気持ちを言葉にするのはとてもむずかしくて
コマッテいた時に見つけた文章↓
・黙祷が終わって、「あ。」と気づいた。いままで、わかっていなかったことだ。「思い出し過ぎてはいけない」のだ。
悲しい出来事があって、海を見ることができなくなっていた人が、それからはじめて港まで歩いてきて、黙祷するひとりになってくれた。「みんなで来たから、よかったね」と言った。この日、だれよりも思うことはあっただろうし、こころのなかを悲しみだけで満たすこともできたろう。でも、ぼくらが今年の黙祷の時間をここで過ごすと言ってあったので、なかまとして、いっしょに歩いて来てくれたのだと思う。
いつものような笑顔で海のほうを向いて、1分間の祈りのあとで、自然に涙を落としていた。ここに来て祈るのも、ここで泣くのも勇気だ。この人は、思い出し過ぎないようにしていたのだった。いくらでも思い出はあるのだけれど、ちょうどよく思い出すことができたのは、「みんなで来たから」だったかもしれない。仏壇でなくて、海に向かって祈れたのは、とてもよかったのではないだろうかと、たまたまの隣り人であるぼくは思った。えらかったね、とほめたい気持ちだった。
思い出し過ぎないこと。思い出すのは、いくら思い出してもかまわないが、思い出し過ぎると、きっと溢れるものによって溺れてしまうのだ。思い出し過ぎないことで、「よかったね」と言えた人の隣りにいて、ぼくも小さくだけれど生まれかわった。
これは、じぶんだけでなく、親しい人みんなに伝えてやろうと思った。思い出し過ぎてはいけないんだよ、と。うん、なんでも過ぎるのはだめなのだ。恋し過ぎるのも、やり過ぎるのも、みんなだめだよ。ぼく自身も、忘れないようにしよう。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。たぶん、過ぎることは、なにかから逃げてるんだろうなぁ。
コマッテいた時に見つけた文章↓
・黙祷が終わって、「あ。」と気づいた。いままで、わかっていなかったことだ。「思い出し過ぎてはいけない」のだ。
悲しい出来事があって、海を見ることができなくなっていた人が、それからはじめて港まで歩いてきて、黙祷するひとりになってくれた。「みんなで来たから、よかったね」と言った。この日、だれよりも思うことはあっただろうし、こころのなかを悲しみだけで満たすこともできたろう。でも、ぼくらが今年の黙祷の時間をここで過ごすと言ってあったので、なかまとして、いっしょに歩いて来てくれたのだと思う。
いつものような笑顔で海のほうを向いて、1分間の祈りのあとで、自然に涙を落としていた。ここに来て祈るのも、ここで泣くのも勇気だ。この人は、思い出し過ぎないようにしていたのだった。いくらでも思い出はあるのだけれど、ちょうどよく思い出すことができたのは、「みんなで来たから」だったかもしれない。仏壇でなくて、海に向かって祈れたのは、とてもよかったのではないだろうかと、たまたまの隣り人であるぼくは思った。えらかったね、とほめたい気持ちだった。
思い出し過ぎないこと。思い出すのは、いくら思い出してもかまわないが、思い出し過ぎると、きっと溢れるものによって溺れてしまうのだ。思い出し過ぎないことで、「よかったね」と言えた人の隣りにいて、ぼくも小さくだけれど生まれかわった。
これは、じぶんだけでなく、親しい人みんなに伝えてやろうと思った。思い出し過ぎてはいけないんだよ、と。うん、なんでも過ぎるのはだめなのだ。恋し過ぎるのも、やり過ぎるのも、みんなだめだよ。ぼく自身も、忘れないようにしよう。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。たぶん、過ぎることは、なにかから逃げてるんだろうなぁ。