和田秀樹 『<疑う力>の習慣術』

2015-07-19 14:55:21 | 哲学、思想

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この本は、目の前が開けるような明るい人生を送りたい人には、うってつけの本だと思いました。

これまでにある常識について,「これが本当の事なのか?」「まだ改善の余地はあるのではないだろうか?」という心をもつことによって、それをよきものに変えていくことができる、ということがわかりました。

私は大学において、社会科学系の事を学んできましたが、そこにおいても、「これまでの常識について疑問を呈して、それをよきものに変えていくことの重要性」について多く学ぶことが出来ました。

この本の著者である和田秀樹さんは、経済学の世界においても、心理学の世界においても、これまでに偉大な業績を挙げた学者の言説に対して疑問をまったく呈さずに、その学者の言説を擁護するためだけに存在している大学教授が日本には多いことを指摘しています。

確かに、偉大な学者であるからして、真理に近いものをもっていることは確かですが、それに疑義を呈さないでいると今日のように先行き不透明な時代には通用しない、ということです。

 そうですね、どんな学者でも世の中のすべてがわかるわけではありませんから、修正が必要であることに間違いはありません。

 なにもかも疑義を呈するのは考え物ですが、やはり留保をつけて接していくことは大事だと思います。

 まさに宗教も一緒ですね。

 偉大な、カリスマ的な教祖のいったことについて、何も疑問を呈さないでいるとやはり現実にいて齟齬します。

 それなりにカリスマ的な教祖の言ったことでも、世の中の全部を見通せるわけではありませんし、1人の能力でこの世のすべての情報を得れるわけではありませんから、やはり心のなかで留保をつけて接していくことが大事であると思います。

 偉大なる学者、偉大なるカリスマ的な教祖のいったことについて疑義を抱きながらその人たちの書いた本を読んで現実と齟齬している場面を探していくことも、好奇心旺盛な私にとっても楽しいことの1つであります(笑)。

和田秀樹さんは、「人間は、自分の頭がいいとか、自分がかしこいと思ってしまうと、その時点で自分のことを疑えなくなってしまう。どんなに偉い立場になっても学び続けなくては成長が止まってしまう。 逆に自分はバカだからもう少し勉強しようと思って知らないことを学んでいけば、どんなに偉い立場になってからでも飛躍的に能力を伸ばしていける」 と至言を書かれています。

 これは事が、学者であろうとなかろうと、どんな人にでも、心に留めておいてもらいたいことですね。

 その自分の能力を疑うときに、一番重要なのは、「メタ認知である」とも言っています。

 メタ認知というのは、自分のことを客観的に見つめる能力であるということです。

 やはり人の上に立つと、指導することが多くなり、自分の能力の向上がおろそかになります。

 そればかりか、自分のことを棚に上げて人を貶すことが多くなりがちです。

 そうなると部下から、「自分は仕事しないくせに…」という陰口をたたかれることになります。

 そうではなく、「いつも自分は前進し続ける」という気概を持つことが重要であると思います。

 部下を動かすためには、やはり自分が動くことが重要であると思います。

 命令だけして、自分は動かない…こんなでは部下が辞めていくことは必至です。

 また、自分は出来ていると思っても、人から見ているとできていない場面があるのは否めません。

 たとえば、人の行動している場面を見て、「こんなやり方ではだめだ!」と分かることがあります。

 しかし、本人はそれが最善の方法であると思いながらしている。

 そこで一歩引いてみて、自分もこんな方法でしていないだろうか?と考えてみることが必要であると思います。

 自分もそういう方法でしていることがわかったら、その方法を素直に改めることがだいじであることは言うまでもありません。 人は誰しも更なる向上を目指していることは間違いありません。

