在を主題にしたマンガで、おそらくはその最初のマンガではないかと思います。
「太陽のドロップキックと月のスープレックス」は、柔道の金メダリスト・八月十五日(あきなか)大樹は、ギャラのために出場したプロレスのリングで最初は失望を覚えながらも、次第に“はじめから勝敗が決められている真剣勝負”というものに魅了されて行く…。そして異種格闘技戦で勝利を持ち帰った男・日下部真琴は、そのブランドからスターとしての道を設定されはじめる。しかし、果たして“強いだけ”の自分に“この舞台の主役”となる資格はあるのか?と苦悩して行く。その二人の主人公の「物語」です。

そもそもこの原作者のミスター高橋は新日本プロレスで長年レフェリーを務めた人で、後にプロレス八百長説を完全に暴露してしまった人なんですが。この人自身の評価はおいておくとしても、作中で語られるプロレス愛には僕は“本物”を感じています。
果たして、プロレスという作為のドラマは所詮本物ではないのか?作り話の「物語」は所詮本物ではないのか?(敢えて“本物”という意味は定義しませんが)という問いかけは「物語」おたくとして、非常に近しいものを感じます。いや、後者は様々な答えがあるとしても、「物語」についてある程度の思考する人なら、それほど答えに窮する事はないでしょう。
しかし、プロレスの方は本質的には同じとはいえ、その答えの在り方は「嘘だとは言わない。口にしない」事を含めてもう少し複雑です。その分、より突き詰めて「楽しむとは何か?」という事を研ぎすませている面がある。

ちょっと、個人的体験を話すと、僕は小学生くらいの頃にはプロレスあれが本気(?)ではない事には気がついてはいたんですよ。…つか、プロレスごっごをやれば様々な技が何らかの安全装置を持っている事はすぐに分かると思うんですが。
それでな~んだ、という感じに放ってしまってその後大して興味を示さなかったワケです。でも、しばらく経って、高校生くらいで、多分、ある程度自分に「物語」おたくとしてのの素養が整った頃だと思うんですが、ある日“プロレスを再発見”したんですよね。

ああ…。この人たちは全然本気で“真剣勝負”をやっているんだ…って気づいたんです。

それからはプロレスが好きになって、一頃は、深夜放送なんかをかなり観ていました(会場に出かける事はなかったですが)。そしてつくづく、この楽しみ方は「物語」おたくのそれと同じものなんだなあ、と思ったりしていました。
今はアニメなんかは支持者が多くて、またそういう人間で周りを固める事も可能で、“呪(魔法)”がかかっているから、そんな気づかないかもしれませんけどね。たとえば特撮…それも昔の特撮なんかを愛好していると、まあ、けっこう心ない“正論”で、相当こき下ろされたりしちゃうワケです、昔の特撮はw(汗)そして、その心象はおそらくプロレスファンとかなり近いものになってくる…はず。近いよね?プロレス・ファンの方たち?w(`・ω・´)

でもそれはそれで悪くない事と思っています。世間の冷たい風(?)にさらされるとねw自分の「面白い」と思うものや「楽しい」と感じる心の成り立ちがどのようなものか?嫌でも向き合う事になってくる。それは「物語」を「愉楽する」上で非常に重要な事に僕は思っています。
そこらへん、プロレスファンというのは、相当に鍛えられているはずだよねって…。僕は何だかんだ言ってもプロレスは一頃ちょっと観ていた程度なんですが、ファンのその心境には勝手にシンパシーを感じたりしています。「物語」おたくだって突き詰めて考えてみるといいんです。その感動は“作り話”だと知っていて初めて生まれるものなのか?…とかね。

それと、今は“ブック”の存在は公然化されている所があって、そうなるとプロレスのエンターテインメント・スタイルというのがWWEのスマックダウンみたいな感じになる、なって行くのは、よく分かるんですが…僕はかつての全日みたいな試合が好きなんですよね。(NOAHはあまり観ていないので分からない)
「YAHHH!?お客さん!みんな楽しんでってくれ!!HAHA!!」…みたいな感じより、より、選手の“真剣さ”をシンプルに浮き彫らせている王道プロレスの方が僕好みです。(スマックダウンが真剣じゃないと言っているわけではないですが)野球が米国人と、日本人では違う競技と言われるように、プロレスもまた米国の美学と、日本の美学はまた違う気がします。…流行らないかもしれませんが(汗)



「太陽のドロップキック~」は、モデル的には新日なんですが(まあ、大きくは全日、新日は近いと思います)そういうプロレスの真剣さを、能楽にたとえ、世阿弥の「秘するが花」という言葉を上げ(随所に能を意識したガジェットが描かれます。般若とか翁とか)、プロレスの~そして「物語」の、ぞくぞくするような楽しみ方を、そしてそれは「送り手」と「受け手」の真剣勝負なんだと言う事を、熱く描き上げていった傑作だと思っています。(打ち切り作品ですけど(汗))

「任侠姫レイラ」はその遺伝子を受け継いでいる…といっても、既にそれを深刻に告白する時期は過ぎたので、そんな注力(力説)して描く部分でもないでしょうけどね。(テーマではあると思っているのでこの言い回し微妙ですが)あくまで、プロレスの良さとして在る、あたり前のベースとなっていて、このベースの上で、何ができるか?を追求する連載のように思えます。ブックを超えた展開を交えつつ、プロレスの真剣さが上手く描かれると、かなりいい作品になるんじゃないかと思います。


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4 コメント

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三四郎が出れば結局はプロレスになる? (modstoon)
2010-05-22 18:27:01
『遙かなるリング』は良かったですね、真っ当っすぎるほどの正統派
弾は少ないですが女子プロものは良作が多いと思います
島本和彦の『燃える!!女子プロレス』とかかきざき和美の『PRADAISE LADY』とか好きですよ

1980年代なら特撮ファンとプロレスファンが被るのは普通でしたよ
なんつってもテレ朝、宇宙刑事流したら間髪入れずにワールドプロレスリングのコンベア殺法でしたからね

──────── と
そういう私は旧・全日本が好きだったんですけどね
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プロレス好きのアニオタが通りますよ (ルイ)
2010-05-22 21:36:40
2000年代前半、WWFで
ゴールドバーグというレスラーが誕生しました。
アメフト仕込みのタックルでバッタバッタとなぎ倒し、
連勝街道を驀進していた。
しかし、内容そのもので説得力をもたせられないから、
「とにかく何百連勝もしてしまう」という結果、数字そのもので
強さを描いていました。
で、そうなると僕らは「ゴールドバーグつええええ!」って思う、いや思ってあげるんだけど

薄れるんですよ。
リングの上でガチな記憶と結びつかない、リアルな数字に任せた「強さ」は薄れる。
そうなると、こう言う言い方をするのは嫌なんですが
ブックも当初の思惑とは違う方向に書き換えられていく。
すぐには変わらなくても、大きくレスラー人生という単位で眺めれば、確実に変わる。
つまり結果ありきのものだと言っても、
未来の結果は、今の自分の内容で決まって行く面があって
…そうなると、ベクトルが違うだけで
本気で勝負をしている事自体には何の違いもなくなってくる。
目の前の相手に100を注ぐか、空間を相手に戦いを挑むか、といった違い。
ここを掴めない人がプロレスを叩くのですが
最初に用意している物差しが既にそちらさんのものじゃないですか、というような
何とも複雑な感情があり、ミスター高橋はそこの
「違う物差し」を強調しきれず
先行して「事実」だけを見せてしまったという負の側面はあるな、と思っています。
ま、気付く人はあれだけで気付くんですけどね。

あそーれみっさっわ!みっさっわ!
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あれ? (bug)
2010-08-27 13:21:40
ゴールドバーグはWCWじゃなかったっけ?
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Unknown (Unknown)
2010-09-09 21:01:03
ゴールドバーグはWCWに在籍してましたよ。
ですが、その後WCWは崩壊してしまった為WWEに移籍しました。
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