 しかし客観的にみて、どうにも「その方法ではだめだ」ということを指摘されるまでしていることもままあるものです。

 あるいは指摘することがあまり好きでない人は、指摘しないこともあるでしょう。

 その人は、その私のことを見て「こういう方法ではだめだ。」と思い、私の仕方を反面教師にして行動しているでしょう…ああ恥ずかしい(笑)。

 やはり更なる向上を目指すのであれば、やはり1人でこもってないで、いろんな人と接することが大事であると思います。

 1人でわかることなど限界がありますし、そのことによってわかるというパターンはこの例のみならず多々あるものです。

 また自分を客観的に見つめるためには、やはり本を読むことが大事だと思います。

 本は、その人が書いた、自分にはない人生を生きてきたことによって得れた叡智が詰まっているのですから、それを謙虚に学ぶ必要があると思います。

 そのことによって、「いいな!」と思ったことについては、実際の生活において実践していくことが大事でしょう。

 ここで思い出されるのは、私が尊敬してやまない極真空手の総裁である故大山倍達です。

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大山倍達

大山総裁は、いつまでも謙虚に空手家としての姿勢を体現していた人で、指導をする際にも、自分が壇上に立って全力で行動していたようです。

 そして、道場内やトイレなどで汚れていた場面があったら、人に命令していないで、自ら進んで清掃していたようです。

 他の流派の道場では、先生と呼ばれる人が、指導の際に腕を組んでいるだけで気合いを入れているだけで、自分は稽古しない、というようなパターンもあるようです。

 また清掃に関しても、部下に命令するだけで、自分は一切しないなどという、目を覆いたくなることも…。

 そして、大山総裁は、いろんな本を読むことも忘れなかったといいます。

 そのことによって、謙虚に多くの事を学び、そして自分の姿勢を矯正していったといいます。

 こういう姿勢を私はこれからもずっと手本にしていきたいと思います。

 また和田秀樹さんは、ある事実について、「それはすでに解明されている!」といってそれ以上踏み込んで考えない、情報を収集しない学者や教授は成長しない、ということを書いています。

 先にも書いたように、解明された事実を発見し裏付けた学者であっても、世の中の全部を見通せるわけではありませんし、1人の能力でこの世のすべての情報を得れるわけではありませんから、やはり瑕疵はあるものです。

 そこを修正していこうというのが学者や教授の仕事であると思いますし、ことは学者や教授でなくとも、一般人でも同様であると思います。 やはりここで思い出されるのは、ウィリアムジェイムズの言です。

 彼が曰く、 「この世は2つのタイプの人間がいて、1つは、この世界を多元的に捉える人。

この人は、リンゴもいいし、蜜柑もいいし、バナナもまずくはないし、パイナップルも結構だ。その間に序列をつけるわけではないし関係をつけるのでもない。いろんなものが並列状態にある、というふうに捉える立場の人。

 もう1つは、この世界は最後は1つの絶対的な価値に収斂していって、その体系の中に諸々のモノがちりばめられている。だから社会の中の諸事象についてわざわざ知識を得るには及ばない、というふうに捉える立場の人。

 この2パターンに分かれる。後者の方が圧倒的に多い。」

その前者タイプの人が、学者として成功するのは、これまで私がみてきた例でも明らかです。

「それはすでに解明されている!」といってそれ以上踏み込んで考えない、情報を収集しない学者や教授は、年中同じようなことを講義で言っているだけでしたし、その教授の書いた本も、最初から最後まで同じようなことを書いてあるだけでした。

 しかも、それまでに書いた本は1冊か2冊だけ(笑)。

 そうならないためには、情報に対するあくなき収集欲が必要不可欠であるとも思いました。

 私の叔父は前年に肺がんで亡くなりました。

 肺がんになった際に、病院において検査をして、その結果「手術が出来ない場所に腫瘍ができてしまった」ということで、あとは抗がん剤の投与しかできなくなってしまいました。

 そこで、私はネットでいろいろ調べて、ガンから生還した事例を上げて、抗がん剤投与でない方法を叔父や従姉に、その方法について教えてあげました。

 しかし、2人ともその方法について実行しようという気概がなかったです。

 叔父にいたっては自暴自棄になってしまい、肺がんであるにも関わらず、タバコを毎日すうことを止めませんでした。

その健診から1年後に、訃報が届き、叔父がなくなってしまいました。

 叔父とその娘である従姉は、 「医者がダメだと言われたらもう諦めるしかない」という非常に固定した考えになってしまっていたようです。 たとえお医者さんでも、医学について全部知っているわけでもありませんし、長く自分流の処方をしていると、頭が頑固になって、それ以外に処方をしようという気にはならないものです。

 何故、2人は医者がダメと言ったからとて、私が提示したことをしようとしなかったのか?

やはり頭が固くなってしまっている。

 疑う力が軟弱になっている、としか考えれません。

 なにも、医者さんに診てもらうことを止めろ、と言ったわけではありません。

 お医者さんに診てもらうことを継続しながら、それ以外のガンから生還した方法をしてほしかったのです。

 確かに私が提示した方法が、必ずしも功を奏する保証はありません。

 しかし、行き着かせる場所が、「ガンからの生還」であるならば、自分がすべきことを探して、それを実行すべきであったのです。

 抗がん剤の投与では、確かにがん細胞を殺すことはできます。

 しかし、その引き換えに生命力も殺すのです。

 現在の抗がん剤では、「がん細胞を3割殺し、生命力を2割殺す」と言われているのです。

 そのことを知っていれば、抗がん剤の投与だけでガンから回復させようなどとは思わないでしょう。

 しかし、それは叶わなかったのです(涙)。

今後、こういうことがないようにどの人も心してほしいものです。

 ネットや本で調べれば、お医者さんにだけ頼らなくても、ガンから生還した事例など無数にあるのです。

 それについてアクセスするには、やはり知的好奇心が絶対的に必要であることは間違いありません。

 その知的好奇心でもって、いろいろと調べて、良き人生を送ってもらいたいものです。

 また私の個人的な経験を語らせてもらいますと、私が通った高校は非常に偏差値の低い学校でした。

 しかし、どうしても大学にいって学びたい、という幼少の頃からの希望があったので、高校3年になった時点で、猛勉強しました。

 その時言われたのは、「その高校出身では無理だよ!」「今から勉強しても無理だよ!」ということでした。

 しかし、私は「やってみなければわからない!」という気概で、あきらめることはしませんでした。

 しかし、その努力は虚しく1つの大学に補欠で引っかかっただけで、しかもその補欠になった大学も結局落ちてしまいました。

 その次の年の浪人時代も頑張り、その努力実って全国的にネームバリューがある大学に合格することが出来ました。

 これは、「常識と言われていることを疑って行動することによって可能になった」事例だと思います。

 私の叔父の例のようになりそうな人がいたら、そこを諌めて、良き方向へもっていくように諭してあげていただきたいと思います。

 ここまで書いてきたことからも明らかなように良き人生は、「常識を疑うことから始まる」ということが私は明らかになりました。

 常識に縛られてい過ぎの人には、こんな人生もあるんだよということを心に留めておいていただきたいものです。

 ただし変えてはいけない常識はあるのです。

 たとえば、朝人に会って「おはようございます」、帰るときの「失礼いたします」、過ちを犯した時の「すみませんでした」「申し訳ありませんでした」お客様が来た時の「いらっしゃいませ」、お帰りになるときの「ありがとうございました」と言うことは常識ですが、変えてはいけないものです。

 これを言わなかったら、人間関係を阻害するものです。

 ですから、こういった常識を変えることは絶対にしてはならないものです。

 それに、始めから言われたことを何でもかんでも「これは違うんじゃないか?」「これは違うんじゃないか?」などと疑っていては、物事がスムーズに運びません(笑)。

 たとえば、アルバイトとして入って、上役から言われたことを頭から全部否定して言うことをきかなかったら、その職場はハチャメチャになります(笑)。

そうならないようには、まずは上役から言われたことは素直にききましょう。

 言われたように行動しましょう。

 その行動の中で、改善点があったら自分が上役になった時に、改善すればいいのです。

 改善しようという気概を持つことは素晴らしいことですが、最初から全部改善しよう!では職場はカオスになります。

 また、日本の教育について考察した本には、「日本の、知識を多く覚えるだけでそれで良しとするつめこみ教育は悪い」という趣旨の本を私は多く読んできました。

 そこで私はカン違いをして、「ものをたくさん覚えるのはよくないことなんだ!」という認識になり、アルバイト先で、人に言われたことをほとんど覚えず、上役からしかられたことがありました。

 その時思ったのは、「ものを多く覚えるのはよくないことなんじゃ…」とそういった本に書いてあったことを思い出して心の中で反論していたんですね(笑)。

しかし、それは今になって回顧するに私が間違っていました。

 職場にいる以上、ことをスムーズに運ぶためには最低限の知識は覚えなくてはなりません。

 いつまでたっても、知識を得られない人がいるのなら、その場合もその職場はハチャメチャになります(笑)。

 多く知識を覚えるのだけでは脳に悪いですが、しかし、まずは職場にいたらまず最低限のことは覚えなくてはいけない。

早く覚えてしまえばしまうだけ、その職場にとっては良いことでしょう。

 この例や、現代の大物社長と言われる人たちに共通するのは、「変えてはいけない常識は踏襲しつつ、これまでの常識を疑ってそれを改善していった」ということですね。

 これまでこのblogで取り上げてきた安田久、小林敬といった飲食の経営者や、島田紳助のように芸人でありながら飲食店の経営を成功させている例ですね。

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「いらっしゃいませ、ありがとう」という常識は一切変えず、経営内容については、 「お客様がこういうことをされたら、喜ぶんではないかということを常に考え、これだと思ったらそれを実際の経営に取り込んでいく」ということですね。

 この例からもわかるように、店長と経営者は違うようです。

 店長と経営者とは似てるようですがかなり違います。

 共通するのは、人の上に立って人を仕切る、という場面です。

 しかし、経営者になろうと思ったら、その能力のみならず、それまで自分がもっていた拘りを維持して、それを実際に生かすということが絶対的に必要であるということですね。

その方法によって収益を上げていかなくてはいけないのです。

 それのみならず、1つの経営手法が永遠に有効ということは今の世の中あり得ませんから、すぐに現代にも通用する方法に変えていく柔軟性も必要でしょう。

 こういった私が接してきた人物、私が読んできた本の内容を俯瞰するに、やはりいろんな知識を主体的に学んでいくことによって、自分を含め周りを改善していくことができるということがわかりました。

 そういった知識を得ずして、これまでの「常識」を踏襲するだけ、そういう人生もいいでしょう。

 しかし、そういう道は私のスタンスに合わないのです。

 ですから、私は1つの宗教にはぞっこんにはならないのです。

 その宗教について書いてある本を読めば、それなりに感動する場面はあるが、その本だけが大事なことではないのです。

 人と話したり、本を読んだりすることによってその他いろんなことを学べるのです。

 その宗教内には改善点がいっぱいあるにもかかわらず、その宗教にゾっこんになってしまう人は、大抵その宗教内で言われていることに対して無批判でいがちです。

 そういったことも私には信じれないことです。

 この本の最後のほうで、「学説ではこうなっているから…、常識的にはこうだから…」という演繹的な方法は、今のような不透明な時代には通用しない場合が多い。

 こういうのをやめて、現実の出来事を中心に考えていった方が良い。

 ということを和田秀樹さんは書いています。

 海外のビジネススクールでおこなわれている授業では、成功企業などのケーススタディを通じて、経営手法を理論化しているということです。

 このようなアプローチ法は、私にとって非常に推し勧めたい方法ですし、この本に通底するモラルだと思いました。

 それに共感できるかたには是非とも読んでもらいたい本です。

